7 信頼
勉強の後は、甘い物が食べたい。
そんなアリスの要望に応じて、3人はケーキバイキングのあるカフェに入った。
「ユベールも来るの?」
「駄目?」
「アヤトと2人がいい。邪魔」
びしっと固まって、そのまま真っ白になりそうな勢いのユベールを見て、疾は慌ててフォローを入れる。
「勉強教えてもらったんだし、それくらいはいいじゃないか。歩くお財布だと思えばいいだろ」
「むう……アヤトがそう言うなら」
拗ねたような顔で了承するアリスに、ユベールは安堵混じりの微妙な顔をした。
「アヤトって……たまに黒いよね」
「黒い?」
「いや……いいけどさ」
怪訝そうな顔でユベールを見返すも、ユベールは曖昧に苦笑するばかりだったので追求を諦めた。疾の腕をアリスが引いたのも理由の1つだが。
「アヤト、早く取りに行きましょ!」
「落ち着けって、ケーキは逃げないぞ。俺とユベールは席を確保してくるから、アリスはゆっくり選んでこい」
「分かった!」
言うなりケーキコーナーに突撃していくアリスを笑って見送り、疾はユベールと2人奥の目立ちにくいテーブルを選んだ。
「アヤトがいる限り、目立たないとか無理だと思うんだけどね」
「ユベール、気休めって大事だぞ」
辟易した表情の疾に、ユベールが苦笑して肩をすくめる。
「君が人目を集めるのを楽しいと思える性格なら、これほど幸せなギフトもないのに」
「生憎、その裏にある変態、ストーカー、性犯罪者予備軍の群を見てしまったからな。そんな幸せ思考を出来るほど暢気じゃない」
「ああ……それは確かに、大変そうだな。最近、アリスと2人で帰らないのはその為かい?」
さらりと投げ掛けられた問いかけに、疾は少し目を細めた。
「気付いていたか。流石だな」
「席取りもその為だろう? アリスに気取られまいとしてくれるのには感謝するよ。避けられてるだなんて思ったら、傷付く」
「まあ……だよな」
はあ、と溜息をついて、疾は視線を一度素早く周囲に投げ掛ける。声を低めて、ユベールの問いかけに答えた。
「元々、変な連中に目を付けられやすいのは確かなんだが。最近なんか……妙、なんだよな」
「妙?」
「言葉にするのは難しいんだが……何かが違う、というか」
口籠もる疾は、逡巡を浮かべている。それを見て、ユベールは怪訝そうな顔になった。
「随分曖昧だな?」
「ああ、いや……」
「いや、いいよ。そういうのは、経験ある人間の意見を聞くべきだ」
弁解しようとする疾を押しとどめ、ユベールは少し笑う。意外そうな疾の顔を見て、付け加えた。
「アリスが惚れる男だし、こんな下手な言い訳しか出来ないアヤトじゃないのは、僕も知っている。信じるよ」
「……さらっとシスコン発言が混ざってて微妙だけど、ありがとな」
ほっとしたように笑った疾に、ユベールが笑顔のままさらりと呟く。
「ただ、アリスが2人きりの時間が少ないって、寂しそうなんだよね」
「……」
「兄としてはちょっといただけないな。それに、彼氏として甲斐性を見せてほしいなあって」
「……あー」
視線を少し泳がせた疾に、ユベールはにこりと笑い、すっと2枚のチケットを差し出してきた。
「というわけで、今度の休みにどうぞ」
「は……いや、おい」
フランスでも有名なネズミの国のチケットに、流石に疾は顔を引き攣らせる。
「い、妹の為にこれ買うか……高いのに」
「天使の笑顔の為なら、安いものだね」
「マジでそのシスコンは何とかした方がいい……というか、俺、こういうの並ぶの苦手なんだけど」
数時間待ちという情報を耳に挟んだ事がある疾がそう言うも、ユベールは動じない。
「いやアヤト、30分やそこらの待ち時間なんて、うちの天使と楽しく会話していれば、あっという間だろ」
「だからその発言……って、30分?」
「? 30分待つ方が珍しいけど、それがどうかした?」
きょとんとして答えるユベールに、疾は唖然として呟いた。
「……日本だと、2時間待ちはデフォらしいぞ」
「…………それは、よく行くね…………」
日本のネズミの国は、どうやら非常識なレベルで混んでいるらしい。疾は驚き半分、安心半分に頷いた。
「ま、そういう事なら了解だ。帰りは悪いけど──」
「うん、分かってる。父さんが現地まで迎えに行けると思うよ。アヤトも乗っていくと良い」
「待った、それキツい。俺は自分で何とかするって」
頬を強張らせて反論するも、ユベールはにっこり笑った。
「やだなあ、アヤト。パリから電車だと小一時間かかるんだぞ。12歳が1人で行くのは危ない」
「……だったら親に聞いてみる。そっちのお父さんに世話になるのはちょっと」
疾の反論は聞かぬ振りで、ユベールは締めくくった。
「というわけで、ちゃんとアヤトが誘えよ」
「そりゃまあ……それくらいはな」
疾が頷いたところで、アリスが2人を見つけて近寄ってくる。疾はすっとチケットを引き寄せ、ポケットに押し込んだ。