43 魔力枯渇
けれど、現実はいつだって残酷で。
魔術師の襲撃は激しくなる一方。辛うじて逃亡しているが、それでも、疾はじわじわと消耗していく。
逃げて逃げて。戦って、また逃げて。──立ちはだかるのは、やはり、魔力不足。
魔力の回復速度は速いが、それを上回る勢いで襲われて。これまで撃退出来ていたのに、煙に巻いて逃げるのがやっとで。
疾の限界は、目と鼻の先だった。
ぐらりと揺れた身体を、壁に手を付いて支える。視界は既に船酔いのように不安定で、平衡を保つのに何ら役に立ってくれない。
(やっべ……限界、見誤った……)
今回の相手は、逃げる疾をしつこく追い回していたぶってきた。魔道具を使い果たしてなんとか相手を撒いた時には、魔力がほぼ尽きかけていた。
魔力切れの目眩は、何度も経験済みだが。今回、それを通り越すとどうなるのかを、ありありと疾に体感させた。
体中から力がこぼれ落ちて、脳が揺れる。呼吸すらも気を抜くと浅くなって、思考に靄が掛かる。必死で酸素を取り込んで、疾は足に力を送った。
何とか、家まで辿り着いたのだ。部屋に戻れば、魔力補充の手段がある。
また、身体が揺れる。今度は手が間に合わず、壁に身体がぶつかった。とん、と小さな音が、寝静まった家の中でやけに響いて聞こえる。
(ま、ず……)
息を潜めて気配を殺す。誰かが起きる気配が無いのを確認して、疾はゆっくりと歩き出した。
(楓が起きないうちに……部屋、に)
膝が笑う。壁に身体を任せながら、1歩1歩進んでいく。部屋のドアは見えているのに、やけに遠い。
(後、少し……)
視界が霞む。喘ぐように息を吸い込んで、疾は足を引きずるように前へ押し出す。
(もう……すこ、し……)
あと、たった数メートルなのに。意識が、遠のいていく。
(だ、めだ……)
今、倒れたら。楓が、起きる。自分の身に起きていることを、これ以上、あの感情の機微に聡い妹に、悟られてはならない、のに。
ずるりと、身体が滑った、その時。
「疾──!」
小さな声で器用に叫ぶ声が聞こえたと同時、全身から力が抜けた。床に叩き付けられるかと思われた身体は、しっかりと抱き寄せられて支えられる。
「……父、さん」
「無茶をしすぎだ……!」
小さい声で怒鳴りつける父親の、触れた部分から魔力が流れ込んできた。呼吸が安定し、視界の霧が晴れる。
「ごめん……もう平気だ」
何とか普段の魔力切れ程度にまでなった疾は、そう言って父親から離れようとした。が、ぐっと腕に力が籠もり、そのまま抱え上げられる。その間も、魔力の譲渡は続く。
「父さん……もう、良いから。おろし──」
「楓が起きる」
反論の声を一言で封じて、父親は疾を部屋へと運んだ。ベッドに丁寧に横たえ、そっと額の髪をどけて触れる。
「父さん、本当に、もう──」
「疾」
父親の魔力は、そう多くはない。更に量の少ない疾といえど、譲渡を続ければ魔力が欠乏しかねない。そう懸念して制止の声を上げた疾は、遮る父親の声の響きに、言葉を呑み込んだ。
「あまり、無茶をしないでくれ」
「……父さん?」
戸惑いの眼差しを向ける疾に、父親は辛そうに目を細めていた。
「言っただろう。魔力切れは、命に関わる。そんな無茶をしてまで、戦うな」
「でも──」
だったら、どうすればいい。
自分を取り巻く環境は、そんな優しさが許されてなんか、いないのに。
「大丈夫、だから……今日は少し、限界を見誤っただけで……魔力の補充も、ちゃんと自分で」
「疾」
目を、掌で覆われた。緩やかに流れ込む魔力が、疾を眠りに誘う。
「苦痛を……当たり前に、思うな。身体からの信号を、ねじ曲げるな」
「……とう、さ、ん……?」
「俺は、疾にそんな傷を負わせたくて、魔術を教えたわけじゃない──」
父親の訴えは耳に入るも、脳が理解出来ず。疾は、疲労に沈み込むように、眠りに落ちた。




