王太子殿下と侯爵
「殿下、サマセット侯爵がお見えになりました」
「分かった、部屋に通してくれ」
カミラとの結婚式の日程も決まり、通常の執務に加え式の準備にも追われ、多忙を極めていたある日の午後。
カミラの父であるサマセット侯爵が、私の元に訪れた。
「フェリクス殿下!お久しぶりにございます。……と言いましても前回お会いしたのが1ヶ月程前ですからまだそんなに時間は経っておりませんが、その後いかがお過ごしですか?この1ヶ月の間、娘カミラとの結婚の日取りも決まり、ますます王家とサマセット家の繋がりが深まり嬉しく思うと同時に、幼い頃より殿下を知る私としては大変感慨深いものがございます」
部屋に入ってくるなり笑顔で淀みなく言葉を口にする侯爵に、私は少しばかり眉を顰めた。
カミラの父であるサマセット侯爵とは、私が幼い頃からの付き合いだ。
微笑みを絶やさない柔和な態度とその雄弁さで、交渉の場や社交場を常に牛耳ってきた優秀な人物である。対人関係において、侯爵の右に出るものはいないだろう。
しかしその実、柔和な見た目とは裏腹に、性格は非常に冷めており、言葉巧みに相手の人となりを観察している節がある。
そうして分析した結果を元に、思うがまま事を運ぶことに長けた頭のキレる人物でもあった。
「相変わらずよく口の回る。言葉を多くして私の反応を見ようとするな」
「ははは、申し訳ない。それが私の性分ですから。癖になっているのです」
楽しそうに笑いながら、侯爵は悪びれもせず謝った。
カミラの父とは思えないこの性格で、侯爵は上級貴族の中でもそれなりの地位を得ている。
「全く、昔から変わらないな。……まあ良い。今日は手紙の件で来たのだろう?」
今日来た目的であろう本題を振ると、侯爵は襟を正し私に向き直った。
「はい、その通りでございます。殿下から頂いた手紙の内容に思い当たる節がありましたので、数週間ほど私なりに調査を致しまして……その結果をお伝えしようと、こうして馳せ参じたのです」
「推測の域を出ない内容だったのに、手間を取らせて悪かったな」
「いえ、全く問題ありません。娘のカミラにも関わるお話でしたから。それなりに得られる情報もありましたし」
そう言うと、侯爵は笑顔を消してふと真面目な表情になった。
「まず前提と致しまして、娘が見たという『予知夢』は、私自身あまり信用しておりません。なんせ、予知夢を見たという者は今までにも何人かいたと把握しておりますが、完全に予知夢の通りになったことは一度もありませんから」
侯爵の意見に、私はこくりと頷いた。
カミラから予知夢の話を聞いたときにも考えたが、私も侯爵と同じ意見だった。
『予知夢』という割に、見た者や周りの人間の動き次第で、回避出来てしまう。
場合によって似通った出来事が起きることもあるが、それもまちまちだ。
それに、もし何も行動を起こさなければ、本当に予知夢の通りになるのかも分かっていない。
はっきりしているのは、予知夢を見た者が「これは予知夢だ」と認識するということだけなのだ。
「その上で、殿下の書かれていた『魔物を意図的に発生させる事が可能かどうか』を今回調査した訳ですが……少々面白い情報を耳にしました」
「ほう、何か魔物を操る術でも見つかったのか?」
「操るまではいきませんが、似たようなものかもしれません。隣国ダーリントの知り合いから噂程度の情報として聞きましたが、魔物を凶暴化させ特定の場所に放つ方法があるかも知れないのです」
「……なるほど。それは興味深いな」
侯爵の言葉に、もしかするとと考えていた事柄が、少しだけ現実味を帯びてくる。
ことの発端は、魔物が国中に溢れたというカミラの予知夢の内容に、引っかかりを覚えたことだった。
魔物は本来、魔素の多い森に生息しており、魔素の過剰摂取により凶暴化した時以外は、人里に下りてくることは基本ない。
それにも関わらず予知夢の中では魔物が国のあちこちで溢れるのだという。
何か人為的なものを感じざるを得ない状況に、私は疑問を持ったのだ。
なんせ、この国の歴史を振り返っても、魔物が襲ってくることはあっても、それが同時期に各所で多発したことなど、一度たりとも無かった。
もしかすると魔素の異常発生によるものかもしれないとも思ったが、今のところそのような兆候も報告もない。
聖女が現れなかった時のために、対魔物用の武器や防具の調達、騎士団の特訓、私自身鍛錬を積んだりと、出来る限りの対策を取ってはいるが、そもそもの原因である魔物の発生を何とか出来るのであればそれに越した事はないと、私は、人心掌握に長け人脈もあるサマセット侯爵に手紙で調査を依頼したのだ。
「まず、殿下からの手紙で真っ先に思い出したのが、数十年以上前に起きた国境付近の交易路に魔物が出没した出来事です。交易路が魔物により壊滅状態となったことで使用不能となり、迂回ルートでダーリント国を経由しなければならず、商人たちは安くはない通行料をダーリントに支払うことになりました。交易路は魔素が少なく魔物が出ない場所だからこそ選ばれた筈なのに、まさか魔物が現れるなんてと当時も不思議に思っていたのです」
「確かにそう言った事があったと聞いている。結局、何故魔物が出没したのかも分かっていないと」
「そうでございます。原因は未だに分かっておりません。ただ、殿下の話を聞いた時、もしかするとダーリントが魔物を放った可能性もあったのではないかとチラと思いまして……」
侯爵曰く、交易路に魔物が発生した時、唯一利益を得たのが隣国のダーリントだった。
ダーリントは、交易路が使えなくなり迂回するしかなくなった商人たちから通行料を搾取し、それなりの利益を得たらしい。
今回、その可能性を見出した侯爵は、隣国ダーリントに住む知り合いの貴族にそれとなく情報がないかを探ってみたそうだ。その際、有力な情報こそ出てこなかったが、上流貴族の間でまことしやかに噂される話を聞くことが出来たのだという。
『稀にダーリントに都合良く凶暴化した魔物が現れる時があるが、それはきっと神がダーリントに味方しているからだ』と。
「知り合いの貴族は笑い話として話しておりました。まさか本当に神の仕業な訳がありませんから、もしこれが偶然によるものではないとすれば、殿下の知りたい情報に近いのでは無いかと思うのです」
侯爵は珍しく神妙な面持ちになる。
「そうだな。ダーリントが実際にそれを実現出来るのであれば、だが」
「はい、その通りでございます。結局、私の調査した話も想像の域を越えるものではありません」
「しかし、偶然が重なるのならそこには何か原因があると考えたほうが良い。引き続き探ってもらえると助かる」
私がそう頼むと、侯爵はこくりと頷いた。
「ええ、勿論です。予知夢の通り魔物が発生するのなら、国に多大なる被害が及びますし、今のうちに原因を突き止めておいた方が宜しいでしょう。……まあそれに、魔物が発生すると、殿下と聖女が共に戦った縁で恋に落ちてしまう可能性もある訳ですから、カミラが国外追放にならないためにも私は手は尽くしますよ」
明らかに何かを含んだ言い方に、私はジト目で侯爵を見た。
前に立つ侯爵はにんまりとからかうように微笑んでいる。
「全く何を言うかと思えば……。安心しろ。聖女と恋に落ちる予定も無ければ、カミラを国外追放にする予定もない。大体、侯爵なら私がそんな気が全く無いことくらい分かるだろう」
「それは理解しております。けれど、何事も『絶対』などないのです。念の為、言質を取っておかねばなりません。そうすれば、最悪殿下が聖女と恋に落ちてしまった場合でも、カミラの国外追放は回避させることが出来ますからね」
まあでも私は殿下を信用しておりますので心配はしておりませんが……と付け加え、侯爵は楽しそうにくつくつ笑った。
一癖も二癖もある侯爵に、敵であったなら手強い相手になるだろうと思いつつ、軽くため息を吐く。
その後、ダーリントの調査を含め、今後の話し合いを行い、ある程度の方針が決まった後、侯爵と共に一息つく。
「いやそれにしても、数ヶ月前に初めてカミラから予知夢の内容を聞いた時は、まさか娘が予知夢を見るなんてと驚きましたが、このままだと殿下は聖女と婚約してしまう!だの、殿下は私を愛していないから……だのと大騒ぎするカミラを見ていると、ああ殿下は娘から全く信用されていないのだな、と思わず笑いそうに……いえ、歯がゆい思いをしておりました」
敢えて傍観しておりましたが……いやはや無事誤解が解けたようで何よりですと、侯爵は紅茶を啜りながら私に言った。
「……本音が見え隠れしているぞ。まあしかし、あれは想いを伝えきれていなかった私が悪かった。侯爵に笑われても仕方がないな」
数ヶ月前、カミラの様子がおかしいと報告を受け、その理由を聞いた時のことを思い出す。
このままだと予知夢通りに私が聖女に恋をしてしまうと懸念したカミラは、大人しく過ごすようになった。
当時、私なりに誠実に接してきたつもりであったので、何故私を信用してくれないのかと腹立たしく思ったものだが、そもそも「愛している」といった決定的な言葉をカミラに告げてこなかった、私の落ち度である。
それは王太子である以上、弱みになるようなことを悟られてはいけないと教えられ、表情や言葉になるべく出ないように心がけてきた故なのだが、カミラにとってはそれが不安になっていたようだ。
最近は口や態度で伝えるようになったので、カミラの不安も少しは軽くなっていると思いたい。
「ははは、自分が悪いと仰るとは。……けれど、そうやってカミラの気持ちを考えて下さる殿下だからこそ、私は安心して娘を任せられるのです」
そう言って柔和に笑う侯爵に、私は少し後ろめたい気持ちになった。
信用されるのは嬉しいが、決して私は万能ではない。この前の毒殺未遂の時、そうだったように。
「いや……毒殺未遂の時、私は事前にカミラを守れなかった。侯爵もああいった事態になる前に私が守ることを期待していただろうに、私はその期待を裏切ったのだ」
あの日のことを思い出すと、今でも酷い焦燥感に襲われる。
無事に助かったから良かったものの、一歩間違えればカミラは命を落としていた。
不甲斐なさを陳謝しようとする私に、侯爵は困ったように笑った。
「そのことに関して私は殿下に何も言えません。……なんせ、あの夜会には私も出席していたのです。私もカミラを守れなかった。カミラが殿下の婚約者であることを反対する声もあることを知っていたのに、自分自身の人脈を過信して、まさか手を出す者はいないだろうと高を括っておりました」
沈んだ声でそう話す侯爵も、私と同じくあの日のことを酷く後悔していたようだ。
青白い顔でベッドに横たわるカミラを見て、愕然としていた侯爵を思い出す。
あの日のようなことは、もう二度と繰り返したくはない。
「そうだな。予知夢の件もある。次こそはカミラを守れるよう手を尽くす」
「えぇ、私も最愛のカミラを守るために最善を尽くします。……なんせあの子は癖のある性格故に、色々と問題を起こしやすいですからね。本当に一体誰に似たのやら……」
そう言ってやれやれと肩をすくめる侯爵に、「侯爵以外の誰に似たのだと言うのだ」と返すと「殿下もそう思いますか?実のところ、私もそう思っております」と侯爵は嬉しそうに笑った。
それからしばらく雑談をした後、紅茶を飲み終えた侯爵が「そろそろ頃合いですね」と席を立った。
「さて、そろそろ私はお暇させて頂きます。本日は突然の訪問にも関わらず対応して頂き誠にありがとうございました。こうして殿下と話をしますと、やはり殿下がカミラを婚約者として選んで下さって本当に良かったと心から思います。2人を引き合わせくれた神に感謝したいくらいです」
晴れ晴れとした表情を浮かべ神に感謝を述べる侯爵に、私は呆れた顔を向けた。
「何が神に感謝だ。カミラと私を引き合わせたのは侯爵だろう?」
そう言うと侯爵は、はてそうでございましたか?と、とぼけた顔を作った。
初めてカミラと会ったのは、婚約者候補を決める年になった時だった。
娘を婚約者にしようと考えた上位貴族たちからお茶会の招待が届くようになり、会うご令嬢全てがご媚びへつらう態度ばかりで、私は少々うんざりとしていた。
そんな時に、突然サマセット侯爵が私を訪ねてきて言ったのだ。
「殿下!他のご令嬢達にうんざりとしておいでなら、是非私の娘と会ってみませんか?私の娘は一味違いますよ!媚びへつらうことは致しませんし、我の強さなら天下一品です!」と。
一体何の謳い文句だと思ったが、そもそもサマセット侯爵家のご令嬢も婚約者候補にどうかと名前が上がっていたこともあり、少々興味をそそられた私は、侯爵の誘いに乗ってカミラに会いに行くことにした。
そして、侯爵の言う通り一味違ったカミラに、まんまと惹かれた訳だが……
「まあ今となっては、カミラと引き合わせてくれた侯爵に感謝している」
「ははは、そうでございましょう!もちろん娘を婚約者にすることで、我がサマセット家にメリットがあると考えなかった訳ではありませんが……それよりも、殿下であれば性格に癖のあるカミラを、十分に受け止めて下さるのではないかと思ったのです」
私の目に狂いはありませんでしたねと笑ったサマセット侯爵は、今後とも娘のことをよろしくお願い致しますと改めて頭を下げた後、いつもの柔和な笑顔に戻り、そのまま部屋を後にした。
次の日、私に会いに来たカミラと気晴らしに庭園を散策していると、思い出したようにカミラが私に問いかけてきた。
「そういえば昨日、父がフェリクス様に会いにいらしていたと聞きましたが、一体何の御用でしたの?」
「ああ、所用でな。……あと、侯爵がいかにカミラを愛しているかよく分かる話を語っていたな」
「もう!お父様ったら、お忙しいフェリクス様のお時間を何だと思っているのかしら」
お恥ずかしい限りです、帰ったら注意しておかないと!と、カミラは口を尖らせてブツブツ文句を言っている。けれど良く見れば、少し頬を染めて内心喜んでいることが見て取れた。
「まあそう文句を言ってやるな。愛されているではないか。それに、カミラと引き合わせてくれた侯爵には恩を感じているからな。忙しくとも時間くらいとる」
その言葉にカミラは目を丸くした後、そっぽを向いて何やらモジモジとしている。
「そ、それに関しましては私も父に感謝しておりますけれど……」
どうやら照れているらしいカミラに、「いい父親ではないか」と声を掛ければ「……私もそう思っております」と昨日侯爵から聞いたセリフを恥ずかしそうに口にした。
結婚式まであと5ヶ月の秋の終わり頃の出来事だった。