94 約束
「さてと。どうする?」
試すような問いかけに、疾は深々と溜息をつく。
「……あほくさ」
「おいおい、条件を引っ張り出しておいて随分な言い草じゃないか」
「そもそも成立してねえ取引に、他に何言えっつーんだ」
ぱちぱちぱち。
冥官は、笑顔で手を叩いて賞賛を示した。
「流石だな。やっぱり疾は頭が良い」
「そりゃどーも」
そもそも、だ。
疾は既に、冥官に紋様を刻まれ、仕事を強制されている。ただの「鬼狩り」をさせるだけならば、瑠依が持つものと同種の紋様を刻まれるだろう。だが、微妙に内容が異なり読み取れないのは、1週間前の時点で確認している。
つまり、冥官の手伝いをするというのは、取引云々以前の問題。既に強要された事柄だ。
だから、今回冥官が示したものは取引ではなく、冥官の手伝いをする疾への報酬。
「でもさ、それが分かっていて条件を引っ張り出すって良い性格だよな」
「より良い条件を引き出す為の交渉はするだろ普通」
散々こき使われるのは分かっていたので、疾も直ぐには頷かずに「取引」の体で話を進めさせてもらったが。本来の取引のように飲むかどうかという選択には意味がない。
「そもそも問答無用で引きずり込んで、生涯単位で縛りやがった張本人が何を抜かす」
「はっはっは」
笑い事じゃない。疾はじっとりとした眼差しで睨み付けたが、冥官は笑顔ひとつ崩さなかった。……どちらが良い性格をしているのか。
はっきり言って、冥官の行動は限りなく黒寄りのグレーゾーンだ。唐突に疾を攫って望まぬ力を引きずり出し、壊そうとした総帥。問答無用で疾の異能を引き出し、鬼狩りの名で縛った冥官。行動理由は違えど、疾の意思を無視して強制的に自らの利益とせんとするその所行は、疾に強い警戒を抱かせている。
「まあ、諦めてくれ。疾が人鬼に手を出しちゃったんだから」
「それだけじゃねえだろうが」
「おや、それも分かっていたのか」
意外そうな冥官が肩をすくめる。どうやら、こちらは本気で気付かれていないと思われていたらしい。疾はうんざりと溜息をついた。
「俺は「見つかった」んだろ? 察するに、生まれつき鬼を狩るだけの異能を持つ人間は、保護監視対象になり得るんじゃないのか」
「ご名答。場合によっては大事になるからなあ」
「大事ねえ……」
「多分、疾が思うよりも大事だ。そっちの説明はまた今度な」
疾の中にある仮説は、まだはっきりと形になっていない。おそらく、もう少し知識が必要なのだろう。冥官が説明する気が無いのなら、言葉通り後回しにするしかない。
ひとつ息をついて、疾は冥官に視線を当てた。少し首を傾げて、冥官は予想外の言葉を口にした。
「話を始める前に、ひとつだけ約束しておこう」
「は?」
怪訝な声を上げた疾は、次の瞬間目の前に立っていた冥官に、思わず息を止めた。咄嗟に距離を取ろうとした疾の腕を掴み、冥官は疾と目を合わせた。
「俺は、疾の敵じゃない」
「は──」
「俺は今も今後も、疾の敵にはならない。それだけは、約束しよう」
冥官が腕を放し、体を起こした。2,3歩蹌踉めくように後退した疾は、我に返り眉を寄せる。
「どういう意図だ」
「言葉のままだけどな」
「それを信じろと?」
疾の猜疑的な態度に、冥官は軽く頭を掻いた。
「すっかり警戒されてしまったようだな。本当に、俺は疾を害すつもりはなかったんだ」
「……むしろその方が危機感増すぞ」
あれで害意がないとすれば、疾の命は幾つあっても足りない気がする。
「うーん……困ったな。でも、本当だぞ」
「そりゃ言霊で分かるが……」
聞けば、本気で発された「約束」であったのは分かる。が、その意味が分からない。
(何故……?)
「理由が分からないってところか」
「……ああ」
冥官の立場を考えれば、疾の行動次第では、敵対する必要性が生じてもおかしくないだろう。特に、疾の異能を監視する必要があると考えているのなら、尚更。
約束の破棄は、一方的に冥官に降りかかる。受け流す術を持っていたとしても、疾を騙す為だけにリスクを負う必要性などないだろう。だからこそ、冥官の行動が理解出来ない。
「簡単に言うと、気に入ったからかな」
「はあ?」
「あと、俺も後継者候補をそうやすやすと手放す気はないって意味でもある。こっちの方が、疾には受け入れやすいかな」
「……」
心情的には、全く嬉しくない。嬉しくないが、確かに利害の一致であれば、少しは信じてみてもいいかもしれない。
「……今後、態度で示せ」
「そうだな」
結局、無条件には頷けなかった疾を、冥官も苦笑を浮かべながらも責めなかった。現状ではこれが最大の譲歩だろう。




