85 囚わるる
「……っ」
耳鳴りが煩い。視界が明滅する。空気が、薄い。
現実を十分に把握出来ないまま、疾は地面に突っ伏している自分を自覚した。
(……魔力……回路、は)
真っ先に懸念したのは、異能の暴走による魔力回路の破壊。意図して破壊出来る力が暴走したのだ、魔力全て消し飛んでもおかしくない。
が、疾が自分の身体に意識を向けると、魔力は変わらず、身の内を流れているようだ。量が大きく目減りした様子も無い。魔力の流れそのものは、寧ろ調子が良いように感じた。
(何が……起こって……)
訳が分からないながらも、疾は状況を考察する。
異能は以前のように疾の身体を傷付けるのではなく、器から解き放たれるように外へと溢れ出た。爆発的な放出は既に終わり、今は熱となって身の内を駆け巡っている。
ただし、熱と言っても身体を焼くような痛みはない。暴走中は溢れ出ていく力の流れに激痛を覚えたが、それも今はない。
身体そのものは酷く重苦しく、全力疾走の後のように心臓が脈打っている。暴走の反動だろう、指先ひとつ思うように動かなかった。
しかし、身の内を駆け巡る力は、これまで実感していたよりも力強く、明確に疾の身の内で存在を主張している。
(……異能を、引きずり出した……何の、為に……)
唐突に現れた男は、極力使わないようにして隠していた疾の異能を、何の目的があって暴走させたのか。その目的について考えようとした疾は、しかしそこで思考を遮られた。
「か……っ!?」
疾の身体が大きく仰け反る。無意識のうちに目を見開いたところでようやく、疾は喉元への焼け付くような痛みと息苦しさを自覚した。
(な、ん……!?)
締められているわけではないのに、息が出来ない。命の危険を感じた身体がもがくが、喉を押さえつけるような力に抗えない。無意識に腕を動かし、指が喉元に触れた。
(……っ、これ、かっ)
力の欠片が指を介して伝わってくる。術式が、急所を介して何かを強制しようとしていた。さながら首輪のようなそれに、無意識に爪が肌に食い込む。
壊せない。感じ取る術式は疾の知る理論からかけ離れていて、ひとつも読み取れない。疾の異能は、術式を理解してこそ破壊出来るのだ。
けれど、この術式を大人しく受け入れてはならないと、直感が働きかけて。疾は、殆ど意識しないまま異能を操った。ノワールの魔術をも退けた力が術式を押しのけ、喉の圧迫が消えた。
「っは……!」
喘ぐように酸素を取り込む。咽せそうになるのを必死で堪えて、疾は異能に意識を懲らした。まだ、術式を完全に打ち消せたわけではない。気を抜けば、また元の状態に戻ってしまう。
その前に、この術式をどうにかしなければ──
「ははっ!」
笑い声が、耳朶を打つ。心底嬉しそうな響きに驚いて疾が目を見開くと、黒曜の瞳に赤い光が混じるのが見えた。
「つくづく凄いな、予想以上だ。これは──敬意を表して、久々に本気を出すか」
男がそう言った、刹那。
「ぐ……う……!?」
凄まじい力の圧に、疾は瞠目した。
疾の周囲の地面が陥没する。更に自身が地面にめりこむのを感じて、疾は顔を痛みに歪めた。
(ありえねえ……!)
これまでですら、凄まじいと戦くほどの力を感じていたのに。今、この男が叩き付けてくる力の圧は、先程までとは比べものにならない。底なしとも言える力は、手加減無しに疾の弱々しい反抗を叩き潰した。
「……っ」
再び押し返された術式が、気道を圧迫する。痛みと苦しさに、勝手に顎が上がる。無防備に晒してしまった喉に、ぐっと掌が押し当てられた。
苦痛に顔が歪む疾と、薄く笑みを浮かべた男の、目が、合う。
『──我、冥王の臣にして裁定者。名を、小野篁。我が役割に従い、彼の者を鬼狩りに任ずる』
謳うような詠唱が轟き。
「────!!」
疾の悲鳴を塗りつぶすようにして、光が周囲を埋め尽くした。
雪崩れ込む力の奔流と、言霊に込められた凄まじい力に、疾の意識は刈り取られた。




