32 排除
それから数日後、疾は久々に登校した。
警察での処理はきちんと終わっており、学校へも話は通してある、という父親の保証を待って。楓と共に、父親の車で送られての登校になった。
「うーん、なんか、甘やかされまくった子供の気分」
「まあ……な」
父親が懸念する気持ちも分かる疾は、外を眺めたまま生返事を返す。久々に同世代に囲まれる環境に、やや緊張しているのは自覚していた。
そんな疾の緊張に気付いてか、楓はからかう事もなく話を繋げる。
「でも、この方がいいよね。絶対いるでしょ、マスコミとか野次馬。私も兄さん元気かーとか何があったのかーとか、質問攻めでうざかった」
「……そうだったのか」
「うん。何であんなに野次馬って無神経なんだろう」
「他人事には無責任でいられるからな」
父親の珍しい相槌に、楓は少し驚いた顔をした。そういえば、父親は基本無口で、自分達の会話に入ってくることは珍しいんだったなと、ここ最近つきっきりで構われていた疾は、今更ながらに思い出す。
「だから、実際に誘拐された兄さんが、1人でフラフラ歩かない方がいいのは確かかも。妹であれとか……兄さんドンマイ」
「全く気遣う気ないだろ」
「だって他人事だしー」
けらけら笑う妹を軽く小突いて、疾は笑った。
そうして学校に到着し、2人揃って校門で下りる。
「終わったら連絡しろ。直ぐ迎えに来る」
「はーい」
「無理しなくていいよ。時間くらいは潰せるから」
父親の送り言葉にそれぞれ返して、2人は別々の教室にと別れていった。
……心配そうな、迷うような、父親の眼差しには気付かずに。
緊張を深呼吸で誤魔化し、教室の扉を開ける。途端、がやがやと騒がしい室内が静まりかえった。
(……っ)
視線が、突き刺さる。慣れていたはずの注目が、今は、少し辛い。……少し、怖い。
(……大丈夫、だ)
自分に言い聞かせて、足を1歩踏み出した。どうしても視線は下がるが、それでもしっかりとした足取りで、よく自分が座っていた席へと近付く。
何とか辿り着いて、椅子に座って。鞄を置いて教科書を出しながら、疾は汗の滲む額を軽く拭った。
(……大丈夫)
好奇の視線が集まるのは、仕方の無いことだ。誘拐された同級生なんて、興味を持たない方が難しいだろう。授業が始まれば視線は逸れるし、そのうち月日が経てば関心も薄れる。
だから──
「おい」
(え?)
だから、こんな刺々しい声をぶつけられるはず、ないのに。
反射的に顔を上げると、そこにあったのは──明らかに非難の色を浮かべた、無邪気に笑い合った同級生達の顔だった。
「な……どう、したんだよ」
「どうした、じゃないだろ」
何故、彼らは自分を睨む。何故、そんな怒りの色を浮かべる。
自分が、一体何をした。
「なんで、アヤトが来てるんだ」
「は……」
「なんで、アヤトだけが学校に来てるんだよ!」
「!」
叩き付けられた声に、びくっと体が震える。久々に晒された悪意は、あの子どものような怖ろしさはなかったけれど。子供ならではの、真っ直ぐさと力強さがあった。
そしてそれは、目の前に立つ少年だけでは留まらない。堰き止められていたものが噴出するように、非難の言葉が次から次へと、疾に浴びせられていく。
「アリスは未だに寝込んでるって聞いたんだぞ!」
「自分だけ平然と来るとか」
「ありえないよな、どんな神経してるんだよ」
「アリス可哀想」
「王子様のふりして、女の子1人守れないの」
「……っ」
(アリス……まだ、回復していないのか……)
無理もない、と思う。あれだけの目に遭って、12の少女がまた笑えるようになるまで、どれ程の時間が必要かなんて、疾には分からない。
彼女を巻き込んでしまった罪を、忘れないとは誓った。
けれど。
「なあ、アリスはアヤトに巻き込まれたんだろ。何でアヤトが、そんな平気そうな顔をしてるんだよ。おかしいだろ」
けれど、どちらとも関わりのあった彼らが、何故、アリスばかりに同情する。
「……平気、なわけ、ないだろ」
やっとの事で、疾は声を出す。まだ本調子ではない疾にとっては苦行に近いが、それでも、以前のように言葉を選んでいく。
「平気じゃない。アリスのことは、心配してる。守れなかったのも、申し訳なく思う。けど……」
「けど? けどってなんだよ」
詰め寄ってきた男子が、アリスが自分にじゃれつく度に複雑そうだったのは知っている。おそらく、特別な想いがあったのだろう。冷静でいられないのも、理解は出来る。
それでも、それなりに友情を分かち合った相手の言葉には、疾も冷静ではいられなかった。
「アリスを見捨てて、自分だけ安全圏にいたくせに」
「っ違う!」
弾かれたように立ち上がって、疾はおそらく、初めて学校で声を荒らげた。
「勝手に決めつけるな! 俺は……俺だって……!」
あの悪夢をないものにするな。
知らなくても良い。あんなもの、知らずにいて欲しい。
けれど。自分が恐ろしい思いをしたことまで、否定するな。
「決めつけじゃないだろ」
なのに、残酷な言葉が、疾に突き刺さる。
「聞いたぞ。アヤト、自分が助かりたくて、アリスを売ったんだろ」
「……!」
事実が一部だけ切り取られ、「正義」と「悪」の二色だけで色塗りされた、それは。
肝心な部分だけは、合っているからこそ。──否定、出来ない。
「自分はアリスに全部押しつけて無事だったくせに、半年も隠れて、今更学校に何食わぬ顔をして来て。……何がしたいんだよ。今更、そんな顔して綺麗事言ったって、無駄だぞ」
顔を歪めて笑う姿は、正義に酔っていた。
「嘘つきが」
「……っ」
「全部、嘘なんだろ。所詮我が身可愛くて、俺達の事もいざという時の盾って思ってるんだろ。そうはいくかよ」
どん、と肩を押されて、疾は蹌踉めく。青醒めた疾の顔を覗き込んで、吐き捨てる。
「消えろよ、ニセモノ王子。もう、その綺麗な顔に騙される奴なんか、この学校にいない」
「……フィリップ……俺は……」
「名前呼ぶなよ、黄色いサルが。国からも出て行け」
吐き捨てる彼に続いて、クラスメイト達は疾に言葉の石を投げつけ、教室から追い出した。




