216 災厄の始まり
疾を認めたノワールが、剣呑な眼差しで睨み付ける。
「疾。何をした」
「答える義理はねえが」
「そうじゃない。これほど広範囲に、複数の魔術を同時に行使出来るほどの魔力はないだろう。それを補った協力者はどこにいる」
(…………)
疾の内心を知らぬノワールは、隠していた魔力を解放し、低い声で恫喝する。
「そしてあの馬鹿馬鹿しい騒ぎに真っ先に首を突っ込みそうな、瀧宮羽黒が何故いない。たった数日前まで彷徨いていただろう」
「ははっ」
その問いかけに、笑いが溢れた。
(協力者と、瀧宮羽黒の居場所、か)
なるほど確かに、それは重要な情報だろう。協会の敵である疾に手を貸し大規模魔術を可能にさせた存在も、協会に接触禁止生物指定されたくせに紅晴に肩入れしたあの男も。
現状最優先で確認しなければならない──魔法士協会にとっては。
「職務熱心なこった。どうでもいいんだろ? こんな街も、あの野郎も」
顎を軽く持ち上げて、ノワールを睥睨する。こちらを逐一観察しながらも、その目に熱意はない。当然だ。この街で起こった事件も瀧宮羽黒の不在も、疾自身ですら、ノワールにとっては「どうでも良い」存在なのだから。
本来であれば、まずここで聞き出すのは瀧宮羽黒について来ていた白銀もみじ──吸血鬼の動向を探ることが最優先となるのが、スブラン・ノワールという男だ。
「それなのにストーカーよろしく行動を監視して、嗅ぎ回って……いつの間にそんな立派な総帥の駒に成り下がったんだ、ノワール?」
それをおそらく総帥の命令下に自重し、協会にとっての優先事項を重要視している。そしてそれを理由に──気付かぬうちに、吸血鬼の捜索を後回しにしてしまっている。
そう示唆した疾の言葉にノワールは押し黙る。反応には構わず、疾は話の流れを自分に都合のいいように引き寄せる。
「ま、大方俺達に関わったせいとでも思ってるんだろうし、それでも別に構わねえが。そもそもノワールが気にしている問題は、これだろ?」
疾は足元を指差した。ノワールの視線が、疾の誘導に従い足元へと落ちる。
不自然なほど元通りの揺らぎを取り戻した地脈を——そこに混じる疾の魔力に意識が向かうのを目視しながら、疾は準備していた魔術を一気に起動していく。
魔術が魔術を起動させ、さらにその魔術が次の魔術を補助し──歯車のように連鎖的に魔法陣を噛み合わせて、目指す魔術の発動条件へと近づけていく。
「俺が何故、何の為に、地脈に干渉しているのか。今もその痕跡を残しているのか。街の心臓を、鷲掴んでいるのか。そうだろ」
「……ああ」
そう、この問いかけにノワールは頷かざるを得ない。
災厄が街の要に干渉している。その結果があの馬鹿騒ぎであり、ノワールが、総帥が——魔法士協会が、街を探れなくなっている。それは、ノワール自身が観測した事象だからだ。
けれど、規格外の魔力を持つ魔法士の肯定が──その言霊が。
疾の言葉通りに、疾の誘導通りに、疾の手に地脈を掴ませた。
(──成功だ)
「くくっ」
笑いを思わずこぼして。
「ま、そこで見てろよ」
「何……っ!?」
2歩3歩と下がった疾に何かを感じたらしいノワールが詰め寄るより先、疾は最後の魔術を起動させた。
——膨大な魔力が、街中から吹き上がった。
真っ直ぐに天を突く魔力が、空に巨大な魔法陣を描く。
「…………!?」
それを見たノワールが、驚愕に言葉をなくし、目を見開いた。その様に、さらに笑いが込み上げてくる。
「はははっ! てめえのそんな顔が見られるなんてな!」
魔力の大量消費時特有の高揚感も上乗せして、疾は上機嫌に両手を広げてみせた。
「さあ、とくとご覧あれ。って、な!」
上空の魔法陣が輝く。強風が荒れ狂う。そして——魔法陣に呼応するように輝いた地脈が、大きく脈動する。
あたかも疾の操る魔術が地脈の力を自在に引き出しているかのように、魅せつける。
「疾……お前……!」
理解出来ないと驚愕の眼差しを向けてくるノワールに、さらに嘯いて見せる。
「ああ、今から干渉したって無駄だぜ? 何せこれはデモンストレーションだからな」
「……!」
意図通りに疾の言葉を読み取ったノワールに、疾は笑いながら告げる。
「さあ、情報を持って帰れよ。ノワール。この街に手を出すというのがどういう事なのか、その結果何が待っているのか。もう分かるだろ?」
事実でありながら真実でないことを、さも本当のように告げる。
「この街に宿る全ての力を、俺は掌握した。バカ騒ぎが起ころうと誰ひとり違和感を感じられないなんて序の口だ。さてさて、次は何が起こるだろうな?」
今自分はジョーカーを手にしたのだと、堂々と見せびらかした。
「何が狙いだ」
「さあ?」
探りの言葉には、意味深に笑うだけに留めて。
「ま、とりあえずだ。てめーは魔法士幹部らしく、この調査結果を持ち帰り、何がベストかを——下手に街に手出し出来なくなっちまった理由を報告するんだな。今のノワールに……魔法士に出来る干渉は、そこまでだぜ?」
街に手を出せば、疾が無尽蔵の魔力を持って対峙する。
対策もせず疾を殺せば、街は沈み、幾万もの人間が死ぬ。
そんな脅しを、心底楽しげに見えるよう示して。
疾はついとノワールを指差して、命じる。
「とっととケツまくって帰れ。また、遊ぶ機会はあるだろうよ」
傲然と。傲岸に。
「……災厄が」
「はっ。最高の褒め言葉だな」
吐き捨てられた台詞に、疾は極上の笑みを浮かべた。




