【35】闇の声
運命の劇場へようこそ
北原のグリスン谷に住む少年ウィリスは、冬の神「冬翼様」と出会い、新たな道を歩みだす。
拙作ダーク・ファンタジーTRPG「深淵」の世界観を元に描き出した幻想物語。
策謀を語る者を恐れるべし。
策謀を知ることもまた策謀の内。
ウィリス11歳の夏は早くも終わろうとしていた。
暗殺と政争、11歳の少年には重すぎる己の存在。
「僕は……」
途端に、眩暈がした。
その手の甲に一滴の真紅の血潮が飛んでいた。
心臓が割れ鐘のような激しい鼓動を打ち始めた。
もしかして、毒の刃がかすっていたのか?
「おい、ウィリス!」
グレン卿が彼を支えようとした瞬間、黒猫が視野を横切り、ウィリスの意識は断ち切られた。
死は正しき終わり。
終わりなくば、節度もまた無し。
誰かがささやく。
----
夢を見た。
ウィリスは、果てしなく広がる雪原の中央に立っていた。
あたり一面、目を覆わんほどの激しい吹雪である。
しかし、冷たくはない。ウィリスにとって、冬は友なる地。
雪狼の遠吠えを道連れに、永遠の冬に住まうのが、ウィリスの定め。
ただ、ひとり。
ただ、ひとり。
----
ゆっくりと意識が戻ってくる。
誰かが枕元で話していた。
「ずいぶん、早かったな」とゼルダ婆が言った。
「予期されておりましたが……」とエルナ。これはやや困った声。
「グレン卿が来てくださって助かりました」
どうやら、場所は姫巫女エルナの部屋らしい。
「私は、これなるディルスに助言されただけ」と騎士が答える。
ディルスとは、魔道師だ。獣師と言うはずだ。
「いやいや、グレン卿の存在は重要でした」と魔道師が答えた。
「グレン卿がここに来たからこそ事件は起こった」
「やはりそうか」とグレン卿。
「グレン卿が来たことで、ウィリスの警護が厚くなると、刺客は思った」 と、魔道師が解説する。「そして、卿が帰った振りをしたところで、そこに生じる隙を、刺客は利用する。そこに、卿が戻ってきたから、暗殺は未然に防げた」
ディルスの口調にはよどみが無い。
すべて、予定通り。
冷たい計算。
ウィリスは、魔道師の存在がそのローブのごとく黒いものであるように感じた。
思わず、がばっと起きて、叫んだ。
「知っていたの?
キューゼが……」
その途端、脳裏に浮かぶ風景。
彼女の生前の声と、雪原に広がる真紅の血潮。
甘い香りの記憶に、ウィリスは戸惑う。
脳裏で、雪狼の遠吠えが上がった。
(殺すか?)
部屋の中の空気がずんと冷たくなった。
「待て」
ゼルダ婆とエルナの声が重なった。
すっとウィリスの肩に婆の手が置かれる。
「怒りに身を任すな、ウィリス」
「あ、ああ」
ウィリスはうろたえたように沈黙した。
(今、僕は、雪狼を呼んでいた)
「自覚無く、魔力を使ってはならない。
なぜならば、お前の力は大きすぎる」
と婆が言い、ウィリスは修行を思い出して、心を鎮めた。部屋の中に吹き荒れようとしていた時ならぬ寒風が消え去った。
「誰も、キューゼが刺客であるとは、知らなかった」とディルスが言った。 「だが、いつか、このようなことが起こることは予想していた」
「今日の事件を予想し、ギュラニン党の毒からお前を救ったのはディルス殿だ」と婆が口ぞえする。「あのような毒に関する秘儀、どこで知った?」
「トートの甘き毒は信仰の証。それもまた策謀」とディルス。「本当に殺したいとき、甘き毒を囮とし、遅効性の毒を隠す。毒使いらしい、陰惨なやり口だが、人体の構造に関して、我ら獣師に勝る者はおらぬ」
そこでディルスは言葉を切った。
「いや、そのようなことは重要ではない。
この機会に、 ウィリス殿には、自らの力の重要性をご理解いただきたい」
自分の力……。
事件の直後、グレン卿が言っていた。
ウィリスの力があれば、いつかレキシア湿原を永遠の冬に変えられる。
それは国同士の関係さえも変えてしまう。
だから、誰かが恐れた。
ギュラニン党を雇い、刺客を放った。
キューゼか、それともその双子の姉かは知らないが、彼女は毒使いで、ウィリスを殺すように命じられた。
しかし、彼女は失敗して死んだ。
ウィリスはやるせない気持ちになった。
死にたいとは思わない。
生きていてよかった、と思う。
だが、わずかとはいえ、知り合った人が死んでいくのは悲しい。
「これは始まりに過ぎない」 と、ゼルダ婆が言った。
その言葉は槍のように、ぐいっとウィリスの心に刺さった。
「始まり?」
ウィリスは11歳にしてはすでに苛酷な経験をしてきた。風見山の戦いは、血なまぐさく、恐ろしいものであった。あれさえも、始まりの始まりに過ぎないというのか?
「ああ」とゼルダ婆は言った。 「これから言うことをよおくお聞き。
お前は、渦の中心にいる。婆も、姫巫女様も、グレン卿も、ディルスも、お前に比べれば、運命の渦にとって、ささいな波に過ぎぬ。お前には冬翼様のお迎え役として重大な役目がある。それはこの世界に大きな意味がある。
お前こそが《永遠の冬》の鍵を握っている」
渦という言葉の本当の意味はウィリスには分からない。 しかし、自分が重い責任を担っていることだけは分かった。
「だからこそ、お前の生きる道を歪めようとする者がいる」
ウィリスの脳裏に、昨年の夏、街道で出会った奇怪な二人組のことが思い出された。
ぼろぼろの男と、美しくも作り物めいた少女。
まがまがしい気配で、ウィリスは気持ち悪くなった。
「あれらはそうした者の手先じゃ」
と、ゼルダ婆がいうと、ディルスが軽い声をもらした。
「つまり、それが《最悪の男》と《棘ある雛菊》か。
この織物、ずいぶん、隠し模様がありそうだな」
★本作は、朱鷺田祐介の公式サイト「黒い森の祠」別館「スザク・アーカイブ」で連載され、64話で完結したものを転載しているものです。
http://suzakugames.cocolog-nifty.com/suzakuarchive/




