38 新たな1歩
それからアリスの葬式があげられるまでは、疾も大人しくしていた。
1度、弁護士付き添いで警察の聴取には付き合ったが、殆ど弁護士が警官を圧倒していて、言うことがなかった。
「……プロって凄いですね」
「そうか? そう言ってもらえると嬉しいが」
素直に賞賛を向けた疾に、にこりと笑い返して去って行った彼のお陰で、疾は殺人容疑をかけられることもなかった。
(いや……正直、証拠ないしな……)
目撃者は居ない、接触した痕跡はある、口論していたのは上の階の生徒が聞いていた。これだけ揃っていれば、疾を疑われた際、無実を証明するのは難しいだろう。……物証は物証で無いから立件も無理だが、疑われて調査されるくらいは十分にあり得たはずだ。
それを綺麗に言いくるめて、法律的にも心情的にも叩き潰していった彼の論調は、疾にも非常に参考になった。
(さらっと恩着せないで帰っていったのも凄いよな、父さんそれなりに偉いのに)
権力をきっちり切り離す姿勢も、素直に尊敬出来た。
葬式も、疾はきちんと参列した。
非難の視線も、憔悴しきった家族達の罵倒も黙って受け止め、静かにアリスを送った。
最低限の、けじめとして。アリスを惜しむ、1人として。
「……」
火葬場の煙を見上げた疾の目に、もう涙はない。それでも、哀しみは胸の内にある。
それが分からずに悪態をついた人間は、全て無視して。疾は、小さく日本の悔やみの言葉を呟き、その場を去った。
そして。
「……マジで行くの?」
「行く」
朝食を頬張る疾に、楓が嫌そうな顔で繰り返し聞いた。
「ええ……本気? 追い出すレベルで正義感に酔いしれた集団相手に、のこのこ出て行くの?」
「別に、楓が余所行きたいなら好きにしろ。けどな」
手を止めて顔を上げた疾は、冷ややかに笑う。
「──事実確認も行わず正義面するような連中からこそこそ逃げて、周囲の噂に怯えた挙げ句、毎日家から遠い学校へ通わなきゃならないんだぞ?」
「……ふむ」
考える顔をした楓が、本日担当分の味噌汁を啜って答えた。
「それは、何かむかつくわね」
「だろ」
「貴方達……いえ、いいのだけれども……」
妙な方向に振り切れた兄妹を、何とも言えない顔で母親が見守る。それをこっそりと笑う父親は、疾に穏やかな眼差しを向けていた。
「だったら居場所を勝ち取って、うざい視線だけ無視してれば良い」
「なるほど。よし、兄さん任せた。私も料理の時間減るのいや」
「ん、任された」
頷きあって、食事後の挨拶をきっちりした兄妹は、同時に立ち上がる。
「じゃ、行くか」
「そうね。鞄取ってくる」
何やら静かに闘志を燃やす2人を、両親は苦笑混じりに眺め、見送りのために立ち上がる。
「……血筋を感じるな」
「絶妙に嬉しくないわ……とっても聞き覚えがあるのだもの……」
そんなやり取りをこっそり交わして、子世代の戦いを黙って眺めるのだった。
父親の車で校門前に乗り付けた2人は、父親に挨拶をしてから車を降りる。
「疾」
「ん?」
そのまま去って行くかと思われた父親が、ウインドウを下ろして疾に告げた。
「気を付けろよ。疾はもう、素手で人を殺せる程度の実力はある」
「ああ、そこは手加減に注意しておく」
「おー、武力行使前提……」
「あっちが殴りかかってきたら仕方ないさ」
「それは仕方ない。寧ろGO」
剣呑なやり取りに僅かに苦笑して、父親は分かっているなら良い、と言い残して車を走らせる。残された2人は、顔を見合わせた。
「……父さん、ゴーサイン出してなかったか?」
「むしろ武力行使込みで行けって言ったよね。やっぱ怒ってたんだ……」
余り感情を表に出さない父親ではあるが、駄目なものは駄目という、教育はきっちりするタイプだ。それがこれほど殺気立っている兄妹を見ても窘める言葉1つ言わないとは──やはり、「やれ」という意味だろう。
「まあいいか。じゃ、夕方に」
「はーい」
軽く手を掲げて、疾は妹と別れて教室へ向かった。




