第3話「――キトリ・パストゥール、宣教局の魔道具開発主任」
ーーオモテデモウラデモナク、ヨコカラハイレ。
その言葉の意味を正直なところ、よく分かっていなかった。
たった今、本当に壁からスッと家に入ったこの瞬間まで。
「えっ、なんで壁から入れるんだ……?」
「新鮮な反応だね。でも、もう察しはついていたはずだ」
「……幻惑の魔法か。それも常時発動している」
こちらの確認に頷いてみせるエステル。
そういえば、あの魔術少女は彼女をエステルと呼んでいたが本名なのだろうか。
あるいは身内でもコードネーム呼びが徹底されているのか。
「しかも鍵がないと本当に押し返されるんだ」
「恐ろしい魔術師だな、何者なんだ?」
「――キトリ・パストゥール、宣教局の魔道具開発主任」
あの歳で主任かよ。と思うがあれだけの実力があれば当然か。
「見た目通りの歳なのか? それとも俺みたいに」
「ふふっ、女の子の歳を聞くものじゃないよ」
「良いじゃないか、今は俺も女の子だ」
こちらの質問を笑ってごまかすエステル。
街中にある何気ない一軒家に入ったと思ったが、この部屋は何なんだ。
横から入った割には客間のようになっているけれど。
「この部屋から先には進まない方が良い。たぶん出てこれなくなるよ」
「……なんか知ってる感じだね、体験済みかい?」
「まぁね、友達の家だし。キトリの実験場でもあるんだ、この家」
幻惑の魔法やらなんやらが常時発動しているってことか……?
こんないかにもな魔女が人間の国にいるとはな。
悪魔の国の魔術師どもよりよっぽど魔女だ。
「――ここなら安全だ。誰もまともに入って来れられない。
キトリの帰りも遅くなる。リラックスしなよ」
ソファに腰を降ろしたエステルが、ポンと隣を叩く。
……隣に座れということだ。
いつぞやの列車でどうして隣に座ってくる?と言っていたのが懐かしいな。
「隣で良いの? お姉ちゃん」
「……ああ、隣が良い」
もたれかかってきたエステルが静かに溜息を吐くのが伝わってくる。
ずっと気を張っていたものな。
リラックスしなよ、というのは自分に言い聞かせてもいたのだ。
「まったく、自分の街に帰ってきてもこれだ。
クソ売国奴どものせいで。そんなに不老不死になりたいのか」
「……なりたくないの? 不老不死に」
長命種の自分が言うのもなんだが、なれるものならと考えないのだろうか。
「興味ない。人には天命がある。役目を終えた人間は死ぬべきだ。
命を全て使い切って、神の元に還る。ゴールがなければ人の生じゃない」
――聞くだけ野暮だったな、彼女は本当に神の信徒だ。
「無粋な質問だった。敬虔な信徒に向かって」
「……別に、永遠にだって生きられる君を否定してるわけじゃない。
ただ、私にとっての人生とはそうなんだ。それだけの話だよ」
彼女の言葉に頷いて、静かな沈黙が訪れる。
自然に、うとうとしてしまうような優しい時間が。
そうして意識を手放そうとする直前だ。
「――今度は大人しくしていたみたいだね、エステル?」
「あんな目に遭ったからね。ごめん、キトリ、頼らせてもらって」
「構わない。正直、司令か私くらいしかいなかったからね」
司令って誰だ?と思ったけれど、なんか自然に理解できた。
直感だが、俺の知るヴェン・ライトニングだ。
確かエステルに対して俺なら何とかしてくれると伝えたのがヴェンだからな。
しかし、親友同士なだけ会って話が早いな。
あの小柄な幼い容姿の魔女が帰ってきたと思ったら二言三言で。
司令か彼女かしかいないってことは相当ヤバいんだな、宣教局内部は。
「やっぱり?」
「うん。だって貴女、今は魔王様なんでしょ?」
「……あっ、それのせいか」
「魔王暗殺命令を推し進めた上の連中と、疑わなかった横の奴らがね。
元からアンタが先代魔王と内通していたんだって主張してる」
あ~……なるほど、そう来たか……。
「まぁ、司令とアンタを潰せれば後は烏合の衆だからね」
「流石に言い過ぎじゃ」
「――言い過ぎじゃなかったらそもそも御父上があんな下らない暗殺命令を取り消せたよ。技術屋の私でも分かるんだ、不動のジェイクを殺す利益はないって」
烏合の衆とヴァンパイアの血に魅せられた売国奴だけしかいないってか。
まぁ、あのヴェンが政治戦と諜報戦に完全に負けたんだ。
確かにキトリという少女の言うの通りなのかもしれないな。
「百理ある。父さんも私に戻ってくるなって言ってたし」
「やっぱそれだけ身内がヤバいって勘づいてた訳だ。流石は伝説の英雄ね」
「――それでキトリ。頼みがあるんだけど」
エステルの言葉を遮るキトリ。
「待って。その前に肝心なことを聞くの忘れてた。
いったい誰なの? その娘。アンタには兄貴しかいないでしょ」
「……ああ、言っていい?」
エステルの言葉に首を横に振る。
「俺から名乗るよ。今、エステルが内通を疑われている”先代魔王”だ。
不動のジェイクと名乗るのが一番通るかな」
こちらの言葉を聞いたキトリがマジマジとこちらを見つめてくる。
じっくりと値踏みするように。
「前々回、人間の国に来た時に食べたものは?」
「新聞記事になったのは”プルドポーク”だな、あとは羊肉も食ったぞ」
「……え、なになに、こんな子供に何を仕込んでるわけ?」
正確に答えても信頼しねえのか、この女。
珍しくしっかり覚えていたから綺麗に答えてやったのに。
「違う違う、間違いなく本人だ。信じられないとは思うけれど」
「ゆくゆくは影武者にするために育てられた子を助けたとかじゃないの?
顔は確かに似てるようには見えるけど……」




