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そうして、疾はゆっくりと、着実に魔術の扱いを身に付けていった。
体術と組み合わせての魔術戦は、手練れの父親相手だと翻弄されはするが、戦える、と言えるだけのレベルへと上がった。
「随分動けるようになったな」
「ん……」
父親の評価に頷きながら、疾は何かを考え込むような色を浮かべている。それに気付いた父親は、直ぐに尋ねた。
「何か気になるのか」
「いや……たらればに、意味はないんだけど……」
言葉を濁して、疾は父親の顔を伺う。黙って続きを待っているので、言って良いと判断して続けた。
「これ、さ……もっと昔から、学んでいたら良かったんじゃないかって。父さんが守ってくれたのは有り難いけど、子どもの頃から魔術に馴染んでれば、また違った気がする」
「それは違う」
きっぱり言い切った父親に、疾は冷静に尋ねる。
「理由があるんだな」
「ああ。魔術の世界は甘くない。今まで何も言わなかったのは、疾が異能、あるいは魔力を発現していなかったからだ。未覚醒の力というのは、繊細だ」
「……無理矢理揺り起こすと、良くないって事か」
「精神的にも、肉体的にも悪影響を及ぼすし、暴走すれば命に関わる。そういうものだ」
「……存在は……うっすらなら……」
無意識に「勘」と位置づけて認識していたかつての自分を思い出して、迷いながら反論するも、父親はきっぱりと首を横に振った。
「大体の異能者は、今の疾のように自分の力をはっきり自覚して、扱い方をおおよそ知っている。それでも力の強い者は、未成熟な制御を振り切って持て余すこともある。そうなってからが、異能や魔術に触れるタイミングだと、俺達は考えている」
語尾を受けて、疾は溜息をつく。
「ああ……分かった。それと正反対なのが、……あいつ、か」
「そうだ」
「それは……まあ、確かに危険だな」
嫌と言う程、自分が壊れていく感覚に恐怖した疾だからこそ、分かる。確かに、力尽くで異能を引き出すというのは、やってはならない行為なのだろう。
「知識を与えるだけでも、リスクはあるのか?」
「下手に理論を知ることで、無意識に異能をねじ曲げてしまった例がある。それも、身体には毒だ」
「そうか……なら……」
ぐっと唇を噛んで、疾は、絞り出すように言った。
「……本当に……仕方、なかった、んだな」
「……」
「俺が、……捕まってしまったのも。そこに居合わせたアリスが、……巻き込まれた、のも」
「……そうだな」
さらりと頭を撫でて、父親は静かに肯定した。
「……でも……アリスは……俺が」
「疾」
自責の念が残る疾を、父親は静かに諭す。
「奴は、大の大人でも平気で使い潰す。疾がどれだけ頑張ろうと、どちらも壊しただろう。……12の子供が、あれほどの目に遭い、自我を保てただけでも奇跡に近い。自分を責めるな」
「……」
「忘れるな。疾は、被害者だ。彼女もまた、被害者。この件において、加害者は奴だ。被害を受けた疾が、責められる謂われはない。そうだろう」
「……う、ん」
父親の言葉が、理解出来ない疾ではない。寧ろ、理屈が通っていると頭では判断出来ている。……それでも。
自分が逃げてしまった事実と、アリスの胸が潰れるような悲鳴が、忘れられない。
(……ああ、でも……そうか……)
ふと、疾は父親を見やる。目を細めて疾を見守る父親の、少しだけ心配の色を滲ませた瞳を見つけて、すっと胸に染み込んできたものがあった。
(俺が、……俺を、父さんは、ずっと見てきたんだな)
おそらく、錯乱していた疾よりも鮮明に、父親は疾の傷を目の当たりにしてきた。本当に壊れてしまうのではという恐怖も、自分が守りきれなかった後悔へと変わって。それでも、ずっと、疾の回復を支え続けてくれた。疾は悪くない、と何度も何度も繰り返して。……その分だけ、自分に刺さるものがあっただろうに。
(俺が……気にしているうちは、父さんも……赦せない、か)
だったらと、疾は自分の両手を見下ろした。ぐっと握って、ゆっくりと息を吸い込む。
(ごめん……アリス)
彼女には、自分を責める権利がある。守りきれなかった、自分を取って見捨てた疾を、恨む権利がある。けれど……それすら、本来は疾に向けられるものでは、ないのだ。
(忘れないから)
自責も、アリスの絶望も、決して忘れない。──その、上で。
「全部……あいつが、悪いんだな」
「疾?」
「俺は……俺も、弱かった。けど……弱いことは、必ずしも、罪じゃない」
自分を説得出来る言葉を探しながら、疾は続けた。
「間違いは、したんだろうけど……罪じゃ、ない。罪は、あいつだけの、ものだ」
「……ああ」
「アリスは……アリスには、俺は……合わせる顔、ないけど」
ぐっと奥歯を噛み締めて、くぐもった声で言葉を押し出す。
「……認めないと。弱いんだ……まだ」
弱さは、誰も救えない。自分すらも傷付けるのだと、そう実感しているけれど。
「弱い、自分も認めて、前に進まないと……同じだな」
傷の痛みと罪の重みに蹲っていては、また、同じ弱さで誰かを傷付ける。今、疾を見守る父親が、苦しんでいるように。
「……疾」
柔らかな声が、疾を呼ぶ。顔を上げた疾を、父親は抱きしめた。
「十分だ。疾は、十分強い。自信を持て……大人でも、それが出来る人間は、そう多くないんだぞ」
「……でも、俺には必要だ」
「必要とされているわけじゃない。少なくとも俺は、俺から疾にそれを求めない。だが、疾が必要とするのなら……」
「ああ」
「だったら、俺からは何も言わない。ゆっくりで良い、自分の道を進め」
父親の言葉に、疾はようやく、笑みと呼べる表情が顔に浮かぶのを感じた。
「……ありがとう」
あの、地獄のような空間で。もう、2度と帰って来られないと思った居場所を、疾は確かにその時、取り戻したと実感した。
「なあ、父さん」
「なんだ?」
「……腹減った。肉、食べたい。連れてって」
身体を離した父親に、疾は笑って言う。目を細めて、父親は頷いた。
「ああ。行こうか」
「全力で食べるからな」
「好きにしろ」
食べ盛りの宣言にも迷わず返す父親に連れられ、疾は──外へ、出た。




