204 吸血鬼
「あら、随分と勘の良い子供ですね」
「気配を隠すでもなく、よく言うぜ。面白いか、こんな光景?」
「白蟻を片付けていたら目に止まったので、つい物陰から見ていたのですが。不愉快でしたら謝ります」
「いや、構わねえ。それこそあんたが面白そうだからな」
そう言って、疾は笑みを浮かべながら振り返る。
そこにいたのは、黒髪黒目の女性だ。疾とほぼ同じくらいの年恰好だが、身に纏うのは魔力ではなく妖気。そしてその独特の気配から、正体にも見当が付いた。
「こちらの術者一門から依頼を受けたWINGオーナーの補佐、白銀もみじです。術者のお一人でしょうか?」
「関係者、だな。そこに転がってる阿呆と同類ってのは勘弁だ」
うっすらとした噂なら聞いている。ここ最近になって頭角を表しただの、とんでもない奴がこの界隈に復帰しただのと情報が錯綜しているが、いわゆる何でも屋──兵力すら提供するという依頼請負業者だ。その構成員らしい。
「ふふ、面白い方です。随分と長く生きていますが、久々に見ました——鬼狩りなんて」
「……へえ」
思わず、疾は目を細めて笑った。相手の探るような牽制に応え、言葉をぶつけ返す。
「見ただけで分かるたあ大したもんだな。力を封じられてはいるようだが、流石は永きを生きる吸血鬼か」
あら、ともみじが目を見張り、口元に手をやる。
「貴方こそ、見ただけで分かるのですね。ですが、女性に対して年の話題は失礼ですよ」
「人外に対しても適応されるのかよ、それ。どーでもいいわ」
軽口が返ってくる程度には適切な返しだったらしい。なんにせよ丁度いいと、足元の少女を任せるべく話を進める。
「依頼を受けたって事は、誘導が仕事だよな。今どの程度進んでるんだ? 『吉祥寺』の連絡が遅くて把握出来てねえんだ」
「私に聞いても良いのですか?」
「現在全ての指揮権を預かってるんでな」
「いえ、そういう事ではなく」
と、女性は薄寒く笑った。声に色濃く本質を乗せて、彼女は言った。
「——狩る対象である私に、聞くのですか?」
肌を刺すような殺気が疾に向けられる。瞬時に殺気立つ四神を牽制しながら、疾は女性に意識を集中する。
(……全力じゃないな)
根拠はないが、持ち合わせている器と中身に齟齬を感じる。これだけの妖気が滲む殺気を放っているくせに封印された状態らしい。これで全力全開を出されたら、街は余波だけで消し飛ぶ。何よりも、そもそも首輪付き()を相手にする義理も権利も、疾にはない。
「鬼狩り」は、人に仇なす「鬼」を狩るために存在するのだ。
「俺の知り合いなら見た瞬間に殺しにかかってるだろうが、俺はそこまで仕事熱心じゃない。きっちり飼い慣らされてる以上は、魔王級だろうが何だろうが狩りの対象外だ」
だから適当に返すと、その女性は──吸血鬼は心底残念そうな顔をした。
「あら、残念ですね。貴方と殺るのはとても楽しそうなのですが」
「それは同感だが、現状そういう遊びをしてる場合でもないしな」
「本当に残念です」
血の気は相応に多いようだ。首輪を持つ主がきちんと手綱を握っている事を祈るばかりである。特にこの街にいる限りは。
(……一応、確認しておくか)
考えた途端に嫌な予感がした。これは一度釘を刺しておいた方が良さそうだ。魔王襲撃に加えて管理者の皮を被った復讐鬼と吸血鬼の全力衝突なんぞが起こるのなら、疾は全て投げ出して逃走する。巻き込まれて死ぬのはごめんだ。
そう判断して、疾はもみじから住民の避難はこの一帯を除いて完了していることを確認した上で少女を任せ、その吸血鬼と別れて移動した。
移動中、ふと思いついて、疾はセキに話しかける。
「そういや、お前ら人探しってできるか」
『街の中であればお任せください!』
「じゃあ、この魔力を探せ」
ポケットに隠し持っていた魔石を突き出すと、勢い込んでいたセキがひっと悲鳴を上げた。
『何ですかこの禍々しい魔力はぁ!?』
「……あー」
神獣から見るとこうなるのか。なるほど、冥官が疾に処分を求めるわけである。疾に言わせれば豊富な魔力源、かつ闇属性魔法使い放題という便利極まりない代物でしかないのだが。
「この魔力の持ち主が暴走したら街は終わりだろ。居場所がわかるなら探せ」
『えぇえ……』
ビクビクしながらもセキが探り出した先は、鬼門の方角に位置する街外れだ。戦場から離れる形にはなるが、ここが一段落ついたことで避難もほぼ終わったようなものだ。懸案事項はあるが、それこそノワールがしゃしゃり出てくるのなら働かせるという手がある。
そう判断して、疾はハクを足とし、残りの3体には待機を命じた。本来の姿に戻ったハクに跨ると、強い風が渦巻く。
ぐっと下への重力を感じた時には、疾は空にいた。
(おお)
飛び降りたり障壁を足場に跳んだりはよくやるし、つい最近空から自由落下する目には遭ったが、飛行機以外で飛ぶのは初めてだ。流石に少し心が躍る。
視線を前に戻すと、あっという間に目的の廃ビルが大きくなっていく。ハクが周囲の風を調整しているらしく疾に負担はないが、かなり速度が出ているようだ。
その時。
「!」
『主!』
ハクに警告されるまでもない。上空の艦艇に馬鹿げた量の魔力が秒単位で収束し、魔法陣が展開を始めている。事前の解析情報と擦り合わせ、疾は薄く笑った。
「魔力砲か。土地丸ごと消し飛ばしちまえとは魔王らしいな」
魔王に降り注ぐ祝福は、どこまでも魔王らしい暴虐を選ばせたようだ。
(さて、どうなるか)
見立てでは、街の術者だけではこれは防げない。となれば発動阻止か、それとも外部に頼るか。魔女が何を選ぶ気でいるのか興味はあるが、ひとまずは当初の目的を優先することにする。
「このまま進め」
『……主』
「ある意味、その方がアレをなんとかできるかも知れねえからな」
勇者でもない人間が魔王の攻撃を防げるわけがないという常識は頭に入っているが、ほぼ人間やめたどこぞの魔法士が防げないとは疾は思わない。気まぐれだろうがなんだろうが、防御を担ってくれる展開に持ち込めれば疾の仕事はほぼ終わりだ。
そう考えていた疾は、続く報告に目を眇めた。
『主。……目標がビルから離れた様です』
「あ?」
目を凝らすと、確かにノワールの魔力が唐突にかき消えている。転移魔術で移動したようだが、移動した先は紅晴市内のようだ。このタイミングで知らん顔で帰るでもなく、意図を持って動くとなれば──
「……防御魔術でも組む気か?」
もしそうなら疾の出番は本当に終わりなのだが、何故今になって動く気になったのか、という話である。
視線を廃ビルに戻す。と、ノワールの魔力に塗りつぶされて気づけなかった魔力が残っていることに気づいた。
人とも妖ともつかぬ、奇妙な圧を滲ませる魔力が、いやに繊細な術式を編み上げている。
「……ふーん?」
なんとなく興味が湧いて、疾はハクに命じてビルの屋上へと降り立たせた。




