77 土台作り
疾が今後魔法士協会を相手取るにおいて、自身の技能以外に、1つ問題があった。
資金。
魔法具、魔道具を惜しみなく用いて戦う戦闘スタイルである疾は、戦闘の度に洒落にならない費用がかかる。一応安価な天然石で作成しているとはいえ、天然石でもそこそこの金がかかる。一介の高校生に賄える額ではない。
前回の襲撃は親に出してもらったが、毎回頼るわけにもいかない。両親は気にせず出してくれるかも知れないが、これは疾の我が儘である以上、線引きはきっちりしたかった。
となると、金策が必要になってくる。疾は週末を利用して、今までに渡ってきた異世界へと再度渡った。
登録が残っていたギルドで依頼を受けて金銭を確保し、自分の世界でも換金性の高いものを購入する、あるいは現地で魔石を調達する。堅実な依頼から初めて、疾は次第にきな臭い依頼までこなしていった。
裏のある依頼は、大体見れば分かる。厄介事を避けて魔術のみを学ぼうとしていた前回の訪問とは違い、今回は金も経験も欲しい。敢えて危険に首を突っ込んでいった。危険地帯での振る舞いを身に付けなければ、今後の戦いで困るからだ。
疾は、決して強くない。だからこそ、戦いにおいて必ず勝てる訳ではない。
これまでの経験でそれを骨身に染みて理解しているから、疾は常に逃げ道を、引き際を見極めることを最優先としていた。
そうなると当然、状況次第では依頼を中断して逃走する場面も増える。その時は迷わず撤退して、再度準備を整えてから成功させる。
時間や手間がかかることに対し、契約違反だという非難もあるが、罰金さえ払えば問題ない──と思っていたのは始めだけで、裏のある依頼を出す人間がどこまでも欲深く、醜悪であるのか、疾は改めて直面することになった。
「クソガキが、貴族を甘く見おって。伯爵家の威光を理解させてやる」
「……ったく、御貴族様ってのはつくづく面倒だな」
10を超える槍の穂先を突き付けられながら、疾は皮肉げな笑みを浮かべていた。反応が気に入らなかったのか、場の空気が一際殺気立つ。
とある禁足地域での魔物の討伐、部位採集の依頼だった。やたらと高い依頼金に危機感はあったものの、その地域の特性は知識として知っていた疾は、行けると判断して受注した。
空気が薄い高山地域での、翼を持つ魔物の討伐。足場の不足が懸念されたが、魔道具での連続障壁展開を並列で行い、討伐までは順調に進んだ。
が、「採集した部位に欠損がある」という難癖を付けられたところで事態は難航した。墜落した魔物の牙が折れているなんて当たり前であり、墜落の間にその欠片が見つからなくなる事だってそう珍しくもない。基本的に依頼を出す側も受ける側もその程度の損失は暗黙の了解とされている筈だった。
ところが今回の貴族は、欠損を理由に依頼金の減額を言いだした。元々ふっかけてきたのはそちらだろうなどと訳の分からない主張を繰り広げる相手に、面倒になった疾は禁則地域の魔物に手出しした違法性をちらつかせ、怯んだところで畳み掛けて元々の金額をせしめてきたのだ。
後ろ暗いところの多い貴族といえど、あからさまな違法行為が公になれば国も裁かないわけにはいかない。疾の方も、難癖で依頼金を減らせるという評判が立つと今後の活動に支障をきたすため、相手が本気で危機感を覚えない程度の脅しで上手く黙らせた……つもりだったのだが、問題は相手のプライドだったらしい。
「20にも満たない若造に言いくるめられたからって、そう恥じなくてもいいんじゃねえの? こちとら口八丁手八丁と腕っ節だけで生活していく冒険者だぜ。御貴族様の高尚なやりとりには無い手段を用いたんだ、卑怯なのはこっちってもんだ」
笑みを浮かべたまま、疾はからかうように自虐してみせた。それでも表情の変わらない伯爵に、ふと口元を歪める。
「──それとも、何か? 卑怯な手口も御貴族様の得意畑だから、言いくるめられちゃ恥ってか。俺が思う以上に、お綺麗な生活をお送りで」
「貴様……言わせておけば……!」
くつくつと笑う疾に、伯爵の手飼いらしき槍もちがいきりたった。穂先はぶれない所を見るに、最低限心得はあるらしい。
笑みを浮かべたまま、疾はタイミングを計る。相手の呼吸、視線、肩の力。それらをつぶさに観察して、場の流れを読んでいく。
「……なるほど。口が達者なのは確かだが、危機意識が薄いらしいな」
口を開いた伯爵は、そこで嫌な笑みを浮かべて疾を見上げた。
「貴様の依頼は、言いふらされてはマズイもの。互いに口を閉ざすのが大前提の依頼を受けておいて、ばらす可能性のある輩が生きてこの邸から出られると思ったか?」
「はっ、だったらその後ろ暗い依頼で金をけちるんじゃねえよ。こちとら飯の食い上げがかかってるんだ、多少の危険は承知の上さ」
「ほう、なるほど。ならば貴様には、身体で金を返してもらおうじゃないか」
嫌な笑みを深めた伯爵の緑の瞳が、暗い色に淀んだ。
「知らないわけはなかろうが、お前のような見目の良い奴は非常に高く売れるんだぞ。数奇家が愛でるのに最高の素材だな。態度はなってないが、そんなものは躾次第でどうにでもなる」
「……へえ」
口元に笑みを浮かべながら、疾は込み上げてくる嫌悪感を飲み下す。そういう目で見られていたのは、依頼受注時から気付いていた。欲にまみれた目が、疾の身体を舐め回すように動くのを、蔑むような笑みを浮かべて受け流す。
「変態貴族ばかりの国たあ終わってるな。気味の悪い趣味を持った輩は、どこにでもいるもんだ」
「くくっ。貴様とて、冒険者などと言う下卑た職業をしているのだ。経験が無いわけじゃなさそうだな」
「生憎と、そういう趣味はねえな」
「そうか、なら今から覚えてもらおう──生け捕りにしろ」
伯爵の号令に一切の停滞無く、槍が一斉に疾へと突き出された。
「はっ」
鼻で笑う疾の姿を見失った槍もちは、急に重くなった槍にバランスを崩した。
「室内で槍を振るうなんてな。死にてえの?」
突き出された槍を踏みつけて着地した疾は、嘲笑うと同時に魔術を発動した。
轟! と腹に響く音が部屋を席巻し、炎が巻き上がる。
「火だと!? 貴様──!」
「消火だ! 急げ!」
「くそっ、魔道具が起動しないだと!?」
「伯爵、お逃げください……!」
「私のコレクションが──!」
怒号、悲鳴。喧噪の中、一足先に窓を蹴破り邸を飛び出た疾は、駆け足でその場を離脱しながら唇を歪めた。
「これで5件。ったく、貴族の依頼は大体こーなるな」
金と権力を持ち合わせた人間が、どれほど欲に溺れているのかよく分かった。出会う度に売り飛ばそうとしてきたり、薬を持って襲おうとしてきたり、集団でねじ伏せようとしてきたり。他にする事はないのかと言いたくなるほど、疾が貴族相手に依頼を引き受けると、身体目当ての襲撃が待っていた。しかも、男女問わずである。心底気持ち悪い。
薬に関しては常備していた解毒の魔道具が良い仕事をしたものの、今後は出されたものに口を付けるまいと心に決めた。敢えて呷って相手の動揺を誘っても良いが、リスクが高いのであまりやりたくはない。
ちなみに、先程の伯爵が指摘したような冒険者同士でのトラブルは、数多くの即席チームを組んできて1度も起こっていない。酒場で酔い潰して良からぬ企みを抱いていた冒険者は、後で貴族が飼い殺しにしているのが判明したので、やはり変態は貴族に多いらしい。終わっている。
なお、疾は母親譲りだったらしく、ウイスキー並みの度数の酒をひと瓶一気飲みしても、少しも酔わない体質だ。酔い潰そうとした連中を逆に酔い潰し、背後の貴族を聞き出してから、その辺の治安の悪い路地に転がしておいた。その後は知ったことではない。
貴族を相手取るのはなかなか面倒事が多く経験になり、良いお財布でもあったため、これまではあの手この手で穏便に躱しつつこなしてきた。相手を見極める練習にもなるので、ポーカーフェイスが常である貴族の依頼は都合が良かったのだ。
だが、いい加減鬱陶しくなった疾は、今回初めて強硬手段に出た。あの伯爵は今回の依頼を含め、奴隷の裏取引だのなんだの非常に後ろ暗いことに手を染めていたから、証拠を揃えて騎士団に匿名で投書しておいた。火事騒ぎから繋がってこれらが明るみに出れば、取り敢えず奴は終わりだろう。証拠が地下に揃っているのも告げ口済だ。
その後、伯爵は国の方で裁かれ、疾は依頼主を裏切る可能性がある輩として暫くギルドに監視を受けたが、相手が100%悪かったと判明したため違約金までもらえた。平民が貴族に手出しした件については有耶無耶になるよう情報操作しておいたのが上手くいったらしい。火事はいつの間にか、ただの小火騒ぎとして処理されていた。
そうして、異世界で稼いだ金銭で魔石を購入し、こちらの世界で売って金にする。場合によっては一般に流通している魔道具を制作して売り出すこともあったが、魔術知識を盗まれても困るので、オリジナルの魔道具は売らずにおいた。
地道な金稼ぎだが、魔石への換金がそのまま武器にも出来る。疾の懐は徐々に暖まっていった。




