59 吉祥寺
しかし、現実はなかなか疾の思い通りに行かない。
あれほど心を折ったにも関わらず、術者からのコンタクトは続いた。
(……うぜえ)
片っ端から物理的に沈黙させつつ、疾の思考は「いっそ研究所の連中と同じく大本から潰すべきか」という方向に進みつつあった。これまで実行していないのは、ひとえに中央の山に施された封印が念頭にあったからだ。
あれほどの人と手間がかかった封印に、鬱陶しい術者連中の大本が関わっていないとは思えない。街の守護に携わっている誇りとやらを語っていたことからも、間違いはないだろう。
となれば、大本を潰してしまうと、封印が解け、厄介なカミが目覚めてしまう。それは困る。
(魔力増やし放題なこの街が、そう簡単に消えちゃ勿体ないからな……)
そんな打算のもと、来る敵を全て叩き潰すという、疾にしては消極的な応対を心がけていた、ある日。
「──君が、最近噂の野良の魔術師さんとやらかな」
「ん?」
背後から声をかけられ、疾は振り返る。そこにいたのは、シンプルなセーターとコーデュロイパンツを纏った、高校生か大学生くらいの少女。
「てめえもあの鬱陶しい術者の仲間か? にしちゃあ随分と魔術の匂いが濃いが」
「おや、分かるんだ」
驚いた様に瞬く少女は、疾に対して然程の敵意を持ち合わせてはいないようだ。だが疾は気を抜かず、表面上は平然と応対してみせる。
「その程度も見分けられねえとは、この街の術者は質が低いな」
「耳が痛いね。とはいえ、紅晴の術者は日本の中でも精鋭揃いなんだけど」
──君は、どこから来たのかな?
薄く笑みを浮かべて尋ねてくる様子に、疾は少女への評価を一段階上げた。思ったよりも、こちらの発言を良く拾っている。
とはいえ、答える義理も無い。せせら笑ってみせた。
「出会う側から他人様に不審者だ連行だと、訳分かんねえ難癖付けて攻撃してくるような阿呆共を精鋭と言ったら、真っ当な魔術師術師が泣くぜ?」
「……話を伺いたい、という要請くらい応えてくれてもいいんじゃないかな?」
「却下。時間が勿体ねえし、話すことなんざねえ」
それに、と。疾は唇を歪めて首を傾げてみせる。
「立場も名乗り出ないような、怪しげな術者集団に不審者扱いされても、片腹痛いとしか言い様がねえな」
「……」
少女は少し黙り込んで、ふうと息を吐きだして返した。
「……眞琴。この街の守護を司る家が一、『吉祥寺』の次期当主だよ」
「へえ?」
随分と、大物が出て来たものだ。これまで潰してきた連中はどいつもこいつもヒラっぽい空気を漂わせていたから、精々分家のトップ程度かと思っていたのだが。
「それで、君は?」
「てめえに名乗る義理はねえな」
「…………」
物凄い目で見られたが、笑顔でスルーする。魔術師の常識が「姓か名のどちらかを名乗る」というものだとは知っているが、そもそも正式な魔術師ではない疾が従う理由もなければ、自分が認めた異能者以外に個人情報を漏らす気もなかった。
「……随分な性格だね」
「お褒めに与り光栄だな」
「褒めてないよ……」
はあ、と溜息をついて、眞琴と名乗った少女は前髪を掻き上げる。
「まあ、いいか。本題に入ろう。……こちらの『家』が何を守っているのか、君は知っているのかな?」
「あれだろ」
軽く顎をしゃくって中央の山を示せば、眞琴は頷いた。
「それが分かっているなら、話は早い。──あちらにおわす神の封印を守り抜くのが、この街の術者にとっての最優先事項だ」
「……」
「だから、外者には敏感でね。君が何をもってこの街にやってきたのか、妖を容易く滅する術は何なのか。そういう疑問を放置出来るほど、うちはお人好しではいられないんだ」
「……やれやれ」
相手としては、懇切丁寧に事情を説明したつもりなのだろうが。そんな事は最初から聞かされていたし、事情込みで理解している。
「馬っ鹿じゃねえの」
重要なのは、そこではない。
「え?」
「そっちにどんな事情があったとして、だ。──てめえらの要求に応えて、俺に何のメリットがある?」
この一件に、疾が関わる必要性などない。事情もどうでもいい。疾にとって、どのような利があるのかを一切示さず、それどころか。
「尋問だの記憶の消去だの、俺に害ばかりを示しておいて、絡繰りを言えなんてな。──ハイ分かりましたと応えると思ってるのか、馬鹿が。その程度の認識でいるなら、今直ぐ魔術を捨てろ」
魔術師にとって、情報は最大の武器だ。自分の手札を有効に使ってこそ、魔術師はこの殺伐とした世界で生き延びる。魔術は一つ間違えれば己ごと全てを滅ぼす諸刃の剣だと、疾は父親からいの一番に学んだ。
それを何の対価も示さずにさらけ出せなどと、どんな厚顔を持ってほざくのか。魔術を扱っている癖して、魔術師の基本すら押さえていない連中に、疾が煩わされる理由はない。
「俺としては、カミがこの街を沈めようが沈めまいが、心底どうでも良いんだよ。とっとと逃げれば良いだけだからな」
「っ、一般人の命がかかっているんだよ?」
「だから?」
くだらない。色めき立つ眞琴から、疾の興味は急速に薄れていく。少しはましかと思ったが、つまらない。
「どんなに大多数だろうと、他人の命と自分の命を天秤に乗せて自分に傾かないほど、犠牲愛に酔っちゃいないんでな」
「……っ」
ぎり、と奥歯が食いしばられるのを、醒めた目で見やる。本当に、くだらない。
もし、彼女が心底街の為を思い、あらゆる手を使って自分に接触してきたのなら、まだ話は違ったのに。彼女が持つ「武器」は、異世界で様々な魔術文明に触れてきた疾相手でさえ、交渉材料として十分な価値を示したのに。
「中途半端に役割を担う振りをしてる未熟者と、対等な取引なんかする気はねえよ」
「……っ! 君は……っ」
極限まで目を見開いて立ち竦む少女を鼻で笑い、疾は踵を返した。こんな中途半端な術者に遅れを取る気がしない。
「じゃあな。次はもう少しマシな対価を用意してこい」
腰に下げたバッグに納まる、魔力の色濃い書。眞琴と名乗った、魔術を扱う女性。
その特徴に一致する存在を、疾は世界を渡るうちに、耳に挟んでいた。
──『知識屋の魔女』。
あらゆる魔術に関わる書を仕入れ、資格を持つ者に、相応しい対価と引き替えに与える魔女。魔力を篭めるだけで魔術を発動する不思議な書──魔導書の、使い手。
そんな彼女と疾との初対面は、こうして終わった。




