みえる令嬢と疲れやすい公爵
上げるか迷ったものです…
内容は前作とほぼ変わりません。
ヴィンセント視点+招待状を送るに至った小話みたいな感じです。
よろしければお読みください。
私は、昔から疲れやすい体質だった。
最初の頃は、怠惰からくるものだろうと思っていた。しかし、何をしていても、それこそ入浴だったり眠るという人として休息にあたる行為ですら身体が重くて仕方ないのだ。
常に顔色も悪いことから、さすがに心配だと両親に医者を呼んでもらったこともあった。
だが医者が言うに、特に悪いところも病気も見当たらない。至って健康な状態だという診断を下される。
両親はそんなはずはないと、何人もの医者に見てもらったが、それ以外の診断を下した医者はいなかった。
医者の言う通り、ただ身体が疲れているだけで特段生活に困ったことがあるわけではない。
周りからは、「身体が弱いのでは」「病気持ちなのでは」と噂されているのも耳にしたことがあるが、どれも噂に過ぎない事実に反する事なので無視することにした。
もうこれは体質なのだ。どうしようもない…そう思っていたのに。
何をしていても重く疲れていた身体が、信じられないことにこれまで経験したこともないほどに軽くなるという出来事が起こったのだ。
それが、王家主催の大きな夜会でのこと。
そこではいつも通り、寄ってくる女性達と諍いがおきない程度に愛想よく対応し、普段付き合いのある公爵家や侯爵家の者達と話していた。
そんな時、どこからか鋭い視線が飛んできたのだ。女性の熱い視線とは違う、男性の恨みがましい視線とも違う。
視線の方向に目を向けると、1人の令嬢と視線がぶつかった。
今まで参加した夜会や茶会などでは見かけたことがない。
こちらを見ている令嬢は扇子で口元を覆っていたが、これでもかと言うほど寄せられている眉から、他の令嬢とは違う感情を向けられているのは分かった。
…嫌悪感…だろうか?
この時の自分がどうしてこのような行動に移ったのか分からない。ただ、身体が動いたのだ。
彼女が持つのはどういった感情なのか、気になったのかもしれない。
友人達に断りを入れ、その令嬢へと足を向ける。
彼女は私が近付いてくることに気が付いたのか大きく目を見開いて、今すぐにでも逃げ出したいがなんとか耐えた、というように数歩後退りをした。
そんな彼女を怖がらせないよう、ゆっくりと話しかける。
「初めてお会いしますね。私はロイシュタイン公爵家のヴィンセントと申します。貴女のお名前を伺っても?」
「お、お初にお目にかかります、ロイシュタイン公爵閣下。私は、メラレイア伯爵家の娘フィオナと申します。お会いできて光栄ですわ」
やや声が震えていたが、それを見せない凛とした礼をする。
なるほど、メラレイア伯爵家には確か、今年デビュタントの娘がいると聞いていた。つまりこの令嬢のことなのだろう。
顔を上げるよう声をかけると、ゆっくりと頭を上げ……私の肩のところで視線が止まった。
しかもそこからメラレイア嬢の視線は動かない。私と視線を合わせるのが怖いというよりは、何かがそこにあって見つめているような、揺らぎのない視線だった。
「私に何かついてますか?」
「…いいえ?なにもついておりませんわ」
私の疑問に一拍置いて、なんの動揺もないまるで定型文とでも言うような笑顔と言葉が返ってきた。
肩から視線が動き、やっと目が合う。
まっすぐとこちらを見つめるアメジストのような濃い紫の瞳は、まるで何かを見透かしているような心地にさえさせられる。
…本当に、何かみえているのでは、とありえない事すら考えてしまい、慌てて笑顔を取り繕う。
この紫の瞳には、どうも弱いようだ。
「そうですか。私の肩を見つめているので、なにか付いているのかと思ってしまいました」
「失礼致しました。少し、ボーッとしていたようですわ」
ふふ、と可愛らしく恥じらうように微笑むが、どう考えてもさっきのはボーッとしていた視線ではないように思う。そこを突いたら、今度こそ逃げられてしまうだろうか。
そんなことを考えていると、音楽が流れ出した。
ここでダンスに誘わないのも紳士として如何なものかと思い、メラレイア嬢に手を差しのべる。
「せっかくの機会です。1曲、私と踊っていただけませんか?フィオナ・メラレイア嬢」
しかしメラレイア嬢は、差し出された私の手を見てビシリと表情を固まらせた。顔が引き攣るのを我慢するかのようである。
自惚れているわけではないが、こうやって私がダンスに誘えば、令嬢は目を輝かせて飛びついてくる。それはもう、待ってました!と言わんばかりに。中にはうっとりと熱の篭った表情をする令嬢も多くいる。
少なくとも、こんな拒絶にも近い表情をされたことはない。
だが断られることはなく、恐る恐るといったように私の手にメラレイア嬢の手が乗せられる。
驚くことに、触れた部分からじんわりと温かさが広がっていく感覚があった。表情には出さぬよう、メラレイア嬢の手を引き空いている中央までステップを踏んでいく。
彼女と目が合うことはなく、やや下の方に向けられている。場数も踏んでないだろうしステップを間違えないか緊張しているのだろうか。
安心させるように「お上手ですよ」と声をかけようとしたところで、彼女の視線は私の手首に向けられ、気を張った表情から一変、きょとんとした表情に変わる。そのまま、また肩のあたりに視線が移り…首を傾げたのだ。
その間も、ステップは間違われることなく正確に踏まれている。緊張しているわけではない…?
本当に、まるで何かに意識を持っていかれているような……
「メラレイア嬢?大丈夫ですか?」
「え、えぇ…申し訳ございませ……え!?」
声をかけるとそのアメジストの瞳が私の顔を映し……驚いたように見開かれた。
そしてみるみるうちに顔が熱で赤らんでいく。それこそ飽きるほど見てきたご令嬢の反応であるのに、なんだかほっとしてしまう。
「漸く見てくださいましたね。なかなか視線が合わないものですから」
「ご、御無礼をお許しください。えっと…、ロイシュタイン公爵があまりにも素敵なものですから」
これもよく言われる言葉なのに、メラレイア嬢が言うと他の令嬢とは違った感情が浮かんでくる。
だが、嬉しいとかそんな感情ではない。本当にそう思っているのか?と疑うような感情である。
そんなこと言えるはずもなく、いつも令嬢に返すような無難な言葉を選ぶ。
「ありがとうございます。てっきり、嫌われているものかと」
「まさか!そんなはずありませんわ。今も、とてもリードがお上手で安心して踊れていますの」
「それは良かったです。私も、メラレイア嬢と踊っていると身体が軽くなった気がしてとても心地がいい」
言って、気付いた。
そう、どんなときでも疲れていた身体が、今までに感じたことの無いほど軽くなっているのだ。
食事をする時でも、友人と話している時でも、鍛錬している時でも、仕事をしている時でも、入浴している時でも寝ている時ですら感じることの出来なかった、まるで憑き物が落ちたような解放感が。
まさかダンスをしたら疲れが取れるなんて一体誰が思おうか。実際、何人もの令嬢と踊ってきたがこれを感じることはなかった。
……メラレイア嬢限定なのか……?そんなこと、本当に有り得るのか…??
それからはメラレイア嬢の視線もあちらこちらに飛ぶことはなく、大きな夜会は初めてなのだとかあの料理が美味しかったなど他愛もない話を繰り広げていた。
本当は、メラレイア嬢の視線の先には何があるのかとか、どうして彼女と踊っていると身体が軽くなるのかとか(これは聞いたところで彼女に分かるわけないだろうが)、問いたいことは沢山あった。
けれど、普通に伝えれば気持ち悪がられる、下手すれば今まで以上におかしな噂を流されるかもしれない。
音楽が終わり、お互いに礼を終えた後ですら、どのように話題を切り出すのが自然か必死になって考えていた。
だがうまい言葉も見つからず、終わったと勘違いした令嬢達に囲まれてしまう。
はじき出されたメラレイア嬢が、しっかりと礼をして去っていくのを追う訳にもいかず、集まってきた令嬢と話すことにしたのだが…だんだんと、いつもの疲れが身体を襲ってくる。
……やはり、メラレイア嬢が離れていったからだろうか。彼女以外の令嬢には出来ないのだろうか。
そんな考えを巡らせながら、私は令嬢達にニッコリと微笑むのだった。
その後メラレイア嬢と話す機会はなく、仕方なく公爵邸に戻る。
そして一息ついた時、幼い頃から側にいて私の身体の事情をよく知っている執事に夜会であったことを話すと、信じられないというように大きく目を見開いた。
「とある令嬢とダンスをしたら触れた部分が温かくなり、身体が軽くなる…ですか」
「どう思う」
「それは…」
執事は言い淀みながら、紅茶を差し出してくる。
ふわりと優しい香りが漂い、ゆっくりと口に含む。
「…恋、しちゃったんじゃないですか?」
ガチャン!
「な、こ、こいだと…!?」
執事から告げられた言葉は、夢にも思わない答えで、驚きのあまり持っていたカップを音を立てて置いてしまう。
そんな私の動揺など気にした様子もなく、執事はニコニコと微笑んだまま言葉を繋げる。
「一目惚れというやつですね。いやー、あれだけ女性に興味を示さなかったヴィンセント様が、一目惚れですかー。わたくし、心配していたんですよーこのまま独身貫いたらどうしようかと」
他人事のように、はははとカラカラ笑う執事に、これほどまでに殺意が湧いたことはない。
それにしても…恋…だと?一目惚れ?まさか。
いやしかし、確かにメラレイア嬢に触れた場所から温かくなっていく感覚があった。ダンスの半ばからは、今までに感じたことのないほど身体が軽くなった。
他の令嬢では1度たりともなかった出来事だ。
それが恋というやつなのか?
「信じられないのなら、もう1度会って確かめてみたらよろしいのでは?丁度2週間後にここで夜会の予定があるじゃないですか」
「………しかし、1度会ったくらいで夜会に誘うのは驚かれるような気がするのだが」
「では、本日の夜会で感じた不思議な出来事はなんなのか分からず終いですねぇ。何か打開策でも見つかるかと思ったのですが、大変残念です」
わざとらしいため息と共に吐かれた言葉に、私は息を詰まらせる。
執事の言う通り(言い方は悪いかもしれないが)メラレイア嬢は、生まれてからずっと疲れが取れないこの体質を治すきっかけになる可能性がある。
他にも方法はあるのかもしれないが、現状なんの手がかりもない。
どうしたものかと考えを巡らせ、ふと一人の男が浮かんだ。
「…メラレイア伯爵家長男のフェリクスとは何度か話したことがある。彼も招待すれば、メラレイア嬢もそんなに驚かないだろう」
彼なら、招待状を送ったところでやっと来たかと思うくらいだろう。
そのうちフェリクスも夜会に誘おうと考えていた頃だ。丁度いい機会かもしれない。
「かしこまりました。では早速、招待状の準備を進めますね」
「いや…数日空けてからにしてくれ」
「おや、それはなぜ?」
「……今日会ってすぐに招待状を送るとか、がっついているみたいで恥ずかしいじゃないか」
執事はきょとんとした後、堪えきれないというように盛大に吹き出し、正直に言ったのを後悔することになる。
そして驚かせないようにと配慮した行為も、余計に相手を混乱させてしまうことになるのは知る由もない。
なかなかどうして、裏目に出るものである。