04 聖女様はお給金を上げてほしい(手形色紙 七五三)
王都の神殿に戻ると神官長の執務室に呼ばれた。私が就任してそろそろ1年になる。ねぎらいの言葉でも掛けてもらえるのだろうと思っていたら、とんでもないことを言われた。
「もう1年やってもらう。これは神殿と王宮の総意だ。君のご両親も了解済みだ」
ぐぐぐぅううう‥‥。本音を言えば聖女の仕事は満更でもない。ただ、そろそろ父親の仕事を手伝って、将来のためにさまざまな経験を積みたいと考えていたから、方向性が少々異なるだけではある。
「では、給金を上げてください」
と申し出ると、神官長いわく、
「確かに君は大きく貢献してくれている。領主たちにも民衆にも大人気だ。ただ、それが神殿の収入増に結びついているかというと、なかなか難しい。聖女を各地に派遣する費用もカサんでいる」
そりゃあ、嘘だ。参拝者の増加に合わせて賽銭は増えているし、領主の寄進だってウナギのぼりだ。おまけに遠征時の宿泊代は先方持ちだ。会計監査をしてやろうかしらん。
くそぉ。じゃあ、聖女の存在自体が収入に直結するなら文句がなかろうと、前世の知識をフル動員して考えた。相撲力士の手形の聖女版はどうだろう。手のひらにインクをつけて紙に押し付ける。その傍らに“聖女アリシア”とサインを入れる。聖女の御印のハンコも押す。試しに100枚を作って、参拝者を呼び込んで売ろうとしたら、
「聖女の直接の金銭授受は御法度である」
と、神官長に取り上げられてしまった。販売の手数料や管理費、それに文字通りの寺銭という名目の経費を引かれ、材料代を除いたら、私の取り分は1割にしかならない。しかも、「暇なときに作っておけ」と、1千枚、2千枚の白紙が自室に届けられるって、どういうことよ。
それなら、と思い出したのは七五三。子どもの成長を願う祈祷式を有料で執り行う、ってのはどうだろう。神官による洗礼式とは別。聖女が特別に子どもの名前を唱えながら頭を撫でるところに価値がある。時期限定で10人とか20人とかをまとめると効率がいい。体験型だから祈祷料をそれなりにいただける。
提案したら即、採用されて、「よくぞ思いついた」って特別報奨金をもらった。ところが、毎度の祈祷に対する私の取り分は無しだった。聖女としての勤務時間内の“労働”だから、給金に含まれる理屈だという。
なんだよぉおお‥‥。自分自身の労働を強化してどうするんだぁああ‥‥。
◆
久しぶりに自宅に帰った。いわゆる“宿さがり”っていうやつ。といっても朝夕のお勤めは果たさなければならないから、昼を挟んだほんの数時間だ。神殿から歩いて10分の距離とはいうものの偶にしか帰れない。まあ帰ろうとも思わない。聖女とバレないように町娘風の格好で、侍女と共に帰宅した。
事前に知らせていたけれど父は留守だった。母だけが迎えてくれた。まあ、よもやま話に花が咲くといったところ。店の商売は順調なようだ。今年になって外国に1つ、支店を増やしたとのこと。弟は今年から父に連れられて地方回りを体験しているという。近所の3歳年上だった男の子が結婚したとのこと。どうも私に気がある風だったが、聖女の任期が伸びたことに痺れを切らしたのではないかと噂になっているらしい。さもありなん。
ここで母が私の目をマジマジと見て、のたまう。
「結婚を考えてくれなんて言わない。父さんも同意見よ。ただ、貴女自身はいったい何をしたいの? 預かっているお給金が大分貯まってきた。これ、どうするつもり?」
うぅむ。ずっと、世界を股にかけた商売を夢見ていたけれど、漠然としたものだった。それを具体化するために父の仕事を実地に学びたかったのだ。
でも、今は聖女で手いっぱい。そう、神官長をはじめとした皆さんが血眼になって収入を増やす算段に取り組んでいる。もちろん、それが神殿の果たすべき役割を考えての行動であることは解りかけてきた。改めて考えると、私も同志という心地になってきている。とりあえず現在は聖女の立場に心血を注ぐしか選択肢がない。
「今のところ、使う当てがないのよ。このまま預かってほしい。もし、お店で資金が必要になったら年1割の利息で貸すわ」
「へぇー、チャッカリしているのね。父さんに話してみる。そのときは証文が要るわね」
資金運用で年1割なんてタカが知れている。自分で事業を起こすほうがずっといいし、面白い。でも今はそんな情熱が湧かないし、金額も足りない。目減りさせない程度のものだろう。娘の稼ぎを親に取り上げられないだけでも幸せな環境といえる。
まあ、母とのやり取りで私の気持ちは整理できた。
◆◆侍女語り
お嬢様が神官長執務室から戻って来られた。
「もう1年、やることになっちゃったわ」
イアンから聞いていたので、驚きはしない。
「私の侍女を続けることでいいのかしら。なんなら、父に言うわよ」
「はい、このまま続けます。よろしくお願いいたします」
と、即答した。
お嬢様は心配してくださるが、オニワバンの我々は墓石の下まで保証されている。手当は小遣い程度ではあるものの、衣食住が全て賄われる上に、いつまでも働ける。病気や老齢で動けなくなったら、本店か支店の離れに部屋を当てがわれて、お陀仏になるまで生きていける。気心の知れた者同士でノンビリ暮らすのは楽しいという。夫婦も有りだ。
ただ10年か20年に一人、抜けたいという者が現れるらしい。賭け事にハマるとか、オニワバン以外と男女の仲になるとか。そのときは年数と働きに応じて退職金が支払われる。結構な額になるというが、手首に本人しか確認できない入れ墨をされる決まりだ。二度と戻れないと本人に自覚させるのだという。不思議なことに長生きできたタメシがないらしい。
まあ元来、そんな心根の弱いヤツを仲間にはしない。
それに対して、お嬢様は行く末に不安を持たれるだろうな。実家へ戻られたとしても、オニワバンの一員ではないから長く居つづけることは出来ない。考えられるのは、一人で生きていくか、誰かと所帯を持つかだ。まあ、イアンと私の間では、王子とクっ付けることに決定しているけれどね。
相撲力士の手形って、四角い厚紙である色紙を使いますよね。それに朱色で手のひらを押して、名前を黒い墨で添え書きします。力士の手は大きいから、較べるという楽しみもあります。聖女の小さい手だとどうなんでしょう。
七五三の祈祷を神社で受けた話を友人がしてくれました。祝詞に住所と子どもの名前を読み込んでもらえて、お土産として千歳飴にお守り、護符、それと瓶入りの御神水をもらえたといいます。結構な原価を掛けるものなんですね。貸衣装を身に着けて出かけて、写真館で撮影したとのこと。お宮参りもあるし、この分野も大きな需要がありそうです。あっ! 異世界でも厄除け祈願はどうでしょう。