【42】邪気
運命の劇場へようこそ
北原のグリスン谷に住む少年ウィリスは、冬の神「冬翼様」と出会い、新たな道を歩みだす。
拙作ダーク・ファンタジーTRPG「深淵」の世界観を元に描き出した幻想物語。
魔道師は、虚実を弄するという。
魔法を使うがゆえに、彼らは言う。
「魔法は最後の手段である」と。
それが人の定め、それが人の子の限りである。
そこで、さらに魔道師は問う。
「人の定め、人の子の限りに、意味はありや?」
それは散文的な問いではない。
実証的な意味合いを持った問い。
ウィリス11歳の夏。
夜語りの天幕はおぞましき邪気に包まれる。
《棘のある雛菊》あるいは《棘を持つ雛菊》
そう、彼女は呼ばれている。
ゼルダ婆が「姉上」と呼ぶのは、どう見ても人形めいた十代の少女だ。
名を確か、エリシェ・アリオラ。最初の名はすでに魂とともに、魔族の公女に捧げられ、いまや人ならぬ身という。
「お前の目で見てはならぬ」
とも、婆に言われた。
邪気に当たると。
今、まさにそうだった。
ウィリスは悪寒のために、視界がぐるぐると揺らいでいた。天幕の床に敷き詰められた毛皮の上に傾いていく自分を止められない。
まるで、あの夜のようだ。
風見山の夜、水魔の群れに襲われ、グリスン谷の兵士たちはまるで兎のように、次々と殺された。ウィリスは何も出来ないまま、ただ、夜の森を逃げ回り、友の死を見つめるしかなかった。ああ。
まるであのときと同じだ。雪狼への祈りも忘れ、何にも出来ない。
ウィリスはただ、婆からもらった護符だけを握りしめ、歯をかみ締める。
「そう、ウィリスの目は素晴らしい」
少女は片手を上げる。
「見えなければ、幸せなものを」
波音がした。
それは天幕の中を飲み込んだ。
まるで、沼の瘴気のような、淀んだ何かで。
「がっ」
喉が詰まったようなかすかな声を上げて、最初に婆が倒れた。
巫女たちが後を追うように、かすかな悲鳴を上げて崩れ落ちる。ラゼなど、何を見たのか、目と鼻から血を吹いている。
雪狼は瘴気によって粉々に砕かれ、天幕の外へ吹き飛ばされていった。
「さすがに、年か、ゼルダ」
と、少女がほほ笑むと、さらに、沼の瘴気が濃くなる。
兵士たちがうめきながら、落ちるように毛皮の上に倒れる。騎士のグレン卿はかろうじて座っているが、手をかけた剣を引き抜くだけでもはや脂汗を流している。
全力を振るい、腰の短剣を少女に投げた。
キンッ!
何か金属めいた音がして、短剣は少女の目の前で弾かれ、騎士の肩越しに跳ね返った。
「な、何が?」
騎士の目には少女の姿が揺らぐばかり。その前後に鏡めいた何かが垣間見えたが、少女と目を合わせた途端、騎士の心は戦場の悲嘆で満たされ、流血と腐臭で吐気がした。
「おぞましい」と、マリュアッドの騎士はうめく。「その皮の中身は、水魔よりも邪悪な汚泥の塊か」
「これは《棘》どころではございませんな」
唯一、ディルスだけが平然と立ち上がった。
どうやら、獣師だけはこの時の対策をしていたらしい。
「獣師か?」と《雛菊》。「我が前に、無傷で立つとは」
「これ以上は影響が大きすぎますよ」と片手を振ると、袖の中から使い魔の黒猫、シアンが飛び出し、ウィリスに駆け寄る。瞬間、ウィリスを包んでいた邪気がすっと消え、ウィリスはそのまま、意識を失っていった。
意外にも心地よい闇に落ちる直前、魔道師たちの声が聞こえた。
「これで、予定通りですかな?」
ディルスの声とともに、ウィリスは誰かに優しく抱き上げられた。
「つまらぬ」と、《雛菊》は呟いた。「獣師同士の盟約か?」
「いえ、取引ですよ」とディルス。「彼の地で魔族に会えるならば、我が研究は完璧となる。まあ、それに学院の手前、謹慎しているのもそろそろ飽きましたから」
そうして、ウィリスの意識は途絶えた。
★本作は、朱鷺田祐介の公式サイト「黒い森の祠」別館「スザク・アーカイブ」で連載され、64話で完結したものを転載しているものです。
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