07 王子様は聖女様の胃袋に呆れる(牡丹鍋 リンゴ皮むき)
北辺の子爵領で、また聖女一行と一緒になった。
晩餐時に子爵が、「当方の領で名物を作りたいのだが‥‥」、と話し始めた。特に今の時期、冬季向けに何かないだろうか。風光明媚な土地なので、観光客には困らないのだけれど、冬場だけが閑散としているという。聖女が応える。
「お食事ですかね。海産物だとブリ鍋とかカニ鍋、アンコウ鍋なんですけれど‥‥。えっ、獲れないのですか。じゃあ、陸地のものなら、ニワトリとかブタとか。ああ、すぐに他所で真似されてしまいますね。
イノシシはどうですか。この付近特有ですけど。えっ、『臭くて食えたものではない』。じゃあ、臭いを無くせば名物になりますよね。その方法をマル秘にして‥‥。やってみましょうか。ふふふふふ‥‥」
ということで、調理場に協力を仰いで、なにやら段取りを始めた。
手配されたのは、血抜きして捌いたイノシシ肉が1頭分と、大量の牛の乳。野菜はネギやニンジン、キノコ、白菜など。薬味としてユズとか唐辛子。それにバター。
まず、イノシシ肉を雪中に埋めて少し凍らせる。そして、包丁をよく研いで、肉を薄く切り出し、その肉を牛の乳に漬けておく。野菜を食べやすい大きさに切り刻めば、下準備の完了。
2日後、みんなが調理場に集められた。
なんでも、鍋をグツグツと煮立てるためには今のところ、この場所しかないのだという。立食パーティーだ。
カマドに大鍋が掛けてあり、湯が沸いていた。そこにイノシシ肉と野菜が放り込まれ、頃合いを見て聖女がバターを投入し「出来上がりましたあ」と声を上げた。料理人が手皿によそってくれた。
薬味を少々振りかけて、フォークで肉を口に放り込む。おおっ、イける! 美味いではないか。
聖女も何度もお代わりしていた。痩せの大食いか。
あれよあれよという間に皆で食い尽くしてしまった。
ところで、これを商売とするなら、部屋の真ん中にイロリというものを設置して鍋を煮立てればよいという。イロリは暖房が主目的で、天井に設ける煙り抜きが大掛かりらしい。ということは、ほかでは真似のできないものとなるわけで、この地方独特の冬の名物になりえる。
子爵は大乗り気となった。イロリの構造を詳しく尋ねていた。木材を乾留した“スミ”というものを用意できれば、煙の心配は少なくなるそうだ。
イノシシ肉の臭い対策には牛の乳よりも“ミソ”という調味料が最高らしい。ミソならば、肉をそのまま皿に盛って客に提供できる。薄い肉を花びらが重なったように見せることができて、連想する花の名からボタン鍋とも呼ばれる。わが国ならさしずめバラに見立てて“ローズ鍋”か。ただミソは、作るのが難しい。研究したらということで、これも子爵の課題となった。
聖女は、伯爵領での馬肉といい、こういう話になると止まらない。食い意地が張っている。うぅぅん、これは肉食系というやつか。ちょいと怖い。
◆
オレが子爵領を訪れた本来の目的は、河川の堤防工事を確認することだった。3年前の氾濫で決壊した部分はすぐに修理されたものの、50年に一度の大雨に備えるには堤防の補強が必要として、王宮が補助金を出している。
どうして早急に工事を完成させないのかと子爵に問うと、被害にあったのは河原者と呼ばれ、一般の農民からは蔑視される人々だという。堤防の際という浸水しやすい場所に住んでいる。地主に耕作地を借りる小作人にはなれず、川の中州を耕さざるをえない境遇で、損害は計り知れなかった。そこで、彼らに定職を与えるために工事を10年間続ける計画。その後も他の工事を続ける。親が稼げて子どもが労働しなくてもよい環境としておいて、初等学園を一定の条件で無償化し、通わせることに成功した。しかし他の者たちからの嫌がらせが多く、苦慮しているという。
聖女によれば、同じ境遇の人々は、数が少ないものの王都の中にも存在するらしい。
そうか、初めて耳にする話だ。為政者として恥じる。蔑まされていることに対する底上げが却って厚遇と曲解されて、さらに妬みをうむなど、とてつもなく重い。
◆◆侍女語り
お嬢様と第2王子が最後に顔を合わせてから少々日数が経った。ということは、私ローザとイアンも疎遠ということだ。たまには公私混同もいいかな。ヤツから送られてきた日程を睨むと、北辺の子爵領で落ち合えることが分かった。随行神官に相談して了解を取り、手筈を整えてもらった。同領は観光地なので、お邪魔虫の我々はオフシーズンの冬に訪れるのが礼儀というものだ。
そりゃあ、いうなれば、この国の2大賓客で、子爵領のメリットは計り知れない。それに両方とも小じんまりとした一行で、対応が楽だ。もちろん、大歓迎を受けた。
子爵の要望から始まったイノシシ鍋パーティーの後、皆が晩餐室で寛いでいるときだった。お嬢様が部屋付きメイドに何かを言づけられた。そして運ばれてきたものは、カゴに山盛りとなった赤いリンゴだ。まな板と包丁などもある。そして何故か護衛のイアンが呼ばれた。私を含めてみんなが訝しんだ。お嬢様がイアンに申される。
「よく見ててね。同じようにやって」
ボウルの水で手を洗い、1つのリンゴをパカーンと半分に切られた。えっ、皮を剝かないの? さらに半分に、また半分に切り、全部で8個となった。それぞれの芯を取ったのち、皮の部分に切り込みを入れた。そして一端から表皮を剥くと‥‥なんだ、これ?
「ウサギに見えないかしら。耳が2つ」
次々と8個に手を加えていく。早い。
「この皮に栄養が詰まっているのよ。リンゴを皮ごと食べることを『医者いらず』ともいうわ。でも、食感がイマイチよね。だから、こうするの」
「見てた? やってみて。包丁の使い方に、コツがあるのよ」
自分の完成させた8個を2つの小皿に盛り付けて、王子と子爵に手渡された。
「どうですか? お口に合いますか?」
「ああ、これなら皮ごと食える」
「よかった。これから毎日、リンゴを1個分、召し上がってくださいね。皮には万病を予防する成分が含まれているんです。出回る季節だけですけどね」
そりゃあ、今まで王族や貴族が皮付きのリンゴを出されたことは無いだろう。そういう発想自体が無い。
おっ、イアンは中々器用だ。慣れてきたようで、どんどん完成していく。
お嬢様がイアンに向かって申される。
「殿下はあちこちに視察に出向かれるから、全ての厨房に同じようにリンゴを給仕してもらうのは無理よね。だから、お願い。頼りにしているわ」
そして、小声でイアンに耳打ちをされる。
「殿下に包丁を持たせては駄目。不器用で血を見る」
はははっ。笑うしかない。
こりゃあ“リンゴ潰しの鹿男”のコードネームは変更の必要がある。“リンゴ切りのウサギちゃん”だ。その後、イアンの切り分けた分が皆に振舞われた。
それにしても、お嬢様の王子を思う気持ちと行動には驚かされる。
2022-03-23 投稿 イノシシ鍋の作り方はネットで調べただけです。実際に試しているわけではありません。
2023-09-03 外国でリンゴは皮を剥かないで食することが多いようですね。ネット上で真ん中をくり抜く芯抜き器などという道具を見つけました。横にスライスするとか、異文化には驚くばかりです。