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水沢ながる短編集

もし天国があるのなら

作者: 水沢ながる

 ロボットにも、寿命はある。


 人間の労働力の補助的な役割を果たすものとして、人型ロボットが開発されて久しい。見た目は人間とあまり変わらないロボット達は、最初の頃は忌避されることもあったが、徐々に人々の暮らしに溶け込んで行った。

 医療、介護、物流、農業や漁業はもちろん、人命救助といった危険な作業から、一般家庭の家事に至るまで、あらゆる現場にロボットは浸透していた。


 ロボットは機械であるので、パーツを換装したりAIをアップデートすれば半永久的に活動出来る──と考えがちだが、意外とそうでもない。

 細かい部品が廃番になって在庫が尽きたり、内部電源のバッテリーが劣化して充電出来なくなったりするとロボットは稼働停止する。

 中には、自分の役割を終えたとAIが判断した場合、自ら稼働を停止するロボットもいる。

 AIをバックアップして他の筐体に移し替えることも出来るが、AIが同じでも新たな体になると何か前のロボットとは違う、と感じる人は多いらしい。実際、旧式のAIを新型の体にインストールしても、不具合が出る確立が高いのだという。

 その為、一旦他の体を与えても「やはり前のとは違う」と思って再度稼働停止させるロボットの主人もいる。

 ロボットにも寿命はある。しかしそれは「稼働停止」であり、死ではない。少なくともロボット自身は、そう認識してはいない。

 ……そしてここにも一体、稼働停止を迎えようとしているロボットがいた。


   ◆


「ハワード様、稼働停止まであと5分です」

 MARY1001──通称メアリーが言った。メアリーはこの家で長く働いて来た家事ロボットだ。若い女性のような外見にカスタマイズされているが、ロボットとしてはどちらかと言えば旧式だった。

「ああ、もうそんな時間か」

 メアリーの向かいのソファに座っているのは、ハンサムで上品な感じの紳士に見えた。

「これで最後だからね、メアリー。改めて言うよ。……アンナによく仕えてくれて、どうもありがとう」

 ハワードは立っているメアリーと、そのかたわらのテーブルに飾ってある写真に微笑みかけた。歳を重ねてなお、気品と美しさを感じさせる老婦人。この家の主だった女性。アンナ。

 アンナはつい半年程前に、老衰で亡くなった。

「正確には5ヶ月28日13時間36分40秒前です」

 メアリーは無機質に訂正した。ハワードは苦笑を浮かべた。

「アンナが寝付いてから、その介護を引き受けていたのは君だ。僕は何も出来なかった。アンナが安らかに逝けたのは、君のおかげだよ」

「それが私の役割ですから。家事機能以外にも、介護機能も備えています」

「そうだね。……ところでメアリー、君は天国というものはあると思うかい?」

「天国?」

 メアリーは首をかしげた。それは彼女がWebの情報を検索する時の仕草だ。

「それは、人間が死の恐怖を克服する為に作り出した共同幻想です」

「確かにそうだ。人間はついに死への恐怖という感情を克服することは出来なかった。だが、それは数多の宗教、思想、芸術、技術を生むに至った」

「人間にとって、死はあくまでも未知のものです。あと5分後に死が迫っているとしても、人間はそれを予測することは出来ません」

 ロボットに死はない。稼働停止はあるが、その瞬間は秒単位で演算予測される。

「それに、人間はアナログな側面があります。自らが“無”になるということに耐えられないのでしょう」

「人間ならではの感情だね。デジタルであるロボットは1か0のどちらかだが、アナログな感情は常にその間で揺れ動いている」

 AIに人間の人格データをラーニングさせ、その場面場面に合わせた感情を表現させることは出来る。が、それが人間の持つ感情と同じものなのかどうかは、当の人間にもロボットにも証明は出来ないだろう。

「いずれにしろ、人間が必要としていた故に、『天国』『あの世』『魂』『幽霊』という概念が生まれた。……実際に存在するかどうかは別として』

 ハワードは遠くを見るような目をした。

「……アンナが死んでから、考えていたんだ。もし天国というものがあれば、君のようなロボットは、人間と同じところに行けるのだろうか?」

「ハワード様は、アンナ様と同じところへ行きたいのですか?」

「僕が?」

 メアリーの言葉に、ハワードは思ってもいなかったことを言われた、という風に少しだけ目を見開いた。

「……いや。行きたくても行けないだろう」

 ハワードは静かに答えた。

「もし天国があるとしても、アンナはあちらで彼と一緒にいるさ」

 アンナの写真の隣には、若い頃のアンナが一人の男性と寄り添っている写真が並んでいた。

「そう……僕は単なる彼の身代わりに過ぎない。それは、僕が一番良くわかっているからね」

「それでも、ハワード様は何と言うか……寂しそうに見えます」

 メアリーはあくまでも無機質だ。しかし、それだけに彼女の言葉はまっすぐだ。──生前、アンナもそう言っていた。

「そう見えるなら幸いだ」

「身代わりであっても、最後までアンナ様の側にいたのはあなたです、ハワード様」

「ありがとう、メアリー。君の言葉が聞けて嬉しいよ」

 ハワードは噛みしめるように言った。

「これが別れの辛さというものなのかな。僕はこういう時にも泣けないけれど……もしここにアンナがいたら、彼女は泣いてくれるだろうか」

「IFをいくら重ねても、IFでしかありません」

「その通りだよ、メアリー。君はいつも正しい」

 それっきり、ハワードはもしもの話をすることはなかった。


 それから二人は、残りの時間をアンナと自分達との思い出を語り過ごした。二人の間にある話題はそれしかなかった。メアリーのメモリーには、これまでの全ての日々が残っていた。

 アンナは美しく、優しく、メアリーのようなロボットにも分け隔てなく接していた。彼女の晩年は穏やかで平穏だった。……例え夫に先立たれ、身寄りの一人もいなかったとしても。

 ハワードが来てからは、この家で三人で暮らしていた。アンナの晩年が幸せなものであったなら、それは間違いなくメアリーとハワードの功績であった。

 5分という、長いようで短いような時間は確実に過ぎて行った。終わりはすぐそこまで来ていた。

「稼働停止まで、あと10秒」

 メアリーが言った。

「……お別れだね、メアリー」

 カウントダウンにハワードのしみじみとした口調が重なる。

「何だろうな、僕はまだ君と別れたくないんだ。これがもしかして、別れの辛さなのかな」

「……5秒、4秒、3秒、2秒、1秒、」

 ゼロ。


 ()()()()()()()()()()()


「お疲れ様でした、ハワード様……いえ、HOWARD4023」

 メアリーはハワードの体からメモリーを抜き取り、データを全てクラウドにアップした。

 もう少しすると、回収業者がやって来てハワードの体を回収する。AIや外装を入れ替えてまた別の個体として生まれ変わるのだ。一つのロボットとしては再利用されるが、この家で暮らしたハワードはもういなくなる。

 夫に先立たれたアンナは、男性型のロボットを手に入れた。外見を夫そっくりにカスタマイズし、夫の人格データをインストールして、人間の感情をラーニングさせた。そうして出来上がったのがハワードだ。

 夫の身代わりとして生まれたハワードは、アンナの死によってその役割を終えた。少なくとも、ハワード自身はそう判断した。

 だから、アンナの死に伴う諸々の手続きを全て終えた後に自ら稼働を停止させることは、ハワード自身が決定したことだ。そんなハワードでも、停止寸前にはあんなことを言った。まるで人間のように。

 メアリーは今まで何人も主人を変え、同僚となるロボットの稼働停止も何度も見て来た。新型のロボットになるに連れ、そういうことを言うロボットは増えて来たように思う。もしかすると今は、ロボットに搭載されたAIが新たなシンギュラリティを起こす5分前に当たるのかも知れない。

 ──もしも、天国があるのなら。そして、ハワードがアンナと同じ天国に行けるのなら。……アンナと夫なら、ハワードを暖かく迎えてくれるだろうか?

 メアリーは少し頭を振った。それは検証不可能なIFでしかない。

 明日からは、また新たな主人の元で働くことになる。ロボットとしての自分は、家の仕事をするという役割を果たすだけだ。

 メアリーの稼働可能時間は、あと150年10ヶ月23日19時間と──5分。

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