231 病状説明
「君が前後不覚になっている間、目に仕込まれた魔力回路についての検査解析は進めておいたんだけど」
「簡単に言うが同意なしじゃないのか、それは」
思わず口を挟んだが、あっさりと流される。
「前提知識の確認だ。君の目は一度抉り取られ、復元魔法という名の紛い物──幾つかの魔術を詰め込まれた代用品を埋め込まれている。そこから流れ込む微量な魔力が君の魔力を常に乱し続けており、尚且つその目で見た情報はそれを破壊した際に全て回収される。現時点で抉り出したところで、元の目を再生することは事実上不可能。ここまではいいかな」
「ああ」
セキが狼狽したように息を呑むが、無視する。いちいち反応に応えてはいられない。
「確認した限り、前医のその診断は間違いじゃないと思う。今回調べたかったのは、それらの魔術と君の身体への関連性というのかな、そういうものだ」
「……なるほど」
身体を起こして聞く体勢をとった疾ににこりと笑い、医師は軽く手に持ったものを掲げた。
「後でデータ自体は渡すけどね。俺の説から伝えておくと──その目に組み込まれた魔力は、ものすごく中途半端に君の異能を活性化している」
「……中途半端に、か」
「そう。まあ理屈としては単純で、流れ込んだ他人の魔力に異能が反応しているんだ。異能自体は魔力そのものと相性が悪いから、流れ込む魔力のみならず、君の魔力も微妙に打ち消してしまう。体内魔力は基本的に魔力回路を巡っている。結果、魔力回路の一部が傷つき体内に漏れ出て傷つける──という仕組みだ」
そこで一呼吸おいて、医師は少しだけ皮肉を混ぜた笑みを浮かべた。
「魔術師を魔術師たらしめる魔力回路を傷つけ続けて、最終的には魔術も扱えない状態になったら、これまで目に映してきた魔術も何もかもを回収するという目論見だ。本当にクソみたいな性根じゃなきゃ思いつかない、醜悪な仕掛けだよ」
「……疑問がある」
医師の言葉には反応を示さず、疾は少し目を伏せて問う。医師は笑みを消して頷いた。
「どうぞ」
「その過程で判断すると、もともと生まれつき異能を持っていた俺は、生まれた時から魔力回路に負担がかかり続けるはずじゃないのか? むしろ目の魔力を攻撃する分、自分自身の魔力への攻撃が分散されている可能性は?」
「いい質問だけど、答えは簡単だ。人の魔力は大体属性が偏るわけだけど、その魔力が自分の体内で発現するかい? 人体発火だの何だの、大騒ぎになるよ。異能も同じだ」
「本来は休眠状態で身の内にあるはずのものを、強制的に活性化させられてるわけか。……魔術を使う際には体内の魔力を活性化させて体外に放出するわけだが、それはどうなんだ」
「通常、自分の魔力が体内を巡るだけで傷つくことはないよ。例外は既に魔力回路が傷ついている、あるいは魔力自体が毒や瘴気に汚染されている場合だ。それに魔力と異能は基本使い分けているだろう? 異能が活性化しただけで体内の魔力回路を傷つけるとは思えない。異能は持ち主を傷つけない──これは大前提だ」
「……」
他人との議論で思考を深める作業は、疾にとってはあまり意味を持たないことが多い。だが疾の手が未だ届いていない医学の専門知識を魔術とも絡めて深く考察を進めているこの医師とのディスカッションは、非常に価値のあるものだった。
「その前提を覆すために人体を模倣する形で魔術を埋め込んでいる。本当に倫理観の欠片もないよねえ」
「同意見だな。……ちなみに魔力干渉は、極端な話、これを抉り取れば解決するのか」
「そこがさらに性格の悪い話なんだよな。俺も魔法陣の解読は専門家じゃないから、正確に判断するには知り合いに相談したいところなんだけど」
「それが例の邸の関係者なら却下だ。連盟の紐付きだろ」
「だよね。彼女もお金のためなら倫理観を捨てる節があるし、魔道具の情報収集くらいにしか頼らない方がいいだろう。というか君なら、分析して描き出した魔法陣を渡せば解読出来そうだ」
「それを先に言え、そして寄越せ」
「今渡したら確実に療養そっちのけで解析しそうだから、退院の時にね」
「……ちっ」
ついに舌打ちが零れた疾に苦笑して、医師は続けた。
「というわけで専門ではない俺たちの見解にはなるんだけど、その目を潰した途端に込められていた魔力が暴発するようになっている。君の異能と合わせて魔力回路をズタズタにしかねないな」
「……制御できると思うか?」
「君次第かなあ。異能は結構いい加減というか、使い手の意思次第な部分が大きいらしいから」
「意思次第、か」
それについては思うところもあり、疾は薄く笑う。本当に意思に全てが委ねられるならば、総帥に実験動物扱いで歪められることも、冥官に無理やり引き摺り出されることもなかっただろう。
「まあ外部からの干渉が全く影響しないわけではないけど。とはいえ君、相当制御が上手いんじゃないかと思うよ? 前医のデータと比べて、異能の暴走というか魔力回路への悪影響は随分抑えられてる。特にこの一年間くらいは、無茶の割には結構いい状態を保てていると思うよ」
「…………」
一年。その期間で考えると、疾の制御ももちろん上がってはいるが、冥官と出会ってからの年月とほぼ一致しているのだ。
(引き出されたせいか、それとも首輪に何か仕掛けやがったのか……)
この様子だとおそらく気づいていないのだろう。ならば冥府に関わらせるわけにはいかないと、疾は無言を通した。態度にも出なかったのか見て見ぬ振りか、医師は気づかぬ様子で続けた。
「目の話に戻そうか。今抉り取ることはお勧めしない。魔力回路に悪影響が出るかもしれないのも勿論、変化を起こすだけでも魔力制御に影響するからね。魔術行使に影響が出かねない。完全に違う使い方をする必要が出てくる可能性すらあるんだ」
「……出来ないな」
「だよねえ」
この状況下で魔術が満足に扱えなくなるリスクは負えない。検討する余地がなかった。
一つ息をついて、疾は質問を続けた。
「視界は記録されて最終的に奪われるという件だが、感覚共有のように現在も見られている可能性はあるか?」
「少なくとも、俺が検査をした時にそういった様子はなかった。意識がある時だけとしたって、あんまり考えにくいんじゃないかなあ」
「なぜ?」
「最終的に手に入るようにしていることと矛盾するし、それならもっと君に、そしてこの街に標的を絞って嫌がらせをしてくるだろうからね」
「先日の一件がそれじゃないのか?」
「あれはほら、あのアパートの住人がやらかした諸々が原因で起こった厄介事に便乗してきただけだから。もっと積極的に手出ししてくるだろうって意味さ」
「……それもどうなんだ」
世界を終わらせる軍隊が襲撃してくるような事件を引き起こすような住人、さっさと追い出せばいいのにと疾は思う。
「まあ、昔からそういう所だからな。必要だからあるんだよ……多分」
「おい」
小声の付け足しをきっちり聞き取った疾ににこりと笑って、医師は強引に話を戻した。
「まあそれはそれとして。感覚共有はそもそも難しいと思うんだよね。君が見ている魔法陣や魔力回路、加えて普通の視界って、相当情報量が多いだろう?」
「魔術師としては普通だろ」
魔力が見える、感じ取れるというのは魔術師として最低条件だ。生まれつき当たり前に「ある」もので、それは魔法士だろうと魔術師だろうと変わらないし、処理しきれないなどということはない。魔力回路まで見える目というのは若干珍しいだろうが、疾の見立てでは総帥も同類である。
が、医師はそこで首を横に振った。
「それは違う。俺も魔力や妖くらいは見えるから言わせてもらうけど……日常的に魔力や魔力回路が見えている人間はほとんどいないし、見えていたら耐えられないはずなんだよ。説明しただろう? 見えすぎると引きずられてしまうと」
「……言っていたな」
「だから普通は、見え方を無意識に調整するんだ。意識しないと魔力は見えず、身の危険につながるようなものは見えるくらいにね。君の場合はそれが出来ていない。魔道具で抑えても、だ。君に見えているものは常人より遥かに多いというのは理解しておいた方がいい」
「……」
「そして、自分の視界とは別に他人の視界に常時同調しようなんていうのは、よほど情報を処理する能力が高くないと難しい。日常生活が送れないと思うよ。短く時間を区切ってやるという手もあるけど……うーん、あんまり現実的じゃない気がするな」
(……そうなると、やはり……)
少し思考に沈んだ疾を見て、医師は腰を上げた。
「とりあえず説明はこれくらいで。目を潰された後については俺も色々考えておくよ。君も何か気づいたことやわかったことがあったら教えてくれ」
「……ああ」
「あ、そうそう。魔力によって傷つけられがちな臓器は心臓、肺、腎臓なんだよね。血管構造と魔力回路の親和性についての論文もあるし、血流の多い臓器に影響しがちという仮説もある。その割に脳や肝臓や脾臓の損傷報告がないのは不思議なんだけど。まあなんにせよ、胸が苦しいとか血尿が出るとかは早めに受診してほしい」
「分かった」
半ば以上思考に没頭したまま生返事のように応じた疾に少し困ったような苦笑を漏らしてから、医師は部屋を出て行った。




