後編
『とにかく、わたしは沢渡克也を許さない!』
その言葉にゾッとした。
おれの名前が出てくるなんてな。
世の中には、おれと同じ名前のやつなんていくらでもいるだろう。
それでも、この〝沢渡克也〟が自分のことのように思えた。
舌打ちして動こうとした瞬間、足を滑らせる。
バケツが倒れて床に水がこぼれていたらしい。
変に手をついたからか手首を捻った。
女の笑い声がする。
壊れたかのような歪な笑い声だ。
ふられたとか言っていた女が笑っている。
バカにしやがって。
ムカつく。ムカつく。ムカつくんだよ!!
『克也なんか、いなくなってしまえばいい。わたしを否定する克也なんか許さない』
「こっちだって、てめーなんか許さねーよ!」
八つ当たりしてもこの女には届かないんだろうがよ。
怒りが次から次へと込み上げてくる。
テスト勉強に姉貴にラジオに……ムカつく材料は揃いに揃っている。
誰でもいいから今すぐぶん殴らせてくれ。
『う~ん。殺意は込められているんだけど、これだと少~し弱いかな♪これじゃあ、有罪にできないぞっ♪』
『そこで!当番組では、克也くんの身辺を独自に調査してみました!』
ベッドにぶつけた頭がまだ痛い。
痛い。ムカつく。
ラジオはどこだ!
『みんなの思いが重なれば、克也くんの運命なんて坂道急降下!呪いましょう!恨みましょう!』
冷風が首を撫でる。思わずそこに手をやった。
いつから冷房がついていたのか。
エアコンが勝手に稼働している。
それによって、部屋全体が冷えきっていた。
鳥肌がポツポツと立っている。
それは寒さのせいだけか?
さっき転んで濡れたのもあるか?
わかんねー。
『ひえ~♪克也くんってば最低最悪だ♪な~んと、彼は二股をかけていたんですね~』
『執行人Xさんの殺意はごもっとも!!おっと、そのときの音声を流せるそうです!執行人Xさん!つらいのに、ご協力ありがとうございます!』
冷風に、ブルッ、と身体を震わせる。
エアコンのリモコンはどこだ?
ラジオを探させたり、リモコンを探させたり、明らかにおれをバカにしてんだろ!!
「ざけんなよ!おめーら!見つけたらブッ壊してやっからよ!」
イライラは増幅し、動作のひとつひとつが荒くなっているのが自分でもわかる。
『おまえさ、誰?』
ラジオからおれの声が聞こえる。
場所は車道か?
時折、車の行き交う音も一緒に聞こえてくる。
ちょうど一週間前、おれは浮気現場を目撃された。
もう一人の彼女、絵真に。
絵真はどちらかってーと、デブの部類に入る。
本人はポッチャリだとか言っていた。
違いがわかんねー。
コクってきたのは絵真の方だった。
そのときはフリーだったし、繋ぎにはいいかな、ってな感じでつき合うことになった。
キモい系を彼女にするのもネタになるしな。
実際、ダチの間では絵真のデブネタは笑いになった。
そんな軽い気持ちでつき合い始めたもんだから、すぐに後悔したんだよな。
はっきり言って、つまらない〝つき合い〟だった。
公園や映画館に行くだけで夕方には、はい、さよなら。
それだけの繰り返し。
飽きて当然だろ?
好きでもないやつのご機嫌なんて取りもしない。
やらせてくれないのなら尚さら。
だから、バレて良かった。
だけど、何をどう勘違いしたんだか絵真は、自分が一番の彼女だと主張した。
〝一回の浮気なら許してあげる〟
そんなことを言ってきた。
何、その上から目線。一体、何様のつもりだ?
おれはおれを見下すやつが嫌いだ。
センコーも親も姉貴も。
ましてや、彼女程度がおれより上に立とうなんて許せねー。
言ってやったよ。
『おまえさ、誰?赤の他人が偉そーにしないでくれる?』
そう、今ラジオで流れている言葉そのまんまをぶつけたよ。
だったら、何だってんだよ。
あのときに、絵真が録音していたのか?
キモっ。
ここまでの粘着タイプとは知らずにいたなんてな。胸糞が悪い。
『ひど~い、酷すぎます~♪何だかわたしまで殺意を抱いてきちゃいましたよ~』
『克也くんの言葉は〝暴力〟そのものです!今は言葉で踏み止まっているのでしょう!拳や蹴りで実力行使してくるのも時間の問題です!我々は放置していていいのでしょうか!』
『ということは~つまり、つまり♪未来の犯罪者を野放しにしておいて良いのか否か~♪』
こんな悪趣味な番組を野放しにしている方が問題だろうが。
もうどこにラジオを隠しているのかなんて関係ねー。
直接、訴えてやるよ。
おめーらの言う〝暴力〟とやらでな!
『それでは!ここから山のように送られてきた、彼、克也くんの数々の罪状を読み上げていきます!リスナーのみんなもしっかりついてきてね!』
『〝断罪コーナー〟での判決はリスナーのみんなの気持ち次第で~す♪はてさて、彼は有罪かな~♪無罪かな~♪』
視線を感じる。
実は部屋に戻ってきたときから感じていた。
ラジオに振り回されていたせいもあって、あまり気にしないでいた。
それが今、数が増えてピリピリと突き刺さる。
無言の圧力。家の外からか?
ラジオではムダに明るく罪とやらがあげられていく。
『罪状、貸した金をまだ返さない。罪状、ドタキャンした。罪状、真面目に授業を受けたことがない』
そんなことが罪なら、多くの人間が犯罪者じゃねーかよ!
『罪状、駅にて駆け込み乗車。及び携帯電話使用禁止場所での通話』
それらだって小さなことだ。
大袈裟にするほどの〝罪〟じゃねーよ!
『罪状、ペースメーカーの存在を知らずにいること。罪状、スロープに自転車を放置。罪状、ゲームセンターでクレームをつける。罪状、自分以外の存在を軽んじる発言。及び行動』
『罪状、罪状、罪状、罪状罪状罪状罪状ーー…』
ラジオは壊れたように、同じ言葉を繰り返す。
いい気になりやがって!
家の外からの視線は、より鋭く怒りを孕んだものにかわっていく。
勢いよくカーテンを開けた。
こんな夜中だというのに、狭い道路には人がいた。
一人なんかじゃない。ちょっとした群れだ。
人、人、人。
無言でただ、ジッとおれの家を見上げている。
……いや、おれ自身を見ていやがる。
外灯の乏しい明かりだけではわかりにくいが、外にいるやつら全員が耳に何かつけている。
イヤフォンか?
ラジオを聴いているのか?!
どこから住所がわれた?!
プライバシー侵害もいいところだ。
怒りのボルテージはもう最高潮に達していた。
なんという名前のラジオ番組だ!
ラジオパーソナリティーの名前は!
どこがスポンサーだ!
カーテンを閉めると姉貴の部屋に急いだ。
姉貴なら知っているはずだ。
おもいっきりドアを蹴飛ばした。
少しへこんだだけってのが、またムカつく。
おれの意思無視のクソ番組。
それのリスナーである姉貴。
あいつもおれをバカにしてんのか!
『あれあれ~♪そういえば、今日はラジオネーム〝救済の守護師〟さんからのメールが届いていませんね~♪どうしたのでしょ~か~』
『いつもなら、良いところをあげて救いの手を差しのべるのですがね!克也くんは救う価値がないということなのでしょうか!』
その言葉に外にいるやつらが騒ぐ。
「ふざけんな!てめーらにおれの何がわかるってんだよ!人にはなー、色んな面があんだよ!かたよった面だけピックアップしやがって!」
この声は誰に届ければいい?
ラジオ番組にか?
それのリスナーにか?
それなら姉貴にか?
絵真にか?
外のやつらにか?
『罪状、罪状、罪状。罪状、自身の罪深さに気づいていないこと。罪状罪状、罪状』
あくまでも、こっちの言い分は聞かないつもりか!
ムカつく。
その感情だけが、グルグルと渦巻く。
「てめーら!いいか、全員!全員だ!全員だぞ!ブッ飛ばしてやるからな!」
ガラスが割れる音がおれの部屋から聞こえてくる。
何度も何度も。
それと一緒になって聞こえる〝有罪〟という声。
それは一定のリズムで、まるで合唱のように吐き出されている。
〝ゆ・う・ざ・い!ゆ・う・ざ・い!〟
『断罪コーナーが始まりました!果たして今日の彼は有罪か無罪か!』
ドラムロールが家の中、そして外からも聞こえてくる。
それを耳にしながら棒立ちになる。
なあ?
おれが一体おめーらに何をした?
絵真とのことはおめーらに関係ないだろ?
姉貴をバカにすんのも関係ないだろ?
さっきの罪状だってよ。
おれと同じやつなんていくらでもいるだろうが。
『は~い♪集計の結果発表いっきますよ~ん♪』
『判決。沢渡克也の犯した罪は善良な市民を不快にさせ、ラジオネーム〝執行人X〟さんの心をズタズタに引き裂くという非道極まりないものである。よってーーー』
〝有罪である〟
外で歓声が沸き起こる。
怒号も聞こえる。
「は、はは、だったら何だっていうんだよ」
廊下が軋む音がする。
顔を向けると親父とお袋が立っていた。
そりゃそうだ。
こんだけ騒ぎ立ててんだからな。
親父に言って警察を呼ーーー。
「克也、有罪になったな」
今からゴルフに行くのか?
なんだよ、そのパターは。
「だから、言っていたでしょう?人には優しくしなさいって」
「…お袋?」
包丁を握りしめている。
こんな時間に料理でもするのか?
姉貴の部屋のドアが開く。
「かっちゃんがいけないんだよ」
「何を…」
ドタドタと音を立てながら、外にいたやつらが土足で入ってきた。
その手にはバットやら工具やらーーー何をしようとしているのかなんて察しがつく。
「未来の犯罪者に鉄槌を!我々の正義を示すときがきた!」
〝ゆ・う・ざ・い!ゆ・う・ざ・い!〟
なあ。
こいつらが今からやろうとしていることは、罪じゃないのかよ。
あの番組は罪じゃないのかよ。
なあ。
何でおれがこんな目に遭わなきゃいけないんだよ。
なあ、なあ、なあ!!!
多勢に無勢……じゃないか。
…おれの家族もこいつらと同じだもんな。
「おめーら全員頭がおかしーー」
最後まで口にすることはできなかった。
親父がパターを振り下ろす瞬間がやたらと遅く見えた。
****
『〝今日の○○さん〟は最期の最期まで謝罪の言葉を口しませんでしたね!』
男は無表情のまま、手元の紙の束をまとめながらリスナーに言葉を投げ掛ける。
『謝罪の言葉、御礼の言葉、こ~んなに大切な言葉を言えない時点でもう立派な犯罪者ですよね~♪』
女も無表情のまま、ペットボトルのお茶を飲む。
『ではでは!今夜はこの辺で!』
『最後に今日の彼、沢渡克也くんにリスナーのみんなからも黙祷を捧げましょ~♪』
『この番組では、犯罪者予備軍の情報提供をお待ちしております!また、正義感の強い方も同時に募集しております!』
『それではまた~、犯罪撲滅ラジオでお会いしましょ~♪』
『『さよーならー』』
****
青白い手がラジオの電源をゆっくりと切る。
救済の守護師。
今日もそのペンネームを使って弁護のメールを番組に送るつもりだった。
もちろん、有罪にさせないためだ。
しかし、私怨からその役目を放棄した。
「……かっちゃん」
毎日のように〝引きこもり〟と詰られた。
ドアを蹴られていた。
バカにされ続けた。
つらかった。
いなくなれば良いのに、と本気で思うことも多々あった。
それがこの結果を生み出したのか。
無惨な姿に成り果てた〝今日の○○さん〟の犠牲者に黙祷を捧げる。
泣きながら部屋へと戻っていった。
【完】