第10話「ふふ、まさか。ボクの初めてはお姉さんのものですよ」
――夜が深まり、ボトルのワインも半分くらいを飲み干した。
たわいもない話を重ねつつ、赤く染まっていくエステルの横顔を見つめる。
酔いが回って少し饒舌にはなっているが、なんとなく分かる。
この女はこれ以上酔うことはない。酒に対する耐性があるように感じる。
「どうした少年、マジマジとこちらを見つめて。一口飲みたいかい?」
……前言撤回。酔ってるわ、こいつ。
酔ってなかったら子供に酒を勧めるような女じゃないはずだ。
「えーっ、良いんですかぁ? 子供にお酒飲ませちゃって♪」
「一口くらいバレないさ。それにせっかくの夜だ。私にも飲む相手が欲しい」
めっちゃ酔ってる。飲み仲間が欲しいからって子供に酒を振る舞うかよ。
なんて思いながらもボトルからグラスへとワインを注ぐための動き。
そんな何気ない仕草さえも美しくて、彼女に見惚れてしまう。
「えへへ、またボクとお姉さんの秘密が増えましたね♪」
ぜんぜん一口どころじゃない量のワインを受け取り、再び乾杯をする。
うおおお、これで水じゃなくて酒が飲めるぞ!
ホットドッグ食ってる時からずっと飲みたかったんだよなぁ。
「んくんく……はぁ――っ」
久しぶりに触れる酒がまず舌を焦がす。
ツンと灼けるような感触が喉に広がって胃に落ちていく。
……まるで、生まれて初めて酒を飲んだ時のような新鮮さ。
そして、すぐにドクドクと血が回り始めるのが分かる。
「初めてじゃ、なかったりする?」
「ふふ、まさか。ボクの初めてはお姉さんのものですよ」
実際この身体で酒を飲むのは全くの初めてだしな。
良い経験になった。元々の身体に比べてずっと酒に弱い。
まさか一口飲んだだけで、こんなに回るなんて思ってもいなかったぞ。
「――ハァ、さて」
しばらく更に飲み重ねたあと、上着を脱いで立ち上がるエステル。
そのままふらふらと風呂に進もうとしてベッドに倒れ込んだ。
もうハチャメチャに酔ってるな、こいつ。
「お風呂は明日にするよ、君はどうする?」
汗ばんだ額を拭いつつ、ベッドの上から送られる視線。
これはもう、そういうことだろう。
――飛び込むしかない、元よりベッドはひとつだ。
「おっと。大胆だね? 少年」
「えへへへ、ちょっと酔っちゃったみたいで……」
エステルお姉さんの身体に抱き着き、その胸元に飛び込む。
うっわ、すっげえ~。最初に感じた良い匂いをめちゃくちゃに感じる。
触れる肌が滑らかでドキドキしてくる。
「……こうして背中を撫でられると、お母さんを思い出します」
いつの間にか彼女の腕に抱かれたまま撫でられていることに気づく。
気づいたからそんな嘘を吐いた。俺に親はいない。母に撫でられたこともない。
ただ、フェリス陛下だけはそうしてくれた。
営みを伴わない同衾というものは、あれが初めてだった。
「そうか……良いよ、いっぱい甘えてくれて」
言葉のニュアンスから母親がいないことを悟ったのだろう。
完全にそういう言い回しになってしまったものな。
しかし、よくこんな酔っていて察しが付く。
――しばらくして、エステルが静かに寝息を立てる。
といってもたぶん不審な動きをしたらすぐに起きるだろうな、これは。
浅い眠りだ。そう感じる。
俺ももうすぐ眠るとして、妙に胸が高まっているのはワインだけのせいではあるまい。エステルというお姉さんに対してドキドキしている。こんな良い女と同じベッドで、しかも抱かれながら眠るのだ。まともな神経では眠れない。
……ドクの奴め、この身体には生殖機能をつけているな。
あるいはそうでなくとも性欲は戻るように造り上げた。
元来、俺は性欲を抱き始めるよりも前にそれを奪われている。
生殖機能を奪われ、性欲も併せて失った。
レイチェルという極上の女を捧げられて手をつけなかった理由がそれだ。
あいつと82年つるんで一度も抱かない男なんてタマなし以外ありえない。
それでも構わないと言ってくれたが、俺はあいつに応えることができなかった。
個体によっては去勢されても性欲は残るものらしいけれど、生憎と俺はそうではなかったのだ。
生まれ持った中性的な顔立ち、美を固定するために意図的にそうされた。
今の身体は使い始めたばかりで、以前の身体でも性欲は抱く前に奪われた。
だから、こんな状態になる前に気づくことができなかった。
――こんな女に抱かれながら眠るなんて正気の沙汰じゃないぞ!
指先までドキドキして血が巡っているのが分かる。
……ダメだ、ジェイク。
相手は100歳よりも遥かに年下の小娘なんだぞ。
それに、こんなところで女を抱いたら裏切り行為だ。
俺はスパイ小説の主人公ではないのだ。
「っ~~~!!!」
眠りに落ちて意識のないエステルがこちらの身体を余計に強く抱いてくる。
お、お前、人の気も知らないで!
ただの子供じゃないんだぞ、俺は! 中身は200歳近いんだぞ!
「あわわわわ……」
「ん……ごめん、起こしちゃった?」
「い、いえ、ごめんなさいお疲れのところ……」
こちらの僅かな声で目を覚ますエステル。
やはり浅い眠りだったか。
そうして彼女はさっき脱いだ上着から更にもう一枚脱いで布団を被る。
下着ではないものの、完全に肌着姿だ。素肌の美しさが目につく。
……これで同じ掛布団に拘束されてしまった。
「見慣れないものを見せちゃったんだ、眠れないと思うけど寝ておきな」
「はい、エステルお姉さん……」