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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
1章 はじまり
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36 怒髪天

 疾が全ての感情を吐き出し落ち着くまで、母親はずっと抱きしめていてくれた。


「母さん……ありがとう」

「どういたしまして」


 そっと腕を放されて、疾は顔を上げる。泣き腫れた目を誤魔化したげに笑って、立ち上がった。


「楓は?」

「事件を知って、連絡をくれたのは楓よ。車で待っているわ」


 何故かくすりと笑う母親の意味が分からず、首を傾げながらも、疾は母親と共に校門へと向かった。

 母親の車を見つけて、乗り込もうとして。疾は目を丸くする。


「……えっと」

「あら。楓ってば、まだご機嫌斜めなのね」


 くすくすと笑って運転席に乗り込んだ母親のマイペースはいつもの事として、だ。これは、ちょっとどうして良いか分からない疾がおかしいのだろうか。

 ぶすっとした顔で後部座席に座る楓は、気前よく教科書を一ページずつ破っては捨て、破っては捨てと、資源の無駄遣いを続けていた。既に後部座席は破れ紙で埋まっていて、疾が座れそうもない。


「……」


 取り敢えず助手席に乗り込んだ疾は、シートベルトを締めつつちらっとミラーを覗く。相も変わらず、楓は教科書を破りまくっている。


(……どうするんだ、これ)


 くすくす笑いながら何も言わない母親の対応が正解なのだろうか。いや、そんな訳はない。


「……楓?」

「なに」


 物凄く機嫌の悪い声が返ってきた。面食らいつつ、疾が尋ねる。かつてここまで妹が不機嫌だった記憶がまるでない。


「何してるんだ?」

「教科書破ってる」

「いや、それは分かるけど……」

「あいつら」


 地を這うような声を出して、楓はげしっと助手席の背もたれを蹴りつけた。


「おい、痛いって」

「むかつく」


 苦情も聞かずげしげしと背もたれを蹴り続けながら、楓は一気にまくし立てる。


「先に言っておく。私は断じてブラコンじゃないし、気遣いが空回って王子様とか痛い呼び方されてる無駄ハイスペック兄さんを、どんな時でも無条件に信じる盲目馬鹿女じゃ断じてない。兄さんが絶対に間違ってないとか、兄さんの言うことは絶対に正しいとか、そんな危ない事をまるっと言い切れる痛女とか絶対にあり得ない」

「さりげなく悪口言われてるけど、そうだな。だから、そろそろ蹴るのを──」

「だけど!」


 げしっと、一際強く蹴りつけて。


「錯乱状態の妹の言葉をまるっと信じて事実として言いふらすクズシスコンとか、それをまるっと信じて正義面で私にまで何か言ってくる奴らとか! あまつさえ、兄さんがアリスさんを殺したんじゃないかとか!! 壮絶に無責任な自分が正しいと酔いしれてるような痛々しい連中と、これ以上学校行って堪るかボケ!」

「あらあら、楓ったら。口が悪いわよ?」


 暢気に窘めている母親は完全に無視して、楓はぎらりと己の兄を睨み付けた。


「兄さん」

「な、なんだ?」

「殴った?」

「……は?」


 聞き間違えかと思ったら、完全に怒りが突き抜けたらしい楓は本気だった。


「だから、クズシスコン殴った? クラスの人達は?」

「いや、殴ってない……」

「はあっ!?」


 どかどかと、両足で背もたれを蹴り出す。幼少期だってここまで無茶苦茶しなかった楓に、流石に疾も声を上げた。


「おい楓、いいかげんに──」

「何大人しく引き下がってるのよアホか! 私は無関係だから何もする資格ないけど、被害者っていう素敵免罪符があるのに殴らないとか馬鹿なの! アホなの!? やっぱ兄さん、そういうとこ母さん似だよね馬鹿じゃないの!」

「あら、今、私も馬鹿って言われたのかしら」

「母さんは黙ってて!」

「はい」


 大人しく口を閉じた母親に良いのか、と視線を向けたけど、何故かニコニコしたままで咎める気配もない。しつけしろ。


「あのな、楓──」

「兄さんは!!」


 車内に反響する勢いで、楓が怒鳴った。


「何も悪い事してないでしょ!!」

「!」


 目を見開いた疾に、怒り狂った楓に、母親は優しい眼差しを向ける。


「誘拐犯が悪いんであって、兄さんは悪くないでしょーが! 最終的に飛び降りちゃったのはアリスさんでしょーが! 兄さんが飛び降りろとでも言ったの!?」

「いや……」

「だったら! 何黙って引き下がってるのよ! 言い返せよその無駄に優秀な頭は飾りか!!」

「……」

「あああああもう色々ムカツク!!」


 怒鳴り散らして、それでも発散しきれない怒りを教科書にぶつける楓を見て、疾は思わず吹き出した。


「はは」


 なんだか、心が軽くなった。余りにも子供じみて喚き散らす妹に、毒気を抜き取られた気分だ。

 両親の優しい言葉に、心を救われて。でも、本当の意味で過去を蹴り飛ばせるのは、何も知らずに馬鹿馬鹿しいと言い切った、楓の言葉だったらしい。


(……サンキュ)


 流石にこの荒れっぷりは説教案件で、礼は言わないが。胸がすく思いがしたのは、疾だけじゃないのだろう。だから、母親も笑うばかりで怒ろうとしない。


(ま、後で叱られるだろうけどな)


 そんな事まで予想出来て、疾は、笑いが止まらなくなった。


「はははっ」

「何笑ってるの」

「楓? そろそろ座席を蹴るのはやめなさい。車が傷むわ」

「うう……っ」


 とうとう指導が入って呻く楓に、また少し笑って。

 疾は先程までの苦しさが随分和らいだ心で、学校を去った。


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