40 決裂
そうして1日の授業を終え、楓と連絡を取り合い、車が待つ校門へ向かう道すがら。
「アヤト!」
(……はいはい)
鬼気迫る声が背中に叩き付けられたのを、疾は半ば呆れた気分で受け止めた。予想通り過ぎて、何も感じない。
振り返った先、髪を振り乱したユベールが血相を変えて詰め寄ってきた。
「君は……君は、何を考えて……どんな神経で、死者を冒涜して……!」
「まず落ち着け、ユベール。そのままじゃ会話にならないぞ」
「ふざけるな!」
疾は以前と同じ語調で宥めてみたが、ユベールはますます燃え上がる。
「君のクラスメイトから聞いた! 君は……君は、こともあろうにアリスと自分を同じだと……っ」
「そうだ」
疾は、ユベールに真っ直ぐ向き合って告げた。ほんの少し残る希望に賭けて、可能性を相手に与える。
「俺も、アリスも、誘拐されたのは同じだ。ユベールは、アリスを見舞っていたから知らないだろうが、俺も無傷だったわけじゃない。どちらも同じ被害者だ」
ただ、と接続詞を付けて。
「……ただ、俺がアリスを守りきれず、我が身可愛さにアリスを見捨てる結果になったのは、否定しない」
「だったら! 何故、同じだという!!」
……絶叫が、疾に叩き付けられた。目を細めて、疾は答えた。
「なあ、ユベール。俺達は子供だ」
「は……」
「自分すら満足に世話出来ないと判断され、保護者の庇護下にいる、未熟な子供だ。──他人の命まで守れるほど、強いと思うか」
沢山苦しんで、傷付いて、泣いて。ようやく認めることが出来た、疾の弱さ。
「……俺は、無理だった」
彼にだけは、認めよう。かつて、沢山世話になった相手だ。……アリスの、家族だ。
「その場に居合わせなかった人がどう思おうと、俺が言えるのはこれだけだ。俺は、アリスを守りきれなかった。自分よりアリスを、優先出来なかった」
「僕なら守った!!」
ユベールが、そう吠えるのを聞いて。疾は、そっと目を伏せる。
(……伝わらない、か)
「僕なら、守った! 自分の身を差しだしてでも、アリスを救った! 君は、君だけがそれを出来たのに、君はその義務から逃げた!! アリスは、君を狙う犯人に、巻き込まれたのに!! 巻き込んだ君が、アリスを売ったんだ!!」
「……そうだな」
ああ、そうだ。その通りだ。
(知っているさ、ユベール)
自分の無力さなど、知っている。自分に負けて、無関係のアリスが壊されるきっかけを作ってしまった後悔など、心が潰れるほどした。
(でも……だから、こそ)
だからこそ、分かって欲しかったと思うのは、我が儘だろうか。届けと願ってしまうのは、贅沢だろうか。
「けどな、ユベール」
自分とアリスの違い。側にいた人の、想い。
それらを直視するのは、痛い。……でも。
「それは……自分の首を、締める言葉だぞ」
(お前は、知っているだろう?)
「何を……」
「最後まで言わせる気か」
自嘲気味に笑ったのは、きっと彼には、嘲笑に見えるのだろうなと思いながら。
「アリスの心を、──ユベールが救っていたなら。アリスは、自殺しなかった」
「────!!」
「俺は、父に救われた。だからここに立っている。……アリスの側には、誰がいた?」
疾の心を父親が必死で掬い上げてくれたように。アリスの側には、アリスの父が、母が、ユベールが、いた筈だ。疾がアリスを救おうとするより前から、ずっと。
「ふ……ざ、けるな!!」
掴み掛かる手を黙って受け止める意味を、考えもせず。ユベールは、血走った目で喚く。
「僕達は全力でアリスを助けようとした! 救おうとした! それでも! 壊れきったアリスの心を、救えなかった!! 見てもいない君が、分かったようなことを言うんじゃない!!!」
「そうだな」
そうだろう。自分が戻ってこられたのは、父親がいてくれたからだけど。……運が良かったのも、分かっている。
(多分……次は、無理だ)
ひとを救うのがどれだけ難しいのか、我が身で経験したからこそ。分かって欲しいと、そう、思ってしまうのだ。
(なんで、分からないかなあ……)
「ユベール」
「何だよ!」
「──見てもいないお前が、分かったようなことを言うんじゃない」
言葉を、なぞってやる。目を見開いたユベールに、真っ直ぐ目を向けて。
「その場に居合わせて、必死で助けようとして、けれど助けられなかった。必死でアリスを救おうとして、けれど救えなかった。──何が、違う?」
「……!!」
「同じだろ? 俺達」
助けられなかったのも、愛する少女を救えなかった後悔に苦しんだのも、同じ。
(分かれよ……ユベール。お前の、為だ)
だったら。ユベールは、ユベールだけは、疾を赦さなければならない。
(じゃなきゃ……救いがないぞ)
疾を憎めば憎むほど、ユベールは自分を、赦せないままだ。
はくはくと、口を開閉して。彷徨う瞳が、苦しそうな色を浮かべて。ぐっと、歯を食いしばったユベールは──拒絶を、浮かべた。
「……ふざけるな」
「ユベール」
「何が同じだ。お前なんかと一緒にするな……っ僕は、違う……っ違う!!」
振り解くような言葉。絶対的な拒絶。じわじわと浮かび上がる、憎しみ。
「僕は、絶対にお前を許さない……っ、お前の、せいでっ、アリスは死んだんだ!!」
吐き出すように言われた言葉には、おそらく、迷いも含まれていた。
だが……眼差しが、それを揺るがすことはないと、告げてもいた。
(……駄目、か)
2人の間に入った亀裂が、一気に深まり、広まる感覚。……もう、自分の言葉は、届かない。
「そうか」
だから。疾は、未練を振り捨てる。
「けど、俺は、そうは思っていない」
これ以上、彼の傷を受け止めることは、しない。
(悪いな)
アリスにしたのと同じように、頭を下げて、謝罪して、償うべきと分かっている。……だが、こうなってしまっては、その行為は正しい意味を持たない。
だから、疾は、自分と家族を選ぶ。前へ進む為に、ユベールの言葉を切り捨てた。
「意見の食い違いが、残念だ」
腕を振り解いて、押しのける。蹌踉めいたユベールに、口元を歪めて見せて。
「じゃあな、ユベール」
疾は、背を向けた。1つ息を吸い込んで、歩き出す。
「これ以上の議論は無駄だ。2度と話しかけてくるなよ」
そんな台詞を残して、疾は彼を置いて立ち去った。




