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第13話『――私を、殴ってみせろ』

 ――ソドムの摩天楼はかなり特殊な造りをしている。

 7階建てという高さ、中庭が空洞となった円筒形。

 ここは客を招き入れる娼館であると同時に商品を逃がさないための檻だ。


 人生のある時まで、ここは俺にとっての全てだった。

 世間話を求めるタイプの客がたまに外の話をするけれど、それだけだ。

 自分の目で見ることも、自分の足で歩くこともない場所なんて無いと同じ。

 そんな時間をずっと過ごして、自らの長命さを呪った。


 摩天楼は、幼い子供を金で買って娼婦や男娼に仕立て上げる。

 娼婦も男娼も”自分が買われた時の金額”を摩天楼に納めることで自由になれる。

 顔も名前も知らない親の懐を温めた分の金を稼いで、娼館に納めることで。


 ドラゴニュートは希少だ。

 まともな竜人ならば自らの子を娼館に売ったりはしない。

 だから摩天楼は、俺の親に法外な金額を支払った。

 男娼なんかやったくらいじゃ、100年経っても用意できないほどの金額を。


 ――俺にとっては全てが呪いだった。

 長命種の身体も、身体に宿る美も、竜人としての生まれも。

 思い出すだけで未だに背筋に寒気が走る。


『まさか賢帝フェリス陛下にお越しいただけるとは……』

『ああ、貴様らの仕事も見ておかなければならないからね』

『御親臨の御礼といたしまして、選りすぐりの商品たちを集めました』


 ”お気に召しましたらお好きなものをお持ち帰りください”

 なんて、オーナーの野郎が相変わらずの気持ち悪い笑みを浮かべていた。


 今でも思い出せる。あの日、俺は選ばれないと思っていた。

 そもそもフェリス陛下には浮ついた話がない。夫もいないし、愛人も。

 けれど一応は並べておくから失礼の無いようにと言われていたのだ。


『――ふぅん? 男ばかりか?』

『はっ……おなごの方がよろしかったでしょうか……すぐに用意を』

『いや、要らぬ。好きなものを持って帰って良いのだな』


 フェリス陛下は、イフリートと鳥類獣人の混血。

 その目は燃える炎のようだった。

 さながら不死鳥のようにも見える女性だ。人型の不死鳥、それが彼女だ。


『なぁ、お前たち――』


 フェリス陛下は集められた男娼10人くらいに視線を送った。

 その1人1人を静かに見つめていった。


『――私を、殴ってみせろ』


 場が凍り付いたのを、よく覚えている。

 それなりに接客経験の多い男娼たちが固まってしまった。

 相手は魔王だ。オーナーにとって最大の来客。それを殴れだなんて。


『お、お戯れを陛下……』

『――3回目は言わぬぞ。殴ってみせろ、この私を』


 オーナーの視線は分かっていた。

 ”やめろ、絶対にやめろ”

 そう言っているのは分かっていたんだが、同時に理解していた。

 フェリス陛下は本気だ――ッ!!


『……ふむ、良い拳だ。ちと私には届かなかったが。名前は?』


 顔面を目掛けてはなった拳は上手いこといなされて、そのまま組み伏せられた。

 燃える彼女の身体に焼き殺されてしまうんじゃないか。

 けれど、それでも良いと思った。

 陛下に貰われるにせよ、ここで殺されるにせよ、”今”からは解放される。


『ジェイク……』

『よろしい、荷物をまとめておけ。今日、お前は私と帰るんだ』


 そうして他ならぬあの別邸に招かれたのだ。

 後に俺の国葬が行われることとなる、あの場所に。


 そこから50年まではいかないくらいの時間を彼女の副官として過ごした。

 ちょうど俺とレイチェルみたいなもんだ。

 最初は常に隣に立っているだけだったけれど、いつの間にかそうなっていた。


『――なぁ、ジェイク。潰したくないか、摩天楼』


 本格的にフェリス陛下のサポートを任されるようになって20年くらいの頃だ。

 とある夜に彼女はそんなことを聞いてきた。


『……ダメですよ、陛下。あれを潰したら余計酷いことになります。

 金の流れとしても、秩序立った風俗としても、潰すデメリットの方が大きい』

『ふふっ、私の副官としては妥当な判断だな――』


 退屈そうに呟き、彼女はブランデーを傾けた。

 濃い酒に自分で火をつけるのが好きな人だった。


『――お前自身の想いを聞かせろ、あの場所で生まれ育ったお前の』

『ぶっ殺したいです……っ!

 あの腐れオーナーを跪かせて命乞いを聞きながら殺してぇ……ッ!』


 てめぇの商品まで好き勝手に味見しながら我が物顔をしていたあのデブ。

 最もインキュバスらしからぬ身体でありながら、最もインキュバスらしい商売をやっている性の権化、クソ野郎だ。


『やっていいぞ、私もあれ嫌いなんだ』

『っ……ダメです。ダメなんですよ、陛下!

 あれ潰したらもっと酷くなる。世論だってついてきません』


 貧しい連中には子供を売ることでギリギリ生き延びた奴も多い。

 富める者にとっては愛用する享楽だ。

 私怨であれを潰せば、世論が認めない。フェリス陛下の立場を危うくする。


『……そうか、やはりお前は魔王に向いているな』

『はい? 俺は貴女の懐刀です、それで充分ですよ』

『ふふっ、まぁ、とにかくだ。許しは出しているからな』


 ”――お前の古巣、生かすも殺すもお前の自由だよ、ジェイク”

 フェリス陛下からそう言われて、彼女に望まれて魔王になって、それでも俺はやれなかった。自分自身で摩天楼を潰すことができず、オーナーを殺すことも。


「……まさか、今になってだもんな」


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