69 後遺症
怪我の後遺症の有無、魔力回路の検査、その他一般的な健康診断。ひとしきりの検査結果では、身体的な問題はほぼないとの診断が出た。精神的な不調も、今の所は安定していると判断された。
しかし、問題はその後、約束の問診を行った結果だ。
「……おまえな」
「……」
ふいとそっぽを向く疾に、医師は据わりきった目を向ける。
「回路が妙に不安定だとは思ったが……奴の魔力が、残っているかもしれない、だと……?」
「気付いたのは最近だがな。診断上はどうだ」
「……魔力の流れがやけに悪いのも納得がいく。他者の魔力ってのは、魔力持ちにとっちゃ毒だからな。しかし、俺達が診察しても分からなかったのに、よく分かったもんだ」
「人ならざる力については、治療が必要なほど感覚が鋭敏だからな」
適当な相槌を打つ疾に、医師が顔を顰めた。
「他人事の様な態度を取るんじゃない。魔力の乱れはそのまま身体や精神の不調に繋がるんだぞ。経験はないのか?」
「ある」
異世界を渡った後の不調を思い返して頷くと、医師は大きく溜息をつく。
「あっさり頷きやがった……やっぱお前さん、本調子とは言えないんだろ。身体の不調を軽く見るのは、お前さんの精神症状の根幹だな」
「……」
押し黙る疾に行儀悪く指を突き付け、医師は続けた。
「良いか、身体の声を軽んじるな。しっかり受け止めて、療養しろ。痛みってのは身体からの危険信号だ。無視してると碌な事にならない」
「分かってはいるが、無視せざるを得ない状況が多くてな」
疾は肩をすくめて返す。戦いの場に身を置く以上、安全地帯に逃げ込むまでは、どうしても傷の治療が後回しになってしまう。魔力切れのリスクを抱えるから、応急処置としての治癒魔術も止痛の魔術も後回しにして戦わざるを得ないのだ。自然、痛みに無頓着になる。
「死んでしまったら元も子もない。命に関わる傷じゃなければどうしても後回しになる」
「積もり積もれば、それも命に関わるぞ」
「知ってる」
即答すると、医師はぐっと表情を変えた。押し殺した声で、尋ねてくる。
「……だからか。親父さんに、黙ってるのは……」
「察しが良すぎると苦労するぞ」
小さく笑って見せた疾に、医師は椅子を蹴って立ち上がった。勢いに任せて怒鳴ろうとしてくるのに、言葉を重ねる。
「現実を見据えてるだけだ」
「なんっ」
「あの野郎の手に落ちて、後遺症1つ残らないわけないだろうが。……無茶が出来るうちに、片付けておかないとならないんだよ」
無茶をしている自覚はある。これからやろうとしている事も、異世界転移も、疾の本来の能力を大きく上回っている。魔力切れを何度も起こしているのも、寿命を削ると分かっていてやっているのだ。
疾に、疾の家族に執着する化け物を、死ぬまでに始末する。それだけを、成し遂げる為に。
「分かってるだろ? このままだと、俺の魔力回路は、使えば使うほど駄目になっていく」
「っ……」
言葉に詰まる医師は、根本が正直者らしい。誤魔化しもしない相手に目を細めて苦笑し、疾は重ねて言う。
「いつか体にガタが来て、魔力が使えなくなる時が来る。……そうなった時、生き延びられるかどうかは、な」
魔力と異能、相反する力。生まれながらの才能だ、本来両者は共存していたのだろう。しかし総帥によって歪められた結果、誤作動が起こり、身体に負荷を掛けている。魔力切れの症状と思ってきた苦痛の原因に、それも含まれているだろう。そのうち限界が来て、魔術を扱えなくなる。
総帥が消えても、疾を狙う輩は途絶えない。両親は守るつもりでいても、いつか疾より先に戦えなくなる時が来る。魔術が使えなくなって、守る者が消えたら。……疾はきっと、自分を狙っている敵から、自分が作っていく敵から、逃げ切れない。
本来ならば、総帥と喧嘩などという無茶はせず逃げに徹して、魔術は使わないでおくべきだ。
だが、それはしない。出来ない。
「俺が戦いの場に身を置くっていうのはそういう事だ。だから、それまでにあの野郎だけは始末する。……そこから先は、その時考えるさ」
それが、疾の限界だ。
「お前……」
「今は、な」
「は?」
「今はそれが限度だけどな。この先、知識を得ていく先でどうにかする方法が見つかるかもしれない。というか、探すさ」
絶望的な状況だからと盲目的に破滅へ向かう気はない。自分はそこまで、捨て身になりきれない。
「結局は命が惜しい徒人だからな。無茶はしても死地に突っ込んでいくつもりはない」
そう締めくくると、医師は何度か口を開閉した後、脱力したように椅子に身を投げ出した。ぐったりとした様子で、疾を睨み付ける。
「……ったく。それがまだ15やそこらのガキが言う台詞か」
「さあな」
くつくつと笑う疾に呻き声を漏らして、医師は頭を掻きむしり、投げやりな声を出した。
「あーもう、金の分だけって言った以上、協力してやるよ。はあ……、分かってて言質取りやがったな」
「発言には気を付けた方が良いぞ」
「お前が言うな」
軽く睨んで、医師は電子カルテに手を伸ばした。タイピングと同時並行で、問診を続けていく。
「で、その奴の魔力が混ざってるってのは、どこか起点のようなもんはあるのか?」
「右目」
「即答かよ。根拠は?」
「奴が修復魔法をかけたから。色々と仕掛けを組み込んだようだな」
タイピングの音が止んだと思うと、医師の顔が勢いよく疾を向いた。
「おい待てクソガキ」
「呼称が酷い事になってきたな」
「お前さんなんかクソガキで十分だ。……右目の、修復魔法だと?」
聞いていない、と鬼気迫る様子で詰め寄ってきた医師を押しのけると、疾は軽く返した。
「誰にも聞かれなかったし、俺は俺で思い出したくなかったからな。……右目は奴に抉り取られた後、修復された。多分、後から治癒魔法を掛けても戻らないようにとか、なんらかの嫌がらせを兼ねてるだろうよ」
ひゅっと、息を呑んで。医師は改めて顔を寄せてくる。
「……コンタクト、外せるか」
素直に応じると、医師がベッドへと疾を導き、横にさせた。その状態であれこれとよく分からない機材を扱いながら、検査を進めていく。
そして。
「……すまん。俺には、どうすることも出来ない」
肩を落とす医師の宣告に、コンタクトを付け直した疾は肩をすくめた。
「そんな気はしていた。で、魔法は何がかかってる?」
コンタクトを外して鏡越しに見ても、細かい部分まで魔法が視えない。だから疾は今まで、自分にどんな魔法が掛けられているのか知らないままでいた。知れるなら知った方がいいだろうと問いかけると、医師は淡々と説明を口にする。
「まず、魔力の歪みを生み出す魔法。常に微量の魔力が回路を掻き乱すようになってる。次に、……干渉の無効化。修復された部分を取り除こうとしても、魔術的な干渉も物理的な干渉も撥ね除ける」
「おおむね予想通りだな」
「まだ、ある。これが1番、お前さんにとっても問題だ」
目を眇めた疾に、医師は重い口調で告げた。
「次にお前さんが奴と対峙する時……奴の気分1つで、その眼球は潰れる。神経も血管も繋がったままにな」
「……そりゃ確かに問題だな」
視界が半分になる事も、立体視が出来なくなることも、戦闘に於いては致命的だ。加えて激痛や出血が止められないとなれば、それだけで命に関わる。
「あと、その時までお前さんが視たものを記録して、潰れた時に奴の元に移るな」
「……」
眉を寄せる疾に、医師はぐっと奥歯を噛み締めた。
「多分、その時に目を治すのは無理だ。……治癒魔法は、時間的な制限が厳しい魔術の1つだからな」
「長らく欠損状態が続いていると、欠損が健常状態だと認識されてしまう、か。……紛い物の目って訳だな、これは」
軽く瞼に触れて、疾は考える。掛けられている魔法を解く方法は、無効化する方法は、あるか。
「仮にだが、今この目を取り除けたとしてだ。再生はやっぱり、厳しいのか」
「……ああ。少なくとも俺には、俺やお前さんが住む世界の技術では、無理だ」
「となると、どうあっても右目が失われるのが前提か……」
その後も幾つかの質問を重ねて、疾は右目の状態を把握した。医療の知識は、医師の軽い態度とは裏腹に豊富だ。質問を終える頃には、疾は随分と頭の中を整理出来た。




