第3話「けれど、それが”歴史”だ。人間も悪魔も歴史の最中に生まれてくる」
――ソドムの街から列車に揺られ続け、終点のヴァラクに到着した。
ここは魔王都よりもずっと奥、人間の国からは遠く離れている。
宣教局でも詳細を把握していない土地だ。
国境近くの都市や北方領のように違法な奴隷を集めていた地域なら悪魔の国でも人間は比較的多い。しかし、ここまで来ると殆どその姿を見かけない。それに見かける悪魔の種類もどこか違うように見える。
正確なところまでは分からないけど、端的に魚人が増えてきた。
あとはリザードマンような爬虫類系の獣人も多い。
いつも通りにサキュバスの変装をしているけど、それでも目立ちそうだ。
「こっちだよ、お姉ちゃん。手を放さないで」
悪魔の国、その奥に踏み込んだという感覚。
視界から飛び込んでくる情報ひとつひとつの新鮮さ。
同時に、あの吸血鬼の追手に尾行されているのではないかという緊張感。
その全てに圧倒されていた私の手をスッとジェイクが引いてくれる。
「――どうして馬なわけ?」
ジェイクの奴にエスコートされるまま、馬を借りてヴァラクという街を出発する。目指す先はサマエルという街。そこからは港湾都市への列車が通ってるらしい。クイーンルビィ号とやらが停泊する港湾都市へ続く列車が。
「え? そりゃサマエルに行かないと列車に乗れないからだけど」
手綱を握る私の前にちょこんと座るジェイク少年が上目遣いで微笑んでくる。
……いちいち可愛い振る舞いをしてみせられるのは、天性の才能なのだろうか。
元々はかなり高身長の美青年って感じの身体だったはずなのに。
「ふふっ、分かって言ってるでしょ。
ソドムはともかく、王都と港湾都市が繋がってない理由はないはずだ」
ソドムの街から出発して魔王都を経由、そして終点のヴァラクに着いた。
港湾都市というのがどれだけの規模なのか正確なところは知らない。
けれど漁業としても、海の向こう側と行う外交の場としても要所のはず。
そんな場所と王都が線路で繋がっていないのは不自然だ。
「……予習してきた?」
「いいや。こんなとこに来るなんて思ってなかったからね」
「なるほどね、初見でもやっぱりそう思うか~」
そう答えながらクスッと微笑んで見せるジェイク少年。
「――素人が初見で抱く違和感のうち、半分くらいは正しいものだ。
そこには何かしらの不合理や不自然が存在して、正常さを阻害している」
王都と港湾都市が列車で繋がっていないのは確かにおかしいと。
魔王自身もそう考えていると言いたいわけか。
「けれど、それが”歴史”だ。人間も悪魔も歴史の最中に生まれてくる。
自分が生まれてくるよりも前に先人が居て、政治があって、歴史ができている。
そこには”こっちの方が合理的だから”程度では軽々と介入できないものさ」
そう言ってジェイクは簡単に”歴史”を説明してくれる。
ヴァラクとサマエルは、悪魔の国が誕生するよりも前から対立していたこと。
港湾都市は元来、海の向こう側との外交で独自の文化を有していること。
「……初代魔王が統一したから悪魔の国ではあるが、港湾都市のウンディーネ連中からすれば、海の向こう側と悪魔の王には同等の価値しか見出していないのさ」
形式的には悪魔の国の一地域ではあるものの、ということか。
港湾都市と魔王都の温度差に加え、中継地点となるヴァラクとサマエルの対立。
なるほど、線路ひとつ通すのに難航するのも当然ではある。
「インフラが通っていないことによる分断こそが地域を守るって考え方もある。
ウンディーネ連中は特にそうだ。サマエルくらいまでは列車が走っていても構わないが、王都とは直接つながりたくはない。それでヴァラクとの対立を煽った」
……ほう、そこまで手の込んだ政治戦を仕掛けてくるなんて。
「悪魔列車の事業は、フェリス陛下の悲願だ。俺だって万全に叶えたかった。
けれど、ここまでしかできなかったよ。
魔王と言ったってそんなものだ。北方将軍1人好きに獲れやしない」
フッと遠くを眺めるジェイクの瞳に、為政者としての才覚が見える。
あれができないこれができないと言うが、その判断が的確についているのだ。
継承戦に勝ち続けるだけでは、魔王の椅子に座り続けてはいられない。
彼の統治が余りにも愚かであれば、国民から討たれる。王なんてそんなものだ。
「――生まれた時からずっと不愉快だった。
自分よりも前の事情で、自分の全てが決定されていることが。
王になったところで、それは変わらなかった」
悪魔の王が何を、と言葉を返そうとしたところでふと思い出す。
摩天楼を前に”実家のようなもの”と言っていたのを。
……まさか。あれは私を突き放すためのでまかせだろう。
あんな娼館が魔王ジェイクの実家だなんて。
「そんな全てから逃れたくてね、子供の頃からやり直したくて」
「……そのために転生したと。そんな幼い子供の身体に」
「ああ。君もどうだい――?」
反り返るような上目遣い、馬の上という不安定な場所で注がれる視線。
その紫色の瞳に、飲み込まれそうになる。
「――私は、別の身体に転生するほど長く生きていないよ」
「そっちじゃない。国のことなんて忘れて一緒に行かないか? 海の向こうに」




