91 鬼狩り局
その後瑠依は、用は終わったとばかりにそそくさと消えていった。それを見送ってひとつ息をつくと、疾は視線をカーテンの影へ向ける。
「──それで?」
「……よく分かったわね。盗聴は得意な方なんだけど」
「盗聴を得意とする医療者っつうのも胡散臭いことこの上ねえな」
姿を見せたのは、治療を行った女性だった。何故か苦い顔をして、疾を見下ろす。
「それにしても、随分酷い傷だったわね。無茶し過ぎよ」
「俺に言われてもな」
怪我をさせたのは疾ではなく、あの男である。文句を言うならあちらではないのか。
疾にとっては至って真っ当な主張だが、女性には気に入らなかったらしい。ますます表情が苦みを増す。
「いいえ。冥官様が仰っていたわ。貴方はとっくに戦闘不可能な状態なのに、冥官様に敵意を向けるのをやめなかったと。……何故、勝てる訳もないのに、意味のない無茶をしたの?」
意味がないと断ずる女性に、疾は口を曲げて笑って見せた。
「あんたがそう思うなら、そう思っておけばいいんじゃねえの。想像力の足りない輩にいちいち説明してやる義理はねえしな」
「……なんですって」
声を低めた女性を鼻で笑って、疾は立ち上がる。ふらつくのを堪えて歩き出した疾に、女性が慌てたように肩を掴んで引き留めてきた。
「ちょっと、何のつもり」
「治療は終わったんだろ。後は打ち身が治る時間稼ぎだ、ここに居座る理由もねえ」
肩に置かれた手を引き剥がし、疾は素っ気なく言って歩き出す。慌てたように立ち塞がる女性に、溜息をついて言い放った。
「あの男からの話なんざ、どうせまた後でとか言われたんだろうが。別にそれまでここにいろとは言われていない、違うか」
「……」
押し黙る女性。疾の推測は当たっていたらしい。肩をすくめ、女性を押しのける。
「……貴方。命に関わる怪我をしていたという自覚はないの?」
「あるからここを出たがっているんだがな」
得体の知れない力に満ちた空間。それが必ずしも好ましいものではないと、疾の直感が訴えかけてきている。だからこそ、自身にとっての安全地帯でゆっくり休もうという思考が働いた。
「……それは……っ貴方、まさか」
驚愕の眼差しを向けてきた所を見ると、疾の直感はやはり当たっていたらしい。口元を歪め、疾は女性を睥睨する。
「心当たりがあるのかよ、救いようがねえな」
「っ。はったり……?」
「さあ?」
どこまで把握出来ているのか分からないのなら、手札を見せる気はない。今度こそ女性の制止を振り解き、疾はその場を後にした。
***
(……で。出たは良いが、どうやって帰れば良いんだこれ)
広々とした空間に出た疾は、内心独りごちる。共有スペースと思われる、テーブルと椅子が整然と並べられた場所を中央に、左手には扉が多く連なる廊下が、右手には書物や掲示板が並ぶ区域があり、正面奥には受付らしきカウンター。
そもそもここがどこなのかもよく分からないことを、疾は今更に思い出す。意識も曖昧なまま引き摺られてきたのだ、出入り口以前の問題だった。
(まあ、多分鬼狩りが集まる場なんだろうが……)
視線を彷徨わせる疾の顔が、見知らぬものだからだろうか。不意に1人が疾の前に立ちはだかる。
「もしかして、新人か?」
「……そんなところだ」
咄嗟に話をあわせて、声をかけてきた相手を見やる。かなりガタイの良い青年だった。竜胆色の瞳に紺青の髪を持った、鋭さの目立つ顔立ちをしている。
「何か探してたろ」
「ああ、帰り道が分からない」
「は?」
呆気に取られたような顔をしているが、疾もそれ以上言いようがないので肩をすくめる。すると青年は不思議そうな顔をしながら、カウンターを指差した。
「……あっち行って、外の道ずっと歩いてりゃいつか着くだろ」
(いつかって)
何だその雑さ、といいたいが、あまり分からない様子で不審がられても面倒だ。薬が切れる前に帰りたい疾は、取り敢えずその厚意に乗っておくことにした。
「サンキュ」
「は? ……変な奴」
ひらりと手を振って礼を言うと、何故か驚かれたが。それ以上の会話をせず、疾は青年と別れた。
「……」
カウンターから去り際、1度だけ顧みて青年の背中を目に捉える。色々と気になる奴ではあった。
(……ま、そのうちな)
今はあまりにも分からない事が多すぎる。下手に首を突っ込んでも良い事はない。疾はそう思い、今度こそその場を後にした。




