17 元聖女様は白馬に乗った元王子様が(氷像彫刻)
おかしい。本当に、おかしい。
ベッドの上で、夫、すなわち、国王が触れてこないのだ。私たちは新婚以来、ずっと同じベッドで横になっている。
えっ、どうしたの。なにがあったの。
そんな状態が1か月も続いた。
実に奇妙。変だ。
そう、4か月前の戴冠式の夜は、疲れているはずなのに、若い頃に様に情熱的だった。それはそれは、こちらが困惑するほどだった。
即位後の寝室は、前国王夫妻が使っておられた部屋に代わった。激しく迫る行為がしばらく続いた。だから、場所が新鮮だったのだと思っていた。
それなのに、1か月前にピタリと止まった。どうなっているのだろう。
私に魅力が無くなったのか。
いやいや、朝のランニングを欠かさず、エアロビクスにも励んで、体形を維持している。美容だって、侍女たちが王太子妃時代以上に張り切ってくれている。表情筋も鍛えているし、老いは感じない。
浮気だろうか。
いやいや、あの護衛が付いている。謹厳実直を絵に描いたような彼の目を盗んで出来るわけがない。成人のときよりずっと付きっきりで全ての行動を把握している。それに、令嬢にシナをつくられたって、侍女の素足を目にしたって、なびくわけがない。この方面に関しては、とてつもなく臆病で小心者であることを知っている。
病気だろうか。
いやいや、我々の優秀な御殿医が見逃すわけがない。精神的な病なら、何かの兆候があったはずだ。けれど、1か月前にそのような事件は思いつかない。食事の中に何かが入れられた可能性も無い。厨房と給仕の連携は完璧だ。
直接、本人に訊ねればよいのだけれど、何か気恥ずかしい。私からネダるのは無理だ。
思い余って義母である王太后様に相談してみた。
「ううぅん。確かに変ね。
あちらの欲望に弱いあの子が1か月も!
考えられない!
うちのヤドロクは、ガンガンくるわよ。退位してから、ますます元気」
それはよかった。お二人が上手くいっているのは何よりだ。
「まだまだ若いのだから不思議よね。
そうだ。気晴らしに2人で旅行に行ってらっしゃい。
北辺の子爵領はイノシシ鍋が有名になったというわ。あなたが切っ掛けだって聞いているわよ。
精力増進よ。雪降る夜にシッポリなんて、ロマンチックね。
夫に強く勧めるように言うわ。宰相たちにも根回ししておく。まかせなさい」
そんなわけで、冬だというのに出かけることとなってしまった。我が夫が母親に逆らえるはずはない。国王就任の一連の行事が一息ついたという口実が通った。少人数のお忍びだ。聖女時代に共に数日間を過ごした記憶がよみがえる。夫は、この旅の主目的を知ってか知らずか、いやに素直だ。一言、「肉食系だったな」とポツリと漏らした。意味が分かっているのだろうか。
しばらくお世話になる領主館は昔のままだった。子爵は子息の代へ替わっていたけれど、大歓迎された。もちろん、騒がないでほしいと、あらかじめ伝えてあったが、国王夫妻の訪問だ。下にも置かぬモテナシよう。特に私は恩人扱い。味噌も開発できて、イロリでいただく鍋は大人気だという。
「賑わいは、夏場に引けを取りません。年中、コンスタントにお客様がみえられるようになり、雇用が安定しました。却って人手が足りないくらいです。鍋も、シカとかカモ、サケとかブリも出せるようになりました。すべて堪能していってくださいね」
「残念なのはオンセンです。『聖女降臨の湯』を何度も視察して、羨ましくて仕方ないのですけれど、出ないものは出ないのです。
しかたがないので、代わりを考えたんです。寒い気候を逆手にとって、氷の彫刻を並べ始めました。ところどころに明かりを灯して、幻想的だと評判になり出しています。地域総出で作るので、大きさも数も壮観ですよ。明後日がピークです。ご案内します」
おおっ、それは楽しみだ。夫も、やっと顔をほころばせた。
その夜はギンギンに冷えていた。夜空は晴れ渡り、星が降るようだ。氷像は10組ほどだろうか。クマやウサギ、トナカイとソリもある。大きな宮殿は見事だ。ところどころに点されたロウソクが効果的だ。薄っすらと被った雪が小憎らしい演出をしている。
中でも10騎ほどの騎馬隊は、写実的にできていて見惚れた。馬も立派だけれど、騎乗する騎士の面々が強そうだ。
ただ、先頭の馬だけ空だった。不思議に思って案内人に訊ねると、
「跨ってみてください。隊長になった気分を味わえます」
という。領主が、我が夫に「ぜひ」と勧める。
実をいうと、夫は運動音痴だ。情けないほどに身体能力が無い。足は遅いし、筋も硬い。バランス感覚は皆無で、石を投げても的に当たらない。だから、乗馬なんかは無理中の無理。心配で近づけることさえタメらう。
だから、動かない馬なら大丈夫だと判断した私たちは正しい。
踏み台を使って鞍を跨いだ。ヘッピリ腰に見えないことも無いけれど、私が声を掛ける。
「キャーっ、白馬に乗った王子様!」
今は王様だけどね。本当にそう見えた。期待が八割。
とたんに、夫の身体が一瞬、ボワーンと光った。
えっ! ロウソクの反射? 燃え移った?
そして硬直した。あっ! いくらなんでも不自然だ。
えええっ! 身体が傾き出した。護衛が慌てて駆け寄り、支える。はやい! 氷像から下ろして、横たえる。どこも打っていない、よね。頭も無事。
ところが、動かない。目は閉じていて、クチビルだけが微かに揺れる。何を言っているのかは分からない。熱は無い。脈も正常。もちろん皆、大慌て。直ぐに宿舎の領主館へ運び込む。寝台に寝かせる。
お医者さまが診察していわく、「暗示のスイッチが入ったのでしょう。深層心理に働く催眠術みたいなものです。一晩寝れば解けます。だいじょうぶ」
そうは言われても、私は心配。ここへ来たのは私のわがまま。申し訳ない。どうか早く目覚めて、と寝かせたベッドの傍らに寄り添って祈る。
えっ? なになに? クチビルが動いているけれど、何?
「ハ・ク・バ・ニ・ノ・ッ・タ・オ・ウ・ジ・サ・マ」
こ、これ、ニ、ニホン語? ニホン語だよね。まぎれもなくニホン語。
瞬きもできずに見つめる。
「シ・ン・カ・ン・セ・ン」 ええええっ!
「シ・ン・バ・シ」 えっ! 近づいてきた。
「サ・サ・ボ・ウ」 ぎゃー! 前世での私のアダ名。
クチビルの動きが速くて読み取れなくなった。私の頭は大混乱。何も考えられない。でも、病気ではないみたい。なんだ、転生者だったのかぁ、と思うと、何か、ホッとした。緊張感が解けて、夫の傍らに打っ伏し、いつしか寝てしまった。
気が付くと、あたりは明るくなっていた。顔を上げると、夫は半身を起こして、窓の外を眺めていた。雪が所々に残る朝の冬景色だ。
だいじょうぶですか? と声を掛けてみる。「ああぁ」
何か、召し上がりますか? 「うん」
侍女を呼んで、朝食を頼んだ。
盆をベッドの傍らに置いたが、動かない。
スープが冷めますよ、と声を掛けてもそのまま。
スプーンを口元へ持っていくと、微かに開けた。注意深く飲ます。パンを千切って口に入れる。
まるで病人だ。二人とも病気らしい病気をしたことが無いから、こんな世話を焼くのは初めて。新鮮でもある。
「ありがとう」と、言葉を発した。よかった。
私が分かりますか? という問いには、「ア、アリシア」とシッカリした口調で答えた。しかし、マブしそうに目を細めてこちらを見ている。
そこで、前世のアダ名を投げかけてみる。
「タロイモ?」
もう一度。今度はゆっくり。
「タ・ロ・イ・モ なの?」
細めていた眼が、カーっと見開いた。固まった!
見つめ合って、そのまま小半刻。
やっと「ササボウ か?」と尋ねてきて、「うん」と応えた。
両腕を伸ばしたので、近づいて胸の中に納まると、背中に腕を回される。こちらも同じようにする。耳元で会話を交わす。
「さっき、思い出したの?」、「ああ」
「前世のこと、全部、覚えているの?」、「いいや、ササボウのことだけ」
「白馬に乗った王子様って何なの?」、「おいっ! 迎えに来いって言ったじゃないか」、「はははっ、そうだっけ?」
「馬の上で自分が光ったのは、分かったの?」、「いいや。オレも光ったのか?」、「そうだよ。ボワーンて、光った。えっ? 『オレも』の、『も』って何?」、「戴冠式の女神役で光ったんだよ。そのときは分からなかったんだけど、3か月後に気が付いたんだ」、「へー、知らんかった」、「それで気後れして、触れられなくなってしまった。ごめん」、「はははっ、これで二人、一緒だね」
たわいもない言い合いを続けていたら、あたりが暗くなってきた。私のお腹がグーと鳴った。顔を見合わせて笑い合った。侍女に頼んで夕食を運んでもらった。食欲を満たして、湯浴みを終えたら、ベッドの中へ引きずり込まれた。
急に腹が立ってきた。前世もそうだった。この異世界でも、この男は自分勝手ばかりだ。無性に怒りがこみ上げてきた。もう遠慮はしない。こちらが好きなようさせてもらう。ギッタンギッタンに攻め立ててやった。子細は想像にお任せする。窓の外には雪がしんしんと降っていた。
王宮に帰ってすぐ、王太后様にご報告申し上げた。仲直りできたことと、子爵領での食事や氷像祭のことをお話しした。夫が転生者だった件は伏せた。それは二人だけの秘密にした。なにせその記憶は私たち二人以外に全く意味をなさないものなのだ。
しばらくして私の妊娠が発覚した。この歳でと呆れられるかと思ったけれど、皆、祝福してくれた。秋には無事、女の子を産んだ。夫が滅茶苦茶に喜んだ。
前世では生涯を“おひとり様”でとおしたのに、4人の子持ちとは幸せ過ぎる。もう、この次の転生は無いなって思った。
ははっ、ご都合主義の公私混同ですね。「白馬に乗った王子様」のシチュエーションを思いついたので8か月ぶりに追加しました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。前世での二人の因縁は、『21話 漂流郵便局に届いていた葉書』です。
東北工業大学の研究によると、人間も発光するんだそうです。ただ、その明るさは知覚できる強度の1/1000程度と極めて弱いとのこと。「ヒトの生物発光」で検索してみてください。





