68 交渉
「突然だが、俺は金が大好きだ」
「本当に突然だな」
率直な感想に構わず、医師は朗々と続けた。
「どれくらい好きかというと、命より好きだ。金があれば好きに遊べる、好きなもん買える、女が寄ってくる。金ってのは万能だぞ」
「身も蓋も無いが、だろうな」
「だから俺は、金を稼ぐことが大好きでな。この人権のない職場で朝から朝まで駆けずり回る事になろうと、金さえ払って貰えれば何でもやる。手術でも長期入院でも急患でも、金さえ積めばいつでもどんな場合でも対応する」
「へえ」
面白い、と疾は目を細めた。一見、倫理に悖る発言かもしれない。命を金で買い取る事を推奨する人間は、大抵において非難されるし、それが救う側ならば尚更だろう。
が、しかし。
「どんな問題を抱えていようが、どんな難病だろうが。金さえ払えば治療してやるし、取り巻く問題も見て見ぬ振りあるいは協力するさ。金を払えばな!」
「ビジネスライクな労働方針なんだな」
「おうとも。あ、世の中の殆どの医者は違うぞ、どいつもこいつも人の命を救う事に命掛けられるクレイジーなお人好しばっかりだ。俺みたいな金の亡者はそうそういない!」
胸を張って言い切ると、医師はだが、と繋げた。
「だが、その代わり払われた金の分は絶対に誠実に働くぞ。手に追えなければ専門医に相談してしかるべき治療を行うし、装置がなければ買うなり借りるなりして用意する。秘密は棺桶まで持っていくし、後からどんなに金を積まれても裏切らん」
「へえ、最後は意外だな」
「アホウ、お金様を既に受けとってるのに裏切ったらお金様に嫌われるわ! 金ってのはそういうもんだ」
「道理だ」
くつくつ笑いながら、疾は頷いた。疾にとっては、この医師の姿勢は嫌いじゃない。
「ちなみに、稼いだ金は半分は寄付に、もう半分は俺の遊びに全額使う。いつ過労死してもおかしくないのに、宵越しの金なんか大事に抱えても意味ないからな」
「潔いな。寄付に使ってる辺りがなんとも人間くさい」
「どんな金でも回ればいいのさ。金のために生きてるからな、社会還元はしないといつか金が入ってこなくなっちゃ困る」
笑う疾にきっぱりと言い切って、医師はずいと身を乗り出した。
「というわけで。今回の診察分は既に親父さんから受けとってるから、ヘルスチェックはきっちりさせてもらうし、お前さんに不利益になる事は絶対にしない。そして今後も金を払う気があるなら、俺は誠実に治療するし、秘密は守る」
「……」
すっと笑いを収め、疾は医師を観察する。語調や話の流れ、表情から、医師の言葉の意図を推察した。
「なるほど。金を取るために、すべき努力はしてるわけだ」
「俺は金には誠実だぞ」
「褒める気にはならないが、そこまで来れば大したもんだな」
苦笑して、疾は一応用意していたユーロ札の束を放り投げる。受けとった医師に、試しに聞いてみた。
「親父の金だけでの診察なら、俺は問診に応じない。が、それを受けとることで、診察結果を親父に伏せられるなら、全て嘘をつかず問診に応じて、診察も受ける」
「……やっぱな。親父さんと一緒に来なかったから、予想はしてたよ」
溜息をついて、医師は顔をしかめた。
「黙ってたことが、あるな?」
「聞かれないから言い損ねて、そのままって方が正しいけどな。……それで?」
返事を迫ると、医師は顰め面のまま、低い声を出す。
「多分親父さんは、お前さんが1人で受診した時点で、ある程度は察しているぞ」
「だろうな。だが、具体的には知られたくない」
「……何を、隠してる?」
「そこに答えるかどうかは、あんたの返答が先だろ」
両手を軽く開いて見せると、医師は呻き声を出して、また頭を掻きむしった。
「はー……親父さんからは、別行動になろうと診察結果も教えてくれと言われている」
「まあ、だろうな」
「だから、まず問診なしで診察する」
軽く眉を上げた疾に、医師は視線を1度窓の外に向けてから、続ける。
「で、そのあとでお前さんが隠しておきたい分の診察をする。その結果はお前さんだけのもんだ。……ここが妥協点だ」
「ま、そんなとこだな」
軽く息をついて、疾は了承を示した。医師も頷いて、診察が始まった。




