21 音と光
悪夢から跳ね起きると、横から声をかけられた。
「疾?」
「っ!」
ばっと横を見ると、相変わらず歪んではいるけれど、父親の姿がそこにあった。固く強張った身体から、ほんの少し力が抜ける。
「疾、今はちゃんと聞こえるか?」
「え、……聞こえる」
こくりと頷いた疾に頷き返して、父親が手を伸ばしてきた。途端、びくっと震える疾に、父親は手を止める。
「……疾」
「っご、め……おれ」
「良い。……少し、顔を触っても良いか」
必死で呼吸を整えて、疾が頷くと、父親がゆっくりと手を伸ばして、耳に触れた。そっとなぞるように動かされ、耳たぶに触れる。
「痛くないか」
「……? なにが?」
釣られて耳に触れると、固いものが指先に当たった。
「落ちにくさと、身に付けやすさを考えて、勝手で悪いがピアスにした。痛まないか」
「う、ん……?」
よく分からないまま頷くと、ほっと息を吐きだして父親が頷く。そこでようやく疾は、父親の声だけでなく、それ以外の小さな雑音──空調の音やモニター音など、ありふれた音が聞こえるのに気付いた。
「あ……音……」
「ちゃんと聞こえるな」
「聞こえる……けど、何か、変だ」
「……」
前と同じように聞こえる音に混じって、時折異音が聞こえる。それを訴えると、父親は少し黙り込んだ。
「父さん……?」
「……後で、説明する。先に目も何とかした方がいいだろう。コンタクト、付けて良いか」
「え……いい、けど」
己の視界がそんなもので回復するとは思えず、疾は困惑気味に了承した。父親は頷くと、またゆっくりと手を伸ばしてくる。──目に伸びる、手。指が、瞼に触れて、そして。
「っひ……やめろ!」
フラッシュバックした光景に、疾が悲鳴を上げた。父親は息を呑んで、疾を腕に抱き込む。
「や、め……やっ、たす、け……いやだ……っ」
「疾。落ち着け。大丈夫だ」
軽く背を叩きながら、父親が静かに告げた。抱きしめられたまま聞く声に、震えていた体が落ち着き、感情の波が引いていく。
「……ごめん」
「謝るな」
「でも……」
「疾は、何も悪くない。だから謝るな」
きっぱりとそう言って、父親が疾の顔を覗き込む。戸惑いがちに頷く疾に、改めて父親は尋ねた。
「眠ってから、付けるか?」
「ん……いや……だいじょう、ぶだ」
今こうして触れる手は、怖くない。だから、大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせて、疾は父親に頷いて見せた。眉を寄せつつ、父親はゆっくりと疾の目に触れる。
反射的に強張る体を抱きかかえたまま、父親は片手だけで器用に疾の目にコンタクトレンズを当てた。反対の目にも同じようにすると、軽く瞬きをするよう促される。言われたようにすると、唐突に光が目に入ってきた。
「っ……」
「眩しいか……ゆっくり慣れさせろ」
長く暗闇にいたせいか、光が目に痛い。思わず目を固く閉じて手で覆う疾に、父親が声をかけた。落ち着いた語調に、肩に入っていた力が抜ける。
「……」
少しずつ手を外し、光に慣らして。何度も瞬きながら疾は目を開ける。
まず、ベッドに身を起こしている自分自身が見えた。父親の腕に未だ上半身が抱えられている事に気付く。
ゆっくりと首を巡らせると、どうやらここは、病院の個室らしい。ベッドとソファー、ローテーブルくらいしか、家具らしい家具はない。窓にはカーテンがかかり、外の光を遮断していた。ベッド脇には背の高さくらいの棚と、モニターの機械が置かれている。
視線を落とす。胸に何かのモニターが繋がっていること、腕に点滴の管が入っていることに、ようやく気が付いた。
「疾?」
声をかけられて、疾はびくりと肩を揺らす。少しして、声が親しんだものであると気付き、顔を上げた。父親の顔が、はっきりと見える。
「……父、さん」
電気が消えているのは、自分に合わせてくれたのだろうか。薄暗い部屋の中、父親に、そっと声を出す。
「見えるか」
「うん……見える。大丈夫」
疾は、静かに尋ねてくる父親にそう答えながら、けれどやっぱり、どこか歪んで感じる視界に言い様もない気味の悪さを感じた。目も、耳も、もう自分のものではないのだろうか。




