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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
1章 はじまり
22/232

22 錯乱

「どうかしたのか」


 父親に呼ばれ、我に返る。心配そうな顔を見て、慌てて首を横に振った。


「なんでもない。ごめん、俺──」


 その時、ドアがノックされる。父親と疾が揃って視線を向けた先、白衣姿の壮年男性が入ってきた。


「おや、目が覚めていたか。どうだ?」

「予想通り、視覚も聴覚も戻った──疾?」


 父親が入ってきた人物と交わした会話を、疾は聞き取れない。ぐらりと地面が揺れて、身体が勝手に震えだした。白衣が視界に焼き付いて、他のものがぼやけていく。


「大丈夫か?」

「……っ」


 白衣の男性が、異変を見せた疾に声をかけて覗き込む。伸ばされた手を必死で振り払って、疾は悲鳴を上げた。


「くるなっ!」


 伸ばされる手に恐怖が込み上げる。腕に残る違和感がどうしようもなく嫌で、疾は必死で点滴の管を引き抜いた。胸に張り付けられたコードも引き剥がす。


「疾!」

「いやだ……やめっ、もう……っ」

「疾、落ち着け!」


 父親にぐっと身体を抱え込まれる。きついほどの力で抱きしめられ、背を宥めるように叩かれた。


「大丈夫だ、疾……彼は、医者だ。疾が怖がるようなことはしない」

「や……っ」

「大丈夫……大丈夫だから」


 父親がとんとんと背を一定のリズムで叩くと、混乱する疾の悲鳴が少し小さくなる。それでももがくように震える体を、父親がしっかりと抱え込んだ。


「……悪い、白衣に怯えたか」

「多分」

「点滴もやめた方が良いな……食事が取れそうか?」

「……どうだろうな」


 頭越しに交わされる会話もろくろく聞き取れず、疾は荒い呼吸を繰り返す。ぐちゃぐちゃになった頭は、フラッシュバックした光景と恐怖に占められて、他の事を受け入れられない。


「いや、だ……」

「……疾。大丈夫だから、ゆっくり息を吐き出せ。痛くないか?」

「や、だ……」

「疾……」


 父親の言葉も入ってこない様子に、父親がこらえるように顔を顰めた。息を吐いて、改めて疾を抱きしめる。


「……ゆっくりでいい。慌てなくて良いから、ちゃんと帰って来い。俺はここにいる」

「う、あ……っ」

「大丈夫だから。疾」


 抑揚に乏しい父親の声を聞き続けるうちに、少しずつ、疾の呼吸が落ち着いていった。ぶれた焦点が戻り、身体の震えが治まる。


「落ち着いたか」

「父さん……俺、ごめん……」

「謝る事じゃないと言っている。……もう休め、疲れただろう」


 とんとんとあやすように背を叩かれて、疾の身体からぐにゃりと力が抜けた。感情に振り回され精神が消耗しきって、身体は休息を必要としていた。


「……お休み、疾」

「ん……」


 吐息のような声を最後に、規則正しい寝息を立て始めた疾に、父親がほっと息を吐き出す。その間ずっと黙って待っていた医師が、渋い顔で声をかけた。


「今までは、俺達が見えず聞こえずで治療していた恐怖に怯えていたんだろうが……見えたら見えたで、怯えるか」

「……ああ」


 起こさないよう丁寧にベッドに横たえながら、父親がそれだけ答える。張り詰めた様子に、医師は苦い声で尋ねた。


「お前は大丈夫か? 相当無茶をしたんだろう。ここで倒れたら、この子供、そこで終わるぞ」

「……分かっている」


 父親が手を伸ばした時には、少し混乱したものの、医師相手の時ほど落ち着くのに時間はかからなかった。疾が現在、父親に縋り付くことで何とか自我を保っているのは明らかだった。


「仕事は?」

「どうにかなる。家も任せてきた」

「なら、あとはお前が倒れるなよ」

「ああ」


 白衣を脱いだまま、医師が疾を覗き込む。あちこちに包帯が巻かれた身体は、未だ傷が癒えきっていない。包帯に血が滲んでいるのを認めて、医師が渋い表情を浮かべる。


「治癒魔法をかけてるのに、直ぐ傷が開くのはどういうこった……何度かけても効きが悪いし。どう思う?」

「……」

「おい?」

「……推論は、ある。だがこればかりは、本人がその気にならなければ、証明出来ない」


 そっと目に掛かる髪をのけて、父親は目を伏せた。その様子に、医師は肩をすくめる。


「生真面目は変わらずか。訳ありなのは今更だろ、守秘義務は守るぜ」

「……」


 迷う様子を見せて、疾の父親は結局、首を横に振った。


「疾に、選ばせる。隠して、無かった事にしたいなら、知らない方がいい」

「……アホか。治療に関わるから教えろっつってんの」

「治癒魔法は提供する。仮説が合っていれば、これで解決するはずだ」

「おい、だから抱え込むな。お前が今倒れたらまずいっつったろうが」

「そちらの為も思って言っている。今回の主犯に拷問されたいのか」


 さしもの医師も、その警告には口を閉じる。


「……逃げてるのか」

「ああ……」

「そうか……それで、か」


 ふうっと溜息をついて、医師が外を見やる。一呼吸置いて、視線を戻した。


「言え」

「……」

「俺達は、その為にいる。原因は何であれ、治癒を妨げるような力が働いているのなら、その力は確実に身体を損ねているんだぞ」

「……良いのか」

「言ったろ、俺は金さえもらえばどこまでも理想の医師貫く。ここで我が身可愛さに逃げるくらいなら、始めから金の受け取り断るわ。たんまりもらったし、きっちり仕事させてもらうぜ」

「……相変わらずだな」


 ふっと、微かに笑みのようなものを見せ。父親は、重い口を開いた。


「おそらく、だが。疾は──」


 続く仮説を聞いて、医師はただ頷くと、何も尋ねずに治療に取りかかった。



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