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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
1章 はじまり
24/232

24 想起

「っ、あ、れ……?」


 独りでに震える両手を見下ろし、疾は目を見開いた。


(なんで……)


 今はまだ、頭は冷静で。パニックに陥っていないのに、どうして震えている。


「大丈夫だ」


 父親が、ふわりと疾の身体を抱きしめた。温もりに心は落ち着くのに、その分だけ疾の身体は震えを大きくしていく。


「疾」

「なんだ、これ……っ、おれ、まだ、なんにも」

「疾、落ち着け。慌てなくて良い」


 父親の声はきちんと届いているのに。身体の震えが、止まらない。がちがちと奥歯まで鳴り出して、下手に声を出せば舌を嚙みそうだ。


(何で、勝手に……っ)


 心とは裏腹な反応を示す身体に、困惑する疾は、唐突に思い出す。


 ──鉄格子の中の部屋。冷たい枷。

 ──白衣の人々が手を伸ばす度に、与えられる苦痛。

 ──不気味な液体を流し込まれ、変質していく身体。

 ──得体の知れない、体内を蠢く力。


 それら全て、あの悪夢の中で植え付けられたものを。


「っ……あ……!」

「っ、疾……疾、こっちを見ろ」


 父親が何か言っているが、もう、その声が届かない。抱きしめる温もりすら、分からない。


「い、やだぁああ……っ!」


 時折フラッシュバックする以外、全て曇りガラスの向こう側に押しやっていたものが、一気に流れ込んできた。


 味わった恐怖も、痛みも、絶望も。

 自分が自分でなくなっていくおぞましさも。

 裏切ってしまった少女の、悲鳴も。


 中途半端に客観性を取り戻し、少女のことを思い出したのを引き金に、疾の記憶が鮮明に蘇ってしまった。


「疾……っ」

「い、や……いやだ……っぐ、ぇ」

「疾!」


 吐き気を催して、胃の中のものを全て吐き出す。自分の中が酷く汚い様な気がして、指を喉に押し込んで、更に吐き出そうとした。


「疾、やめろ。自分を傷付けようとするな」

「ぁ、う、え……っぐ」


 指を引き抜かれて、抱きしめられる。服が汚れる、と分かっていて、それでも吐き気が止まらずに何度もえづく。背を強い力で何度も撫でられた。


(……だ、めだ)


 変質しきった自分の中のモノが、触れたところから父親にうつって、汚していく。そんな感覚に陥って、疾は身を捩る。


「疾?」

「とう、さん……だめだ、離れて、きたない……」

「俺が汚い?」

「ち、がう……汚れる、父さん、離れて……」

「──疾」


 ぐっと抱き寄せられて、もがく疾を胸に抱え込んで。父親は言葉を絞り出した。


「汚くなんかない。疾は、何もおかしくない。大丈夫だ」

「い、や……だ、めだ」

「疾は、壊れてなんかいない。おかしくない。……何を言われた」


 父親の胸に顔を埋めたまま、疾は黙って首を振る。背を撫でられた。


「全部、否定してやるから。言え」

「……異常、だって……他の人と、違う、って……あいつに、触られるだけ、壊れて……っ」

「疾は正常だ、俺と何も違わないだろう。……壊れていない。ちゃんと、傷も癒えてきただろう。何も変わってない」

「ち、がう……っ」


 それは違うと、疾は首を振った。だって、分かってしまうから。


「何か、変なものが……身体の中に、あって、それで」

「……」

「それが、俺を壊して、だから、これ、俺が元々」

「疾」


 混乱した言葉を遮るようにして、父親が名前を呼ぶ。ますます腕に力を込めて、身体に直接落とし込むように言葉を囁いた。


「もう少し、時間をおこう。ちゃんと全部、説明する。けど、これだけは信じろ。──それは、異常なんかじゃない。疾を壊すものじゃない」

「……異常じゃ、ない?」

「ああ。……けど、今は少し、封じておこう」


 その言葉と同時に、疾の中で気味悪く蠢いていた何かが、死んだように静まりかえった。たったそれだけで、疾の身体の震えが止まる。


「あ……」

「もう少し、しっかり治ってから、それが何なのか教えてやる」


 そっと頭を撫でられると、一気に眠気が押し寄せてきた。殆ど眠気に支配されながら、疾は父親の呟きを夢うつつに聞く。



「──その時に、好きな方を選べ。どっちでも、今度こそ……守る」



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