第9話「――この奇妙な夜の、奇妙な出会いに」
「――じゃあ、今の私は何歳に見えるかな? ジェフリーくん」
30年前のことだ、名もなき宣教局のエージェントが勇者となったのは。
当時の彼が使っていたコードネームが”ヴェン・ライトニング”。
そして、眼前で微笑むエステルお姉さんも、同じ名前を使っている。
わざわざ幻惑の魔法を使って男のフリまでして。
「に、いや、じゅ……いや、にじゅ、うーん……じゅう……」
エステルがこんな質問をしてきたのは、公表されている勇者の経歴と照らし合わせて齟齬があるからだ。スパイ小説に詳しいマセガキ8歳ジェフリーくんが相手だから『公開情報と違うだろ? 気になってるんじゃない?』と質問してきている。至って真面目な質問だ。
……しかし、しかしだな。
女が聞いてくる『私って何歳に見える?』は地雷なんだよ。
当てたら当てたで微妙な空気になるし、外してもヤバい。
上に外したら失礼の極み、下すぎても露骨なお世辞になってしまう。
「ハハッ、そんな真面目にならなくていいよ、気軽に答えてみてほしいな」
「――17歳」
「なるほどね……うん、まぁ、それくらいだよ」
こともなげにはぐらかしてくるエステル。
こいつ、人に質問をしておいて実年齢は教えないつもりか!!
まぁ、生年月日のうち年が割れるだけでも良いことはないものな。
「奴隷解放戦線からもう30年は経っています」
これで最初の問いに戻る。勇者の活動期間とエステルの年齢が合わない。
約30年前に北方領で起きた奴隷解放戦線が勇者誕生のきっかけ。
――ここまでは公開情報。
ここから合わせ技で聞きたいことはいくつかあるが下手に喋るのは藪蛇だ。
知っていてはおかしいことを口走った瞬間に見抜かれてしまう。
「そうだね、実は私は50代のおばさんだったりして?」
「もしくは長命種のダブルクロスとか?」
なんかちょっと使い方が違う気がするけど、カッコいいから使った。
ダブルクロスって響きが良いじゃないか。
といっても、俺は本当の勇者を知っている。
そのうえで的外れな推測を投げた。ここで勇者は黒髪で燃える瞳を持つなんて話をし始めたらいよいよ一介の少年にしては知り過ぎている。
「ドラゴニュートとかヴァンパイアみたいな奴か。それも良い。
けど、実際の私はただの小市民だよ。
17歳の小娘……いや、君にとってはお姉さんかな」
人間離れした身体能力を持ち合わせてはいるけど、実際人間だろう。
宣教局が人間以外を勇者に据えるとは思えない。
薔薇に毒されてる連中はともかく、真っ当なのは間違いなく。
「となると、2代目とかですか?」
「ご明察。そんなところさ」
フッと笑ったお姉さんがワインのコルクを抜く。
受付のヤギがサービスにくれたワインだ。
……酒、飲むんだな、勇者様も。受け取った時は礼儀だけと思ったが。
「ああ、ごめん。私だけ先に」
透明なグラスに注がれていく真紅のワイン。
その所作、ひとつひとつに奇妙なまでの色気が宿っている。
やっぱこいつ、実は50代の長命種なんじゃないのか。
「お酒はまだ早いよね、今は水くらいしかないんだけど」
新しいグラスに自分の水を注いでくれるエステル。
長旅になるかもしれないのに平気で分け与えるんだな、この娘。
なんて思いながら彼女と同じテーブルを囲む。
「――この奇妙な夜の、奇妙な出会いに」
グラスをぶつけ合い音を立てて乾杯をする。
首元を緩めた彼女はまさに息を抜いているって感じだ。
もし、ここで俺が襲い掛かったら対応できるんだろうか。
なんてくだらない考えが脳裏をよぎるほどにリラックスしている。
「そういえばさ、どうしてあんなところに居たの?」
フッとこちらを見つめて、言葉をかけてくるエステル。
殺気を感じ取られたか。と思ったけれど考えすぎか。
しかし、今になってその話とは。ボロが出そうで厄介だ。
「あはは、ちょっと迷子になっちゃって。別邸に見惚れてたら。
そんな時に庭を走ってく勇者様を見かけてそれで……」
「なるほど。私のせいか――」
ニヤリと微笑む彼女に思わず見惚れてしまう。
不思議だ。まるで自分が本当に8歳の少年かのように感じてしまう。
彼女と、エステルと話しているとそう思ってしまうんだ。
「――好奇心は猫をも殺す。
男の子には多少の無邪気さも必要だろうけどほどほどにね?」
「肝に銘じます。ただ、おかげでエステルお姉さんに出会えました」
ある程度はリスクを取らなければ土俵に上がることすらできない。
そのことは彼女も良く分かっているはずだ。既に土俵に立っている彼女には。
「今宵のことは、誰に話すこともできませんがボクの一生の思い出にします」
「……弁えてくれている君が相手で良かった。
けど、墓まで持っていく必要はない。5年くらい黙っててくれればいい」
割と具体的な数字を出してきたな。
確かに勇者ヴェン・ライトニングの名を継いでいるのだ。
ある程度は、武勇伝が世の中に広まるのも見越してはいるか。
「分かりました。
あ、でも、話すときはお兄さんと一夜を共にしたって方が良いですか?」
「……どうだろう、もし僕が僕のままだったらそうしてくれると助かるかな」
エステルの姿のまま、ヴェンとしての声を出してみせる。
幻惑の魔法を使っていないとはいえ、かなり近い。
凄いものだ、こういう振る舞いの上に魔法を重ねているから盤石なのか。
「じゃあ、魔王様のことしっかり見ていないといけないですね?」
「その時まで、そうであるかは分からないけどね」