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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
12章 紅晴の守護者
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212 「魔女」と「最悪の黒」考察

 疾が瀧宮羽黒についての事前知識が風の噂レベルなのは、彼がここ暫く異世界どこぞに姿を眩ませていたらしく口の端に登ることがなかったせいだ。辛うじて「魔法士協会の指定接触禁止生物」と言う肩書きのおかげで頭の片隅に置いてあった程度だった。

 だから今回、偶然接触出来た価値は大きい。彼の危険度を肌で感じた疾は、待ちの姿勢を取っている間に本腰を入れて羽黒のことを調べ上げた。

 協会すら敬遠する過去の所業は勿論、本来一地方でひっそりと始まりそして終わったはずの瀧宮家の継承も、彼が関わった事件も、異世界での功績も異世界に行くまでの所業も──全て。

 それらを記憶し、理解し、分析する。思考をトレースし、仮定条件を入れて演算していく。

 魔法士協会幹部クラスと同レベルの解析を終えたところで、疾はセイの背中に乗って、鬼門──北東の方角で何やら作業をしている羽黒を追った。


「…………」


 魔女を相手に飄々と取引を行う羽黒を見下ろしながら、疾はこれまでに羽黒が紅晴で取った行動を脳裏に描いていく。


(白蟻の魔王に滅ぼされかけた世界から逃げてきた勇者と、眷属に取り憑かれて操られていた勇者の世話と治療。吉祥寺への金策の援助。戦闘により乱れた地脈の整備。極め付けはこれか)


 瀧宮羽黒の手によって廃墟が崩された後、草木が一斉に生えて伸び揃い、一本の大木へと生まれ変わる。

 五行の気を利用した術式だ。瀧宮は遠くは安倍の系譜らしいからそのせいだろうか、やけに上手い。疾の魔術を寸分違わず模倣してみせたその手で日本古来から伝わる術式を同時に扱うなど、常人が見れば目を疑うだろう。本来魔術と術式は、相容れないものとされているのだから。

 そして羽黒が大木に封ずる形でカミを祀るところまで醒めた目で見届けて、疾は気怠げに溜息をついた。


「やれやれ……大盤振る舞いだな、『最悪の黒』よ」


 セイがわずかに身じろぐ。疾の意識が常とは違い、極限まで感情を切り離し無機質な思考回路をむき出しにした状態だと、うっすら察したらしい。かつて母親と対峙する際に主に用いていた代物だが、この国に来て、冥官に引きずられる形で堕ち神と相対して理解してしまった今、ほんの少し変質していることも理解している。

 当たり前のように街の命運を測る思考を回しながら、疾はセイの問いかけに答えた。


『どうするのですか、あるじ』

「主言うな。……さて。何せ、魔女に動く気が無い」


 魔女は今回の結末に満足している。来る百鬼夜行まで、街の復興と負傷した術者のケアに努めていくだろう。それがこの街の為にならないと、分かっているのかいないのか──あるいは、分かっていたとしても構わないのか。

 だからこそ、セイは不愉快げにこう言うのだ。


『……私は、彼女が好きではありません』

「そりゃそうだろう。何せお前たちは、魔女を契約相手に選ばなかった」


 薄く笑って、疾は続ける。


「どんなに次期当主の器だろうと、あの魔女は心からこの街の為に尽くせない。この街を守る理由が、街の為ではない。だからこそ、四神の眼鏡に適わなかった。本人も分かってはいるさ」


 魔女の心が向く先はおそらく街そのものではない。街に存在する「何か」を大切にするために、彼女は吉祥寺の次期当主の座に居座っている。だからこそ、「何か」のためであれば街の術者たちが望まない外の協力者を招くことも躊躇わないし、その協力者が本来の封印のありようと反目していても止めない。もしかするとそれが巡り巡って「何か」のためにならないかもしれない、それでも、彼女は心のままに、気まぐれに力を振るう。


「それでも、譲れないんだろう。この街の在り方に、疑問を持ってしまうんだろう。なあ、『魔女』よ?」


 だからこそ、街のために自らの全てを捧げることは、出来ないのだ。

 その残酷な程に愚直な生き様を、それを見て落胆する四神を観測しても尚、疾の興味は羽黒の方に振れている。


「見事な模倣だったな。爆発の方は原理を読み解けなかったか、周囲の被害を考えて控えたか、どちらでも良いが。魔力回路の破壊そのものは、俺が行った方法そのままを忠実に再現している」


 疾が用いた戦艦の魔術回路を破壊した魔術は、先日どこぞの馬鹿のせいで連れ去られた研究施設を破壊したものを基礎理論とした。そこに動力源の魔力を引き込みしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回して爆発させたのだが、羽黒の再現は回路の破壊部分のみだった。それでも間近で観察したものとはいえ、寸分違わず再現してみせる観察力と技術力は突出している。


 が──


「だからこそ、あいつは魔術師じゃない」


 かつて己の父親から魔術師のありようを教わった疾は、断言する。


『は……?』

「セイ、魔術師というのはな。何よりも、他のどんな技能や知識よりも、「己」が大事なんだ」


 父親はこれを、世界干渉を行う理論と技術を持つにあたって「己」を見失えば世界に飲み込まれてしまうからと表現した。時折魔術に魅入られて暴走する愚か者が出るのは、ほとんどが「己」を見失ってしまった末期なのだと。


「だからこそ魔女は魔女としてしか生きられない。魔女である以上、『吉祥寺』にはなりきれない。……街を、最上位におけない」


 それは魔女になった以上は変われない。変わってはいけない。揺らいだ瞬間、彼女は別の何かに成り果てる。


「しかし瀧宮羽黒にはそれが無い」


 本来他者の魔術を再現するためには魔法陣の改変が必要だ。といっても発動しやすくする為のカスタマイズに近く、ほとんどのものは魔術書の実践であろうと無意識のうちに行なっている。

 だが今回の瀧宮羽黒が行った再現には、それが一切なかった。疾の目を持ってしても、寸分違わぬ回路を再現してみせたのだ。それでいて、「己」を見失わないままに。


「それが出来てしまう。躊躇いなく、迷い無く、そこに何らの疑問を差し挟まず、寸分違い無く真似られる。知識を、技術を、経験を、歴史を、餓蛇の如く貪欲に丸呑みにする。己ごと、全てを呑み込んでしまう。それこそ、瀧宮羽黒が魔術師たり得ない証。それこそ、瀧宮羽黒が最悪と呼ばれる証」


 それはもはや、狂人の域に達していた。


「一体過去に何があったのやら。命懸けの危機にも動じない、動じる事の出来ないあの男は、例え死神の鎌を見ても怯えやしないだろう。ノワールとはまた違う、業の深い狂気を抱えている」

『それは一体……?』

「さあな。だが、それを察したからこそ『魔女』は怯えたんだろう。彼女の心は、徒人のそれだ。ノワールの狂気に同情してしまうくらいだからな」


 誰かの狂気を見て忌避でもなく関心でもなく無視ですらない、真っ直ぐな情を向けてしまえるのは、魔術師としては失格だろう。人間らしさを持つ魔女──そんな彼女に、瀧宮羽黒という狂気は相性が悪すぎた。

 だからこそ瀧宮羽黒はこの街で思うままに行動し、紅晴を守った。過保護なまでの守護は、確かに四家にとっては救いだっただろう。


 が。


「これで、あの男は退場する。精力的に動いておいて気の毒な事だが……今後しばらく、この街には入れないだろうな」

『……はい』


 この街の土地神は、封印は、真逆の判断を下すのだ。

 魔王にすらも加護を与える土地神と、その神を封ずる封印は、騒乱を求めているのだから。


「魔王が来たのに、それでは困る。街1つ落とせない魔王なんて肩書きがつくのは全く構わないが、さしたる被害もなく退けては意味がない」


 そうでなければ、もう一柱の土地神が起きてしまうから。


「そう考えると、あの世界精霊は正しく仕事をしたな。勇者と魔王の最終決戦。これ以上、かの土地神を満足させる決着もない。その勇者も今は病床につき、魔王は首輪を付けられた。守護の家は莫大な借金が残った。悪くない結末だ。結末の、筈だった」


 それを、瀧宮羽黒が「後始末」の名前の元に覆してしまったのだ。

 疾は大木に封じられたカミに視線を向けて、溜息をついた。


「鬼門を整えるなど、正気の沙汰じゃない。あれは廃墟のままで良かったんだよ、瀧宮羽黒。鬼門が百鬼夜行を呼び込むくらいで丁度良い。百鬼夜行(ソレ)は特別な事ではなく、この街の常態なのだから」


 何せ、魔王の襲撃などなくとも朔月の度に血の気の多い妖が暴れる土地だ。百鬼夜行も、神無月には恒例行事と言ってしまえるほど慣れている。それが前代未聞の規模だとしても──それこそがあるべき姿なら、そうでなければならないのだ。

 だから、ここからは疾の仕事になる。


「さて、セイ。コクに聞いても良いんだが。あの大木を破壊し、かつて土地神だったカミを殺せばどうなる?」


 人に許されない筈の禁忌の問いに、セイは大人しく答える。


『反りは全て、あるじに向きます。この街には余り影響が及びますまい』

「だから、主言うな。……周りの森を焼き尽くしても駄目か?」

『……少しは影響が出ますが、反りと天秤に掛けては』

「割が合わない、か」


 疾一人が負債を負う割に、街への影響は不十分というわけだ。鬼門を荒らすだけではなく、もっと大きな変化が必要らしい。

 疾は目を細めて遥か下方にある街明かりを見下ろす。選択肢が疾の脳裏に次々と浮かぶが、そのいずれもが危険を伴い、また、街への影響度が低すぎる。


(かなり根本的に介入しないとならない、か……そうなると問題が一つ)


「今、動くか。それともまだ動きがあるか。瀧宮羽黒が退場した今、懸念は『魔女』と『四家』、そして……魔法士協会か。未知数だな」


 特に魔法士協会は動きが読めない。今回のノワールの初動を見るに、協会は紅晴を救う気はない。それでいて介入する気がないわけでもなさそうだ。内容如何では、疾は紅晴を守る側に回る必要が出てくる。

 そして懸念事項は、もう一つ。


「セイ。この街が今、正常に機能していないのは何故だ?」

『…………』

「都合が悪いと直ぐ黙るな」


 封印を置いておいても、この街の地脈は少々異常だ。常に不安定で神隠しが起きやすいこの地は疾にとってはありがたいが、守る側にとってはそうではない。

 疾は言葉を区切り、セイを見下ろした。


「なあ、もう1度訊くぞセイ。——中央の山を統べる家は、何だ。そいつらは今、どこにいる」


 あまりにも特異な神を祀り四家を束ねてこの街を守り支える家は、どこで何をしているのか。今回の件で動く可能性があるのか。

 その懸念を載せた問いかけに、セイは静かな声で返した。


『……あるじの命であっても、お答えできませぬ』


 答えないのか答えられないのかどちらかは定かではない返しに、疾は冷たく笑う。


「龍脈を伝い中央に向かう力。これは土地神を封印する為の力だが……どんな偶然か、その家の不在を穴埋めしている」


 中央の山を守れ。

 術者達の無意識に刻まれた命が、最後の砦となるように。


「単純かつ複雑なこの仕組みを作ったのは、おそらく天才だ。——そして天才の策は、常に愚者によって最悪の愚策と堕ちる」


 それが現状だと──この街の不安定さの原因だと、疾は言う。


「だからな、俺が最後でなければならない。またどこぞの愚か者が俺の意図を理解せずに馬鹿をしでかせば、今度こそこの街は終わりだ。仮にそうなろうが、今のまま放置して緩やかに終焉への道を辿ろうが、俺は構わないがな」

『あるじ……!』


 セイが声を上げるのを無視して、疾は夜空を見上げた。星が瞬くのをなんとなしに眺めながら、疾はぼんやりと考える。

(……さて、どうするか)

 今のやりとりも踏まえて、疾の行動はほとんど絞られた。事実上瀧宮羽黒の行いをなかったことにするような策だが、この土地に必要な条件は揃えている。

 だが──疾には、荷が重い。

 協会と敵対し、鬼狩りの任につき、それでも一般人として生きる道も捨てない。そんな無茶としか思えない生活を送る疾に、事実上この街の命運を背負うだけの余裕は本来ない。すでに魔力増やし放題というメリットもない今、街に未練もないくらいなのだ。

 なのに。


「……全く、余計な事を吹き込んでくれた」


 この街の封印を作り上げた天才に、心底震えた。そして同時に、これがくだらない連中のせいで失われるのは惜しいと思ってしまった。

 たったそれだけではあるが、それこそが見捨てることを躊躇わせてしまっている。


『あるじ……』

「だから、俺はお前達の主じゃない。主になれるものか——この街が沈もうがどうだって良い、我が身可愛い人間に」


 それでも動こうと思えない疾は、四神の主になり得ないのだ。


「……にしても俺しか適任者がいないという時点で終わっているな、この街は。魔力不足の魔術師ですらない輩が命運握るなど、悪夢も悪夢だろう」


 全く酷い状況である。しかも、代役もいないときた。そう思ったところでやる気が全く出ないのは如何ともし難いのだから、紅晴も本当に運がない。


『あるじ……』

「だから、主ではないと何度言わせる。……はあ、煩わしい」


 また溜息をついて、疾は髪を掻きむしった。一番の問題は膠着状態に陥っている疾の思考そのものだということも客観的に把握しているが、それでも動けないのだ。「己」の意思を魔術に反映する魔術師が、今の心情で魔術を行なったとしてもロクな結果にならない。

 せめて何か1つ、背中を押す切欠があれば──


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