第9話
ゴブリンから大分距離を取っていたはずなのだが、どうやら俺たちに気づいたらしい。
棍棒を片手で振り回しながら、短いながら太い足でドスドス、とこちらに近づいてくる。
「おいおいおい、これどうすればいいの! 身体全体が生まれたての小鹿みたいに震えてるんだけど!」
「さっき教えたとおりに、全力で叫んでください! 勇者様の力があれば、あれくらいの敵、一撃で葬れます!」
「一応聞くけど、目の前の怪物も隣のメイドさんも俺の持っている聖剣もみんなには見えてないんだよね!」
「その通りです」
相変わらずの無表情でエミルがコクりと頷く。
「でも、俺自身は変わらずみんなから見えてるんでしょ? つまり、声も聞こえるってことでオッケー?」
「その確認に何の意味があるのかわかりませんが、オッケーです。さあ、早く! もうゴブリンの攻撃範囲に入ってます!」
確認の意味は大いにある。
今から俺がすることは、今まで積み重ねてきた黒歴史の比にならないくらい恥ずかしい。
視界が一気に暗くなる。
俺の二倍はあるゴブリンの巨体が目の前に迫り、その陰に飲み込まれたのだ。
限界まで首を曲げて見上げると、両手で棍棒を持ち直し、思いっきり後ろに振り被っている姿が確認できる。
やるしかない。
このままだと、何も成し遂げないまま、死を迎えてしまう。
覚悟を決め、聖剣を握る両手の力を強める。
大きく息を吸い込み、空気を貯め――
「悪を穿ち、善を守る聖なる剣よ。我は魔を統べる王を滅ぼす者也。勇者シュヴァルツ・ロイスに、その力を与えたまえ!」
――たまえ、たまえ、たまえ……
時が止まる。
クラウチングスタートの体勢でスタートの合図を待っていた陸上部も。
味方からのスルーパスに抜け出したストライカ―も。
人目を憚らずキスをしようとしていたカップルも。
学校全体に俺の声が響き渡り、その場にいた生徒の視線がすべて集まる。
終わった。
完全に終わった。
これで俺は、明日から、高校生まで中二病を引きずっているイタすぎる人という目で見られるに違いない。
ほら、みんなばっちり俺を見て……無い?
何故か全員目を瞑っている。
まるで、太陽光を直接見るのを避けるように自らの視界を遮っている。
「何がそんなに眩しいんだ……って何だこれ!」
呪文に呼応したのか、エクスカリバーが直視できないほどの眩い光を放ち始めた。
薄目を開いて見ると、ゴブリンが苦しそうに悶えている。
どうやら必殺技とやらは正常に使えたらしい。
「エミル、これでいいのか?」
「完璧だよ、愚かな魔王さん」
「え?」
ずっと無表情だったメイドさんの顔が歪み、口角を釣り喘げて悪魔のように笑い始める。
「ははははははは! これがかつて世界を滅ぼした魔王の最期か、あっけなさすぎて笑えるよ」
「どういうことだエミル? 一体何言って――」
エクスカリバーの光度がどんどん上がっていき、ついには目を開けてられないほどの光が俺を飲み込んだ。
「はい、おしまい」