228 隔離
ゆるゆると意識が浮上する。
それを実感して、疾はゆっくりと瞼を持ち上げた。
視界が霞んでよく見えないのは、焦点が合わないせいか。何度か瞬くと、徐々に鮮明になっていく。
白く統一された天井と壁。脇に伸びる数本の管。口元に熱がこもって感じるのは、酸素マスクだろうか。
(……あぁ……病院、だったな……)
混濁した意識の中、それだけを思い出す。思考が回らない。なんだかひどく落ち着かない感覚だ。
「……疾くん?」
柔らかい声が聞こえて、のろりと瞳を動かす。記憶にあるよりも隈の濃い医師が、疲労を滲ませつつも笑った。
「ついさっき抜管したばかりなんだけど……、若いねえ。この調子なら、数日内に病棟行けるかもね」
「……ぁ……」
医師の言葉と、出た声の掠れ度合いに、人工呼吸管理か、と見当をつける。
(……マジで、危なかったな……)
珍しく運に見放されなかったらしい。そうでなければ、とっくに死んでいただろう。
そんなことに意識を散らされながら、何かを聞こうと口を動かす。が、先んずるように医師が口を開いた。
「次に目を覚ましたら、もう少し説明してあげるよ。まだ、もうしばらくは休んでいなさい」
「……」
ゆっくりと頷いて、疾は目を閉じた。
次に目を開くと、マスクは取られ、体につけられていた無数の管もほとんど抜かれていた。点滴だけが左腕に残っている。首を巡らせると、モニター機器だけは残されているらしい。胸と指先に貼り付けられたシールから伸びた線から送られた波形を描いている。
(……)
少し、昔を思い出してしまった。軽く頭を振って、疾は記憶を散らした。
「……、」
息を吸いながら、右腕にゆっくりと力を込める。常よりも随分と重く感じる腕を持ち上げて、目の前にかざした。意味もなく開閉してから、ぱたりとベッドに落とす。
「はー……」
大きく息を吐き出したところで、ドアの開く音が響いた。視線を向けると、疾の担当医が中に入ってくる。
「おや、起きたのか」
「……ついさっき」
返事の声はひどく掠れていた。近づいてきた医師は、テキパキと疾の診察と問診を済ませると、起こすよ、と声をかけてベッド脇にかけられたリモコンを操作した。低い機械音がして、ベッドの上半分が起きるのに合わせて疾の視線が高くなる。
「まあ大丈夫だと思うけど、一応少しずつ、ゆっくりね」
そう言われて渡されたコップを受け取り、言葉通り緩慢な動作で傾ける。流れ込んできた水が口に入ることで、随分と乾き切っている自分をようやく自覚した。一息で煽りそうになるのを堪えて、ほんのわずか口に含んで、飲み下す。
「うん、大丈夫そうだな」
無言で頷いて少しずつ水分を接種する疾を見守ってから、医師はようやくいつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
「全く。人が久々に我が家に帰ろうってした矢先に、死にかけの君が文字通り飛び込んでこなくてもいいだろうに。なんで急患ってこういう時に来るんだろうな」
「……嫌味か?」
「ただの愚痴だよ。まあでも、病院が住処になってる僕たちへの憐れみってことで、これくらいは聞いてもいいかい?」
無言で見返した先、医師はひどく冷たい笑みを浮かべていた。
「──加害者は、魔法士協会の関係者だな?」
「──……。そうだ」
否定は意味がないだろう。そもそもこの医師は、以前の担当医と知り合いなのだ。協会のことを知っていてもおかしくはないし、疾が伝えた呪いの特徴を理解出来たということは、ある程度は協会が扱う魔術に関する知識があるということでもある。
「だよね。捻くれて歪み切ったクソみたいな性根が滲み出た呪いだ、すぐに分かったよ。だから魔力回路を整える機械に手を加えて魔力を整えつつ、異能を抑えつつ元凶になってた呪いを解いて、体の治療も同時並行で進められた」
さらりと言ってはいるが、それこそ不眠不休での対処が必要だっただろう。医師の濃いクマややつれ具合がそれを物語っている。口を開きかけた疾に先んじて、医師はさらに続けた。
「君が伝えてくれた知識も、君と君が従えている「何か」による初期対応も良かった。おかげで呪いがかなり抑えられてて、治療をする時間が稼げたのは大きかった。それにしたって回復にはどうしても時間がかかると思ったんだけど、若いってすごいよねえ。あの状況からICUどころかHCU抜けて一般病棟に入るまで4日は新記録だって、うちのスタッフたちみんな盛り上がってたよ」
「……」
「まあ、一般と言っても特別病棟だけどね、ここ」
「……そりゃそうだろうよ」
疾の状況と下手人が分かっていて、入院治療を継続しているだけでも豪胆と言うべきだろう。一般人とは別の、事情があるものたち専用の病室が割り振られるのは当然の安全処置というものだ。
若干呆れが滲んだ疾に構わず、医師はさらりととんでもないことを付け加えてきた。
「治療は順調だったけど、しばらく入院になるし、せっかくだから君の治療にも少し本腰入れようと思ってね。目も耳も、調子いいだろう?」
「──」
咄嗟に耳に触れると、ピアスはそこになかった。眠っていたのだ、コンタクトも外されていたとすれば。──今、疾は魔道具なしで医師の顔を見て、会話をしている。
「ま、これまでのデータも併せての結果だけどね。そうやって安静にして機械を起動させている間の話でもある。魔力回路がまた乱れるとすぐに元通りになりそうだし、戦闘をするなら魔道具は付けておいた方がいいだろうけどね」
「……は……」
とても軽い口調でとんでもないことを言う医師に、疾は思わず笑いを浮かべてしまった。
「……この街の術者は協会とは距離を置いていると聞いたが。さっきの発言といい、あんた、よっぽど協会の魔術に詳しいんだな」
かつての担当医は魔法士協会の関係者の治療を多く行っていた。その医師にすら手のつけようがなかった疾の目と耳の状態をこうもあっさりと治せるとなると、年単位では済まされない知識の蓄積と研究があるとしか思えない。
笑みを浮かべつつも探るような目をした疾に、医師は胡散臭い笑みを少しも崩さずに問い返してきた。
「どうして距離を置いたと思う?」
「……」
「そういうことさ」
距離を置いたきっかけに、この医師も関わっていたということか。ということはせいぜい10年かそこら以内の話だろうに、疾が調べても出てこないとはどういうことだろうか。
(ネットに遅れた老人どもが大切に抱え込んでるってならまだしも……)
どこぞの誰かの言うとおり、この街の過去というのはなかなかに複雑らしい。さして興味はないし、そこまで深入りする気はこれっぽっちもないが。
それにしても、あれから4日も意識がなかったという方が問題である。
敵を逃した総帥が、そのまま放置するとはあまり考えにくい。面白がって傍観する可能性もなくはないが、あれほど殺意の高い攻撃を仕掛けてきた以上、追撃は想定して然るべきだ。4日のロスはそういう意味では大きすぎる。
「……何か……」
何か、あちらの動きはあったのか。そう問いかけて、疾は口をつぐむ。
いくらこの担当医が協会のことを知っており妙に胡散臭いとはいったとて、この男自身は戦いの世界に身を置いているわけではない。全く戦えないわけではなさそうだが、だからと言って疾が立つ戦場とは縁がないはずだ。……断言するのをやや躊躇うくらいには同類の匂いがするのは、とりあえず置いておく。
そんな相手に、協会の状況を聞いても知るわけがないし、知ろうとさせること自体がまずい。意識を取り戻したからには、自分で調べればいいのだ。
(…………端末は、流石に壊れたよな)
買い換えたばかりだが、まあ携帯端末は粉々になっただろう。いっそセイあたりに拠点からノートパソコンだけでも頼めないかなどと思考を逸らしていた疾は、続く言葉に思わず顔を上げた。
「動きなら、近くありそうだよ」
「……何」
「吉祥寺から連絡が入ってね。と言っても、君はあんまり関係ないのかもしれないけれど……ちょっと最近、立て続けに厄介な魔術関係の代物を抱え込んでいるらしいんだ、この街。それで各所に目をつけられてて、そのうちの一つに魔法士協会もいるそうだ」
(…………おい。まさか、またあのアパートじゃねえだろうな)
そういえば最近、誘薙の突撃がなかった。いや、最近の疾の活動拠点は海外が多かったので、もしかして未遂だったのか。
それはともかくとして、魔王襲撃、百鬼夜行に障り神と来て、また何か起こるのかあの邸は。それこそ呪いじゃないだろうな、と訝しむ疾をよそに、医師は口元を歪めて笑みのようなものを作る。
「魔法士協会は無干渉を宣言したらしいけどね。そういう時こそ油揚げを狙うのが奴らだろう? 君に狙いをつけているなら、なおさらいい口実だしな」
「……かもな」
これまで他人面でいたくせに妙に踏み込んでくるなと訝しがりつつはぐらかすと、医師はにこりと笑う。
「安心していいよ。重症人を戦いの場に行かせるほど、僕らは職業意識は低くない。君は今回、絶対安静だ。いいね」
「……」
「そうは言っても気が休まらない、というのは想像出来るけどね。……動きがあるとしても、あと数日くらいは猶予があるだろう。それまではゆっくり眠っていること。これは主治医からの指示だからね」
疾に有無を言わさず、医師はベッドを横にして、ずり落ちていた上掛けを引き上げた。
「それじゃあ」
そう言った医師が部屋から出ていったのを見送って、疾は目を閉じる。
考えるべきことは多くあるが、すでに今のやり取りだけで疲れを覚える体に無茶をさせてもまともな答えは出てこないだろう。不本意だが、医師の言うとおり療養に努めることにした。
(……あぁ、でも、礼を言い損ねたな……)
目が覚めたら支払う対価も含めて話さねば、と夢うつつに考えて。
そのまま眠りに入った疾は、わずか数時間後に起こる事件に、だから心構えすらできていなかった。
その日の夜。
異世界邸に集まった特異な代物に引き寄せられたものたちによって、街ごと消滅に危機に陥る事件が起きたのは、だから、疾には全く関わりのない物語となった。




