57 妖
異世界に渡る合間も、疾は多忙だった。
何度も魔術師に襲われ、撃退していく。手段を選ばず叩き潰す疾に、躍起になる連中もいたが、自棄を起こされる前に片を付けた。
(……しつこいな、こいつら)
同じ敵に何度も襲われるのは鬱陶しい。相手の手札を知り尽くしていると、どうも一辺倒な対応が続くのだ。正直、飽きる。
何か、相手が疾に手出しをしなくなる方法が、組織の破壊以外にあれば良いのだが……今後の課題にしておこう、と疾は脳内にメモしておく。
更に、妖からの襲撃も始まった。
「……次から次へと」
げんなりと呟く疾の前には、獣型の異形が5体。耳障りな声を上げて周囲を囲み、牙を剥いている。殺意が肌をじりじりと焼いた。
「ったく」
吐き捨てて、疾はポケットから取り出した銃を構える。丁度地面を蹴って飛びかかってきた妖に、魔力弾を撃ち込んだ。
金属が打ち付けられるような音がして、魔力が霧散する。
「っ!?」
反射的に身体強化魔術を発動、身体をひねった。脇腹の直ぐ横を通り過ぎていく風を感じながら、疾は目を眇める。
「魔力が効かない……そんな事があるか?」
着地した妖に、もう1度引き金を引く。やはり魔力弾は直撃するも、霧散した。
「……」
魔力の込める量を少しずつ増やして、3発。最後でようやく、浅く傷が出来て血が飛び散る。
「……抵抗値が高いのか」
悲鳴を上げる妖を見て、疾は推測を口にした。それを隙と見たのか、様子見をしていた4体も一斉に飛びかかってくる。
魔法陣を展開。銃弾を撃ち込んで魔術を展開しつつ、距離を稼いだ。
相手を凍り付かせる魔術は、妖の体表を薄く氷で覆ったものの、身動ぎ1つでパリンと音を立てて割れる。
「魔術も厳しい、か……いや」
飛びかかってきた相手に、丁寧に編み上げた魔法陣を展開し、銃で魔力を流し込む。弾けるような音と共に、圧縮された空気が一気に膨れあがり、妖を呑み込んだ。
傷だらけになった妖が地面に落ち、そのまますうと消える。それを見届けて、疾は舌打ちを漏らした。
「魔力消費を増やせば何とかなる、と。ったく」
度重なる異世界転移で随分増えたが、相変わらず魔力量は平均的な魔術師以下だ。こんなちっぽけな妖一匹に使う魔力量がこれでは、先が思いやられる。
「ま、んな事言ってる場合じゃねえな」
まだ妖は4体残っている。意識を考察から現実に戻し、まさに四方から襲ってくる妖を一瞥した疾は、地面を強く蹴った。──上へ。
残しておいた身体強化魔術が、疾の身体を高々と飛ばす。骨格の強化と筋力の強化を分け、強化する筋力を流動的に変化させることで、最小限の魔力で運動パフォーマンスを押し上げていた。
入れ違いに残すようにした魔道具が発動し、炎が吹き荒れる。疾が持つ中では比較的高純度の魔石に込めた魔術は、容赦なく妖の身体を焼く。
「よ、っと」
一瞬だけ展開した魔術障壁に足を引っかけ、体勢を整える。そのまま着地体勢に入りつつ、銃の引き金を引く。
魔法陣が輝き、氷柱が妖の体を貫いた。耳障りな悲鳴が響き渡る。
「……あ、人払いしてねえ」
今更に思い出しつつ、疾は着地した。膝のバネで衝撃を上手く殺しつつ、視線を一瞬だけ周囲に向ける。
魔術師の襲撃では、魔術師側が勝手に人払いの魔術を使うことが多く、疾は相手を倒すだけに集中すれば良かった。だが、妖だと話は別で、確かある程度は強い妖でないと、一般人を遠ざけることも出来なかったはず。
(まだ人が来る気配はない……いや、違う)
意識して探って、気付く。疾を中心にした周囲1キロ、綺麗に人気がない。そして、疾の目に映し出される、独特な力の紋様。
(……日本の、術者か?)
日本特有の魔術体系が存在することは、父親から聞いている。理論については何故かはぐらかされてしまったが、見覚えのないこの人払いが、それである可能性は高い。
(素直に感謝するのは早い気がするが……ま、いいか)
ひとまずはトドメをと、疾は妖の頭部に照準を合わせ、引き金に指をかける。妖に照準を合わせ、力を込めた。
──タンッ。
銃声が響き、妖の頭が弾け飛ぶ。
「……は?」
戸惑いの声を上げながら、疾は半ば惰性で引き金を3度引く。その全て、妖の頭を綺麗に弾けさせた。
──妖の身体が、どろりと溶けるように崩れ落ちる。
「……これは……」
咄嗟に、自分の手を見下ろした。銃は変わらず魔力回路を残しているが、銃を握る右手、力を流す起点から感じる残滓は、魔力ではない。
「……異能が、勝手に反応したか」
初めて渡った世界で、精霊に言われた事を思い出す。魔術だけではなく、精霊をも消滅させる、正体不明の力。疾は今まで、魔術を破壊する以外に、これを使ったことはなかった。
「意識と、必要性に応じて、か」
唇を歪めて、疾は息を吐き出す。銃をポケットに戻し、踵を返した。とにかく終わったのだからそれで良いと、思考を手放す。
──得体の知れない、異能。
何度も助けられながらも、疾はこの歪な力に対する忌避感を消せずにいた。それはおそらく、あの子どもに弄くり回されたせいであり、……疾がもう1つの武器とする魔術を、無に帰すものだからだろう。
(なんで、この力は……──)
「おい、待て」
背中に声をかけられ、疾は足を止めた。ゆっくりと振り返り、声の主を見る。
疾の外見に驚いたらしく、目を見開いて立ち竦む袴姿の男がそこにいた。警戒はしているのだろう、術に使うと思しき数珠を持っている。
「何か用か」
声をかけてやると、はっと我に返った男が、高圧的に尋ねてきた。
「貴様、今、妖に襲われていたはずだ」
「それが?」
「っ、妖を倒す術を持っている理由が分からない。話を聞かせてもらう」
「……はあ?」
(何だ、こいつ)
決定事項のように付いてこいと促す態度も、妖を倒す術がどうのという言葉も、疾の神経に酷く障った。顔を顰める疾に、男は尚も高圧的に告げてくる。
「野良の魔術師が、妖を倒せるものか。魔術では妖に対応出来ないというのは常識だ。にも関わらず貴様が倒せたそのからくりは、外道の術であるはずだ。もしそうでなく巻き込まれただけなら、謝罪の上で記憶を消させてもらうが、取り調べはどのみち必要だ」
「……お前、阿呆だろ」
「何?」
おそらく、タイミングも悪かったのだろう。疾も鬱屈を抱えていて、相手もたまたま面倒な輩だった。いちいち癪に障る物言いをする男に、疾は唇を吊り上げた。
「懇切丁寧に何をする気か説明されて、はいそうですかと付いていくバカがどこにいる? 少なくとも俺はまっぴらごめんだな」
「なん……っ、街の治安維持のためだ!」
「んなもん俺に関係あるか。ここに住んでるだけの異能者相手に噛み付いて、新陳代謝を忘れた古ぼけた組織が吠えるな。俺が付き合わなきゃなんねえ理由なんざ、これっぽっちもねえよ」
そもそも、疾は妖に襲われたから撃退しただけであって、街の治安を揺るがすような真似はしていない。対抗する術を持っているからといって、何故連行されなければならないのか。本来治安維持を担う者なら、襲われる前に退治出来なかった己を恥じる場面だろう。
「……っ、街の術者に逆らって、無事でいられると思うな」
「へえ?」
虎の威を狩る愚か者に、疾はにいと笑う。
「そりゃ面白そうだな」
「なっ」
「目にもの見せたきゃやってみろよ、こっちは全力で正当防衛に走らせてもらうぜ」
精々、人の神経を意味もなく逆撫でた自分を恨むと良い。
……30分後。八つ当たり半分でボコボコにした疾は、少しすっきりした気分で家へと帰った。




