97 煉獄
「さて、あとは話が早い」
「は?」
パンと手を叩いた冥官に、疾は怪訝な声を上げる。冥官はにこやかに疾を見下ろした。
「要するに、疾は俺の攻撃についてはすっかりお見通しってわけだろう?」
「避けられねえから意味ないがな」
「そう。身体が追いついていないというのが、今の一番の問題点だ」
にこにこと言い連ねる冥官に、意図が分からずまたも眉を寄せる羽目になった。
「……結局は体術の訓練ってことか?」
「いや、違う。疾にとって必要なのは、その演算力をフルに用いるための訓練だ」
「……? 身体の反応速度は電気信号に依存してるから強化出来ないぞ」
「うん、それは大前提だ。もっと単純なところから始めよう」
すっと手を掲げた冥官に、疾は知らず身を強張らせた。
──嫌な予感がする。
「要は、考えてから動くから間に合わないんだ。俺が動くタイミングも、そこから実際に攻撃が来るまでの時間も分かっている疾が、避けられない。それは要するに、「来る」と思ってから回避に移るまでが遅いわけだな」
──推測とか予測をすっ飛ばして、本能が警告していた。
「入力と出力の接続の悪さ。ここを改善すれば、武術を極めずとも達人のような反応速度で動ける。元々、対応そのものは満点だからな。間に合ってさえいれば、無傷で攻撃をさばける」
──そして不運にも疾の頭脳は、この後起こりうる可能性を正確に推測してしまう。
「そこを繋げるのは、やっぱり実戦あるのみだ。かといって俺の動きはすっかり読まれてしまったようだからな。パターン慣れしても意味がない」
──疾は、完全に理解した。
何故冥官が、この白い空間へ移動したのか。
この話が、どういった結論に行き着くのか。
「というわけで、こういう時は対多数戦だな。命を賭けて、全身全霊で多種多様な敵を相手にするのが一番だ」
「……っ」
「言っておくけど、ここを壊すのは無理だぞー」
そして。
「さ。というわけで、実践あるのみ。やってみようか」
ぱちん、と。
冥官が手を鳴らすと同時に、視界が暗転する。
瞬きの後に、目の前に広がった景色に、疾は絶句した。
暗黒に浮かび上がる、血色の池。息の詰まるような瘴気が蔓延する空間で、耳障りな悲鳴ばかりが反響している。呻き、嘆き、その他ありとあらゆる身の毛が弥立つ声が、鼓膜を叩いた。
鬼狩り、冥府について読み漁った疾の脳裏に、この場の名称がはっきりと浮かび上がる。
──血の池地獄。
(正気か、おい!?)
弾かれたように振り返るも、辺りに冥官の姿はない。
『ルールは簡単。生者の気配が大嫌いな屍鬼どもから、逃げ延びること。そいつら生者とみると襲いかかって仲間に引きずり込もうとするから、頑張れな』
ぞわり、と。
おぞましい気配が、尋常でない殺気と敵意を疾に叩き付けてくる。
『あ、今は俺の結界があるけど、始まったら自力で結界張った方が良いぞ。生者にここの空気は毒だ』
軽い口調でそんな事を宣う冥官に、言ってやりたいことはごまんとある。だが、今は後回しだと疾は踵を返した。
『クリアは制限時間まで生き延びること。そいつら本当にしつこいから、上手いこと異能を使いつつ、頭と身体を無意識レベルで繋げて動けるようになろう。じゃ、スタート』
みなまで聞かず、疾は全身全霊で走り出した。
そして。
──鼓膜を破らんばかりの怨嗟の吠え声が、疾の全身に突き刺さる。




