約束されし愛の余韻
エクス・マキナの後日談となります。あらかじめご了承くださいませ。読み方はエクス・マキナー。
俺とマキナが文字通りの永遠を誓いあって、一週間が経った。
目覚まし時計の音が鳴ったような気もするが、誰かに一瞬で止められた。俺の寝覚めは極めてよろしいのであまり関係ないが、諒子の方はどうだろう。
柔らかい。暖かい。
凄く、満たされている。顔を中心に、至上至福の柔らかさが感情を幸福で染め上げる。顔を上げると、月の瞳が俺を見下ろすようにパチリと開いていた。
「…………うふふ♡」
「おはよう、マキナ」
「おはよう、有珠希。ねえ、諒子がまだ起きないみたい。今の内にシてほしいな?」
「駄目だ。諒子が三日前に不眠症になりかけたのを覚えてないのか? お前があんまりはしゃぐから頭がおかしくなるかと思ったって、文句言われたんだぞ」
そんな彼女だが、今はぐっすり眠っている。手を握ると俺の存在が分かるのかいつになく幸せそうに微笑みながら、「式君……」と寝言を呟いてくれる。
俺達を取り巻いた一連の事件は、限りなく完璧に収束した。
確かに戻らない物もあった。何もかも元通りになったらそれが一番良かったなんてまやかしだ。元通りを望むなら俺は有珠にならなくてはいけなかったし、マキナと出会った事は忘れないといけなかった。コイツだけじゃない。先輩やカガラさん……こゆるさんや『妹』の事も。
だからこれで良かった。今を良しとする。それが俺にとって何より大切な事で―――もがいてきたその見返りが永遠の愛だというならこれ以上はない。
「だって貴方があんなに求めてくれるなんて思ってなかったのッ! 私も、頭がふわふわしてどうかなりそうだったわ! ねえ……本当にしてくれないの? キスくらいは……駄目?」
「…………それをやったら、なんやかんやもつれ込むだろうが」
兎葵との視界の共有が切れて、この密室。今となっては気にする様な事もなく、外に出る理由もない。何より隣には財宝さえ霞ませる黄金の輝きを持つ絶界の美女。これでまともな理性を保てる道理はない。
かねてからの望み通り、俺とマキナは恋人になった。
結婚を前提に。否、永遠を絶対に。
完全に部品を取り戻したマキナにスタミナという概念はない。満足するかしないかという指標はあるものの、毎度毎度朝まで頑張らないといけないのは中々どうして過酷だ。それでやっと満足してくれたと思って寝ると、気づけば彼女の谷間を枕にしてしまう。
何やらとてつもない思惑を感じるが、もう俺は気にしていない。こういうのを満更でもないと言うのだ。
「何よ。有珠希だって乗り気だったじゃない。あんなにスキスキ言ってた癖に……」
「好きなのは本当だよ。じゃなきゃこんな所には居ない。朝起きたらお前が居て、その度に惚れ直してる。これは嘘偽りない本音だよ」
「――――――ッ! 有珠希~!」
背骨をゴキゴキとへし折りながら強引に口づけを交わすマキナ。『傷病』との併用で命に別状はないが、想いを通じ合わせてからの彼女は本当に過激だ。繊細な気遣いが要らなくなったとばかりに全力で愛してくれる。
ああ、これも別に満更ではない。馬鹿力は今に始まった事ではないし、何より。
「……マキナ!」
「んっ…………強引、なんだから……♪」
俺が攻勢に転じると、彼女は一気に力が弱弱しくなる。まるでか弱い女の子を演出するように、抵抗しようとしない。そのいじらしさがまた癖になって…………いつものパターンだ。
『音』の規定により音が響かなくなった空間で、俺とマキナは互いの感触を口にする。声なき声で愛を呟きながら、身体を密着させて、体温を感じ取る。ゴロゴロとベッドを転がって、落下して。フローリングの上で唇を重ねる。マキナが下で俺が上。加速度的に拍動する心臓を突き合わせて、互いの瞳を見つめ合う。
「★△◆▼♪」
「…………!」
精神を共有し、分配する。
言葉だけでの愛ではない。どれだけお互いがお互いを愛しているのか。物理的には無しえない精神上のラブコール。マキナは目にハートマークを浮かべて、ニコニコと笑っていた。俺も自然と口角が上がって、笑顔を返してしまう。
「…………♡♡♡」
腹部を優しく貫いて、彼女は俺の心臓を優しく撫でた。キカイとしての愛し方は非常に苛烈だ。人間として全力で愛するからにはこういう好意の示し方も知らないといけない。俺もマキナも、まだ感情の全てを相手に伝える方法を知らないのだから。
「……………………ん。式、君?」
キカイの持て余した感情に暫く付き合っていると、諒子の声が確かに届いた。彼女に限った話でもないのだが、俺はどうも女性の寝起きの声に弱いようだ。不満そうに口を尖らせるマキナから離れて立ち上がると、学校の制服をパジャマ替わりにした諒子が目を擦って俺を見ていた。
「…………ぁれ。 マキナさん、は何処だ?」
「俺の足元だ。まあ色々あってな……おはよう諒子。流石に寝起きは悪いか」
「ん……………式君。こっち、来てくれるか」
ベッドに膝を突いてのそのそと彼女に近寄ると、諒子は不安定な重心を俺に傾けて、物理法則に従って寄りかかって来た。
「………………後、五分」
「いや、俺を枕にして後五分はない。さっさと起きろ」
「……なんか予定、あったか?」
「俺はないけど。今日はマキナと一緒に服を買いに行くんだろ? 言わなくても分かると思うがアイツは割と短気だから惰眠を貪ってたら怒られるぞ」
「ちょっとー! なーんか悪口聞いちゃった気がするんですけどー!?」
「式君は来ないんだった、か」
「女性服買う付き添いに俺が居るってのもな。それと、やっぱり正直な反応をしたい感じはある。お前にもマキナにも似合う服はたくさんあって、出来ればゆっくり見たい。周りが居たらほら……ちょっと遠慮するかもしれないしな」
「式君…………」
クデキの尽力によってクラスメイトは無事に植物状態を脱した。そこにハイドさんの尽力もあって、来月から学校も再開する。部屋着代わりに諒子は制服を着崩しているが、これも来月には直さなければ。
「分かるわ! リョーコも同じ気持ちなんでしょッ」
『刻』で諒子の背中に回り込んだマキナは、彼女を人形の様に抱きしめながら肩越しに俺を見つめた。
「有珠希に可愛いって言われたいのよね! せっかくこの幸せな時間を削るんですもの、うんと頑張りたいわよね!」
「え、え、え? わ、私そんな事…………!」
「うふふふ♪ もっと学んで、貴方に相応しいお嫁さんにならなきゃ♡ 今日は、なんて素敵な日なの!」
勝手に盛り上がるマキナを尻目に、諒子はじっと俺の方を見て、顔を上気させる。
「あ、あんまり見ないでくれ……ぅぅぅぅぅぅぅ」
「―――マキナ。あんまり虐めるなよ。諒子が困ってるから」
「えー? そうかしら。私にはむしろ喜んでる様に見えるけど」
「それじゃ、行ってくるわね!」
「おう。気を付けて……いや気を付けさせるのはお前か。諒子、ご愁傷様」
「私、死ぬのか!? だ、大丈夫だ。マキナさんは優しいから」
気遣いはしてくれるが、基本的にキカイは人間に興味を持たない。それはマキナに限らず、クデキだってそう。優しいと言われる分には嬉しいようで、マキナは諒子の頭を撫でてぬいぐるみのように愛でる。諒子は嬉しくなさそうだ。
「優しく……なさそうだな」
「式君。助けてくれ」
「ちょっと無理がある。諦めてくれ」
俺にも出来る事と出来ない事がある。仮に糸がまだ視えていも、マキナに糸が無い以上、何も出来ない。
諒子で遊ぶのに飽いたマキナが、不意に俺の方を向いて手を広げた。
「有珠希ッ」
「…………諒子が見てるぞ」
「優しいので良いわよ」
キカイと人間が恋人になった例、まして文字通り永遠の愛を誓い合った事例は過去を振り返ってもないようで。俺は人類最初にして恐らく最後の苦労をその身で味わう事になっている。恋人を『お嫁さん』と称するマキナは、底なしだ。初めての感情をどう処理していいか分からず、全てを俺にぶつけてくる。
「んっ……! んん……ちゅ」
飛び込むように唇を交わし、その身体を玄関に押し付ける。勢いに流されるがまま彼女は壁に背中をつけて、俺からの接吻を受け入れる。身体の間で潰れる柔らかさが、なんとも言えない興奮を煽った。
お互いの抵抗を封じるように両手を恋人繋ぎにして壁に留める。動かせるのは口だけで、それらは決してお互いを離さず貪る。
「大好き、好き、好き…………スキ!」
「俺もだよ……愛してるさ。永遠に」
行ってらっしゃいのキスと言うべきなのだろうか、これは。
結局、マキナと別れて外出するまでに一時間も掛かってしまった。
「……っていう訳なんで、遅刻は勘弁してください」
「んな理由で許されんなら恋人いる奴が得するだけじゃねえか」
二人と別れた後、俺がやってきたのはメサイア・システムの支部。今となっては殆ど本部かもしれない。俺の与り知る話ではないが、クデキがハイドさんにトップの座を譲ったようだ。トップがそこにいるならそこが本部なんて簡単な話ではないが、派閥争いから解放された事でハイドさんは肩の荷が降りたようだ。少し前と比べると、声に覇気がない。
「まあ何だ。キカイと親密で何よりだぜ。俺も片腕を懸けた甲斐があったな」
「その節は本当に済みませんでした」
「ああ、いい。謝んなよ。もう戻してもらったしな。てめえも手に入ってくれたなら何も言う事はねえ」
「なんて言ってるけど、実は割とねちねち文句を言っているんだよねえ」
「うるせえぞI₋n。てめえはお茶汲みだから余計な事は喋んな」
「シキミヤウズキ君。うちの上司はセンスの欠片もないと思わないかい? ゴスロリにお茶だってさあ。私にはもっと適任があると思うのだけど」
「例えば何ですか?」
「コーヒーとか」
「あ、そういう問題だったんですか……形から入るという奴ですね」
「形から入って、淹れてるのな」
応接室には俺の対面にハイドさん、机の横にカガラさん、そして俺の隣に未紗那先輩が座っている。来月からは先輩もちゃんと登校する様で、彼女のスーツ姿も今日で見納めだ。胸が苦しいのか中のブラウスを開けさせて、凄く目の保養になっていたのに残念だ。
「ああでも、ミシャーナはお子様だからコーヒーなんて飲めなかったね。ごめんよ」
「はあ? ……聞き捨てなりませんね。コーヒーくらい飲んだことあります。誰が飲めないなんて言いましたか」
「うーん。彼が一緒にいるからって見栄を張らなくても」
「張ってません! おかしな虚栄心を捏造しないで下さい! 式宮君、君も何か言ってあげてください!」
「子供な先輩って結構可愛いと思います」
「……………………」
何故自分をからかうのか、と先輩が睨んでくる。カガラさんは基本的に受け流してくるので、狙うとしたら九割九分九厘先輩になるだろう。やはり反応の面白さとか、どれだけ真に受けるかは重要だ。諒子も大概真に受けてくれるから可愛いのだし。
「あー……俺の眼の前で乳繰り合うのは結構だが、話が進まねえのは困る。そろそろ本題に入っていいか?」
「世界征服の為の一歩ですね。まあ征服の前に復興しないといけない気はしますが」
「そうだ。一先ず今日は会議だな。例えば世界各地に散った死体の処理をどうするか、とか。あれ自体は物だが遺族とかの問題がなあ……流石に面倒だろ? だから案を出し合おうぜ」
「その必要はないと思いますよ」
俺は目を瞑った状態で鳩尾を親指で叩いて、それから改めて前方を見つめる。
赤い糸が、視界を紡ぐように現れた。
「正解は分かります。俺に任せてください」
部品を巡る事件は終わっても。それでも世界は生き続ける。永遠を誓った俺に逃げ道はない。生の充実を得る為ならば、身体も張ろう。かつて俺を苦しめた力さえも利用しよう。症状を進ませた影響で、『意思』の規定なしにこの力は俺に染みついてしまった。使わない手はない。
「―――んじゃ、ボス。俺に指示を」
因果のみぞ知る俯瞰。俺だけに許されたこの力こそ、真の救世主機構。
さあ、手始めに世界を征服しようか!