33 拒絶
「……」
教室から出て、建物を離れて。それでも、無防備に敷地内から出ていくのが躊躇われた疾は、校庭をあてどもなく彷徨いた。
(……どうしようか)
朝イチで追い出されるとは、流石に予想外だ。が、今戻ったところで、どんな言葉も彼らには届かないだろう。
(言い訳だと思われるよなあ……)
彼らの心理状態は、少し冷静になった疾はきちんと理解出来ていた。あれほど無邪気に懐いていた年下の少女が、付き合っていた彼氏に裏切られ、半年経った今も学校に通えない──ドラマ性としては、十分過ぎた。
「あー……」
がしがしと頭を雑にかいて、疾は呻く。正義を信じる思春期相手に、どう説得すれば良いのか。疾をしても、無理難題に等しかった。
「とはいえ学校通わないのもな……父さんに頼んで、余所行くしかないのか……?」
アリスを知らない人達の所でなら、まだ好奇の視線に晒される程度で済むだろう。今のように、教室にすら入れてもらえないという状態は回避出来るはずだ。
「ていうか王子って、そっちが勝手に言ってただけなのに……差別発言の方が恥ずかしいだろ」
ぶつぶつ文句を言いながらも、疾の顔色は悪い。未だに毎晩悪夢に魘される程度にはトラウマが癒えていない疾にとって、青天の霹靂とも言える彼らの罵倒は、酷く堪えた。
「父さんに、連絡するしかないか……」
事情を説明しづらいが、いつまでもこうしているわけにもいかない。いくら何でも、楓の授業が終わるまでは待つ気にならなかった。
端末を取り出して、気が進まないながらも電話をしようとした疾は、後ろから声をかけられて、驚いて振り返る。
「アヤト」
「ユベール……?」
どきりとした。振り返った先、ユベールの顔色は疾と負けず劣らず酷い。くっきりと隈の浮かんだ顔はひどく痩せこけていて、憔悴しきっているのが一目で分かる。
「……元気そうだな」
「それなりには……医者が、良かったから」
感情の伺えない声に、疾は慎重に答える。先程の一幕を思えば、ともすればユベールも、アリスを見捨てたのだと思い込んでいるかもしれない。
「あの……ユベール、俺」
「アリスは」
疾の言葉を遮り。アリスと同じ色の瞳に激情を浮かべて、ユベールは疾を睨んだ。
「っ」
「アリスは……昨日、退院した」
「! そう、なのか?」
気になっていた情報に、思わず足が前へ出る。疾としては、朗報が聞けるのではという希望に飛びつかずにはいられなかった。
だが、現実は……どこまでも残酷だった。
「薬漬けで、僕達の顔も認識出来なくなるくらい、自失して……っ。手足を縛られてベッドに張り付けられるのは可哀想だからって、父上が半ば無理矢理に連れ帰ったんだ。そうじゃなきゃ、アリスはもう、家に帰れなかった……っ」
「……っ!」
それは、疾もなりえた結末。父親の懸命な支えのもと、何とか戻ってきた疾の、もう1つの結果。
それをまざまざと突き付けられて、疾は顔色を失った。
「……アリス……」
色のない唇が名前を紡ぐのを見て、ユベールは顔を笑みの形に歪める。
「満足か」
「……ユベール?」
「自分が助かるために、アリスをこんな目に遭わせて……自分だけ学校に戻れて、満足か!」
「ッ違う! ユベール聞いてくれ、俺は……っ」
「信じるか!!」
「!」
頭から否定されて、疾は言葉を失う。
他の誰は信じてくれなくても、ユベールはきっと信じてくれるだろうと、頭のどこかでそう思っていた。誰よりも付き合いが長く、疾の性格もよく知っていて。自分の直感を無条件に信頼してくれた彼であれば、疾の事情も少しは考えてくれるだろう……心配、してくれるだろうと。
そう、友情を信じていた相手からの拒絶は、疾に容赦なく突き刺さる。
立ち竦む疾に、ユベールは言葉を投げつけた。
「僕達がどれだけ、泣き喚くアリスに声をかけ続けたか! アリスは……アリスが言ったんだぞ! 君が、アリスを売ったんだって! 我が身可愛さに、アリスを見捨てたって!! 今更何を言い訳しようとしているんだ!」
「……っ」
それは、おそらく。あの子どもが、より彼女を絶望に落とすために、告げた言葉で。……間違っては、いなくて。
疾としても、何も知らない彼に、全ては説明出来なくて。
「僕は……僕は、何度も後悔した。君みたいな奴にアリスを任せたことを……君に、チケットを渡したことを……っ」
唇を噛み締めたユベールの口から、血が流れる。酷く後悔の滲ませる彼もきっと、何度も自分を責めたのだろう。きっかけを作ってしまった、自分を。だからこそ、そのやるせない怒りが、疾へと牙を剥く。
「警察の調べで、誘拐犯がアヤト狙いだったのは判明している」
「……それ、は」
「ははっ、僕が思った以上に知っていて驚いたか? 君は安全に匿われていたんだったな。君の父親は、君を責める父上に、金を払った。……分かる? 認めたんだよ、事実だって!」
「……っ」
おそらくそれは、異能について──あの、警備が整った園内で彼らだけを綺麗に消し去った子どもについて、深く詮索させないように……二次被害を防ぐ為の、父親が出来る精一杯の干渉だったのだろう。
だが、何も知らない彼らにとって、それは。
「汚い金だけど、アリスの治療に使えるなら何だって良い。専門家を探して、アリスを診てもらった。身体の傷は傷で、あとが残らないようにって……アリスはまだ、君を信じていたよ」
「……っ」
疾が顔を歪める。痛みを堪えるその表情に、ユベールが嗜虐心の混ざった笑みを浮かべた。
「何度も、君を呼んで助けを求めた。助けるどころか見捨てた君に、深く傷付いていた。……良かったな、君は何もなくて」
「……ユベー、ル」
「君はその顔で、何度もそういう輩に狙われてたんだろう? アリスの気持ちが、少しでも分かる?」
浅い呼吸を繰り返し、過去へのフラッシュバックをくい止める疾に、ユベールは。
「──君が、アリスが受けた仕打ちに、遭うべきだったんだ」
「……!」
「アリスが、君を見捨てて、君が傷付くべきだったんだ。だって、誘拐犯が狙ったのは、君だったんだから」
「やめ、てくれ」
呻く疾にユベールが、手を伸ばす。胸ぐらを掴もうとする手を、懸命に振り払った。
──伸ばされる手。体中が、痛い。
「お、れは」
「……ははっ。今更、罪悪感か? 身勝手にも程があるな」
焦点が合わない疾の瞳を嘲笑って、ユベールは踵を返した。
「2度と、僕にその顔を見せないでくれ。いっそ罪悪感に潰されて自殺したらどうだ? 神への大いなる裏切りだけど……異教徒の君には関係無い。消えてくれ」
捨て台詞を吐いて立ち去ったユベールの背を見送る余裕もなく、疾はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。




