225 罠の中
空間が「閉じる」感覚と共に、部屋の中の魔力濃度が急速に上がっていく。
「──!」
戦慄と驚愕は即座に押しやり、疾はガラスケースへと駆け寄った。常であれば即時撤退を選んでいるが、この状況では致命的だ。
『さて、罠にハマったネズミはどっちを選んだかな? 尻尾を巻いて逃げてくれたら、手っ取り早く宇宙空間にポイ捨てできたはずだけど』
それを証明するように声が──魔法士協会総帥の、子供の姿をした化け物の声が聞こえてくる。一瞬だけ横目で見た入り口には、覚えのある不快な魔力が言葉通りの魔法陣を浮かび上がらせていた。
(──事前確認で引っ掛からなかったってことはただの隠蔽魔術ではない、条件発動型の亜種だ。声も録音、つまりオンタイムでこちらの動きを見ているわけじゃない!)
目に、耳に入った情報を高速で分析しながらも、疾はガラスケースに込められた魔術の解除を急ぐ。不用意に破壊しようとすればこちらに牙を向く攻勢魔法陣を読み解き、二つ三つと解除していく。
『さてじゃあ次の可能性としては、このドブネズミは愚直にも本来の目的に手を伸ばすよねえ。安直にガラスケースをかち割ってくれたら蜂の巣に出来るんだけどなー』
(これはこっちが引っ掛かるとは思っていない、だとすればこの入力音声の目的は時間稼ぎか音声自体に魔術的要素を込めている。つまり罠は本命がある……どのみち時間がねえ……!)
いちいち解析している余裕はないが、本質を見落とすと致命傷になりうる。連動して起動しうる魔法陣もひっくるめて解除していくうちに、徐々に王冠に刻まれた魔力回路も視界に入ってくる。
『うーん、それとも割ってはいないかな。割れないかもしれないねえ。もし僕の知ってるクソガキがお客様なら、うちの幹部にどつかれて死に体か、魔力切れかもしれないよね』
不愉快な言葉に反応する手間を惜しんで作業を進める。魔法陣解除作業と並行して徐々に全容が見えてきた王冠の回路の解析に着手する。ガラスケース内に異様な濃度で込められた魔力のせいで見えづらいことに舌打ちしながら、疾は作業を推し進めていく。
『あるいは一生懸命解析中かな? ねえ、だとしたらついでに雑談に付き合ってもらおうか。──どうもクソガキは僕に対して熱心に攻撃を仕掛けてるつもりみたいだけどさ、前にも言った通り所詮は小さい虫が鬱陶しくお膝元を飛び回ってる程度なんだって、まだ分からないのかな?』
ガラスケースの魔法陣は全て解除した。途端に部屋に残った魔法陣が一斉に魔力を充填し始める。疾は舌打ちする手間も惜しんでガラスケースに触れ、魔道具の解析を進める。
『だって、さあ。どうせ潰しても潰してもまた湧いてくるだろ? ああいう小さい地下研究組織って。僕が統率してる方がまだマシな仕事をするって連中さえいるんだもん。お馬鹿ってしょうがないよねえ』
魔道具に組み込まれた魔力回路は異様に緻密で細かく組まれていた。全ての分析をしていては間に合わないだろうと核の部分を探すが、巧妙に隠されている。一から解析しないと読み取れない仕様のようだ。性格の悪いそれと、部屋の魔法陣の破壊の優先順位を秒単位で判断しながら、ひたすらに解析を進めていく。
『ま、君の「眼」のデータでそれを作ったやつはまあまあ優秀だよ。根幹には気付いてないっぽかったけど、これを作った時には僕も面白いなって思ったし。ねえ、だってさ。同じだもんね?』
聞き流していた声に込められたものが、変わる。意図して作られた変化を努めて無視しつつ、疾はようやく見極めた回路へと異能を注ぎ込む。
『君の「眼」が見ている世界は、実際にこの世界に存在するものでありながら、普通の人間には見えず存在しないと信じられているものばかりだ。つまり、最初に会った時に言った通り、君は普通の人とはまるで違う世界を生きているんだよ』
魔道回路の破壊に成功した。王冠に残る魔力まで打ち消した疾は、徐々に溶け落ちる王冠の姿を最後まで見ることなく部屋の魔法陣へと顔を向けた。魔法陣に魔力が充填されるまであとわずか、しかしこちらは最初の段階である程度観察していたから、解析にはほとんど必要ない。新規に現れた罠の分だけ見極める、その時間はギリギリ足りそうだ。
『そういう意味では、僕たちは同類だよねえ。だってさ』
即座に作業を切り替えようとした疾は。
『──僕にとって世界は大きな箱庭で、おもちゃでしかない。世界は僕そのものでもあるんだからね』
その言葉に。
ほんの一瞬、思考を奪われた。
奪われて、しまった。
(──ク、ソが……!)
息を呑む暇すら惜しい。逸れてしまった意識を魔法陣に戻した疾は、既に発動できるだけの魔力を充填し終えているのを見て即座に方針を切り替える。
荒々しく壁に向けて手を伸ばす。一気に放射した異能で壊せるだけの魔法陣を壊した疾は、同時に身につけていた魔道具の残り全てに起動コマンドを打ち込んだ。
『ま、あの世への土産みたいなものだよ。じゃあね』
その言葉を最後に、残っていた魔法陣が起動する。
部屋を光が埋め尽くし、音が消えた。




