201 紅晴の封印
「……利があれば、動く?」
不意に、コクが口を尋ねた。疾はそれを鼻であしらう。
「へえ? この街を背負ってでも欲しいと思える利を、てめえらが提供出来るってか? 聞くだけなら聞いてやる」
こくんと幼い動作で頷き、コクは感情の透けない無表情のまま口を開いた。
「まず、四神である我々が力を提供。これは仮契約での範囲内でも、有事対応中の助力は可。指示を下して戦う」
「……本契約になる条件が随分と曖昧になるな」
「否。自ら望んで我らの助力を求め、名を呼んだ時に契約は成立。街の守護を行なっている最中に手足として用いる場合には、不成立」
「ほお」
初耳の情報だが、魔術師としての知識とすり合わせて納得する。守護の神獣らしく、互いが互いの「守護」を求めることが成立条件というわけだ。
「街の守護に際しての助力は、協力体制の構築であって契約とは別物ということか」
「肯」
コクはもう一度頷いた。最初に疾への「貢物」を行うあたり、交渉の切り口としては上々だ。少し耳を傾ける気になった。
「もう一つは、名が上がる」
「それは別にどうでも良いんだが?」
「主が標的としている敵以外に警戒されにくくなる。街の守護という戦績への価値」
「街の守護をする手間よりも減るなら大したもんだな」
「普段の守護は四家の仕事。四家が手に負えない場合のみ。多くはない」
「どうだかな。現に魔王襲撃は起こっている」
せせら笑う疾にもコクは動じない。周囲の3人は緊張の面差しでコクを見守っていた。
「魔王襲撃を凌いだとしても、次は必ず起こる。それが分かって言ってんのか?」
「無論。そして、対応が可能と判断」
「そこまで動けっつってんなら、ますます対価が足りねえぞ」
そっけなく言って、疾は腕を組む。コクは変わらずに続けた。
「直接的な助力への対価は、主の体調改善」
「……」
疾は目を細めた。ゆっくりと腕を解く。
「魔力回路の乱れとそれによる身体の負担。四方を守り地脈を整える一端を担う我らは、魔力回路も同様に整える。人間の治療道具以上のものを提供可能」
反論しようとした疾に頷いて見せてから、コクは続けた。
「直接に魔力を整えるのは、本契約が必要。但し仮契約でも応急処置は可能。水と木による浄化と治癒。応急処置なら、仮契約のまま有事以外でも可能」
「……なるほど。治してやるから動けというわけか」
小さく笑って皮肉を口にするも、疾は先ほどよりはコクの言葉に関心を向けていた。
「最後に、知識」
「……──」
目を細めた疾の気配が変わる。それに背筋を伸ばしながらも、コクは変わらぬ口調で続けた。
「魔王襲撃、土地神は祝福する」
「……街が滅びうるとしてもか?」
「危機、この街には必要」
流石に疾も眉を寄せた。この言い分は、流石に土地神の役割から逸脱している。
「全てへの祝福は、幸不幸いずれにも適応される」
「……変わった神というだけでなく、力もかなりのものだな」
「是」
「だが、封印しているはずじゃないのか」
「二柱いる」
「……は?」
聞き違いだと、思った。
しかし、同じ言葉が繰り返された。
「紅晴の土地神は、二柱いる」
「──」
「一柱は、説明した。通常はこちらのみが知られている」
あらゆるものを祝福する神がいるからこその特異点と、そう理解されてしまえばそれ以上は疑われない。だからこそ、これまで隠し通されてきた。
「もう一柱は──」
「──平和の象徴、麒麟か」
疾の口をついて出た言葉に、コクは無言で首肯する。
「……は、はは」
疾は、瞬きもせずにコクを見つめたまま、笑った。脳内で凄まじい勢いで思考が巡る。
「なるほど、なるほどな。四神が四方の守護獣なら、中央の守護は麒麟だ。四神が麒麟の眷属だというのも一説として存在する。そして麒麟は平和な世に顕現する神獣だ、裏返せば平和になれば麒麟は顕現してしまう」
思考に過去の観察と考察が、知識が噛み合い、歯車が回る。
「紅晴の術者が編み上げられる結界の限界値はどう計算しても一柱が限度、ましてや規格外の神と太古より存在する麒麟では一柱すら怪しい。だが二柱とも顕現させるわけにはいかない理由がなんであれ存在するとすれば──この街を、平和にしなければ良い」
歯車は回り、廻り、与えられた情報を巡らせて原点へと辿り着く。
「不完全な形で規格外の神を封印し、漏れ出る祝福のみでこの街は常に騒乱の中に在る。それにより、麒麟は顕現条件を満たさず眠り続ける──これが、紅晴の封印か」
たった一言。
たった一言、神獣がもたらした知識だけで、紅晴の根幹へと、辿り着いた。
「……是」
コクは、それを肯定する。
それを聞いて、疾は笑った。
「なるほど。これは、認識を改める必要がありそうだな」
これまで疾がこの街の術者へ向けていた評価は、決して高くはない。閉じられた世界で構築した物差しでしか物事を見て取れないが故に術者としての天井が初めから定まってしまっている、古びたどこにでもある日本の一土着術者。その程度だ。
今もその評価自体は変わらない。だが、その意味が異なってくる。
彼らが引きこもる閉じられた世界は、あまりにも特異で。特異点を特異点たらしめるためだけに、彼らの力は注がれ続けている。
あまりにも不安定で、歪で、正気の沙汰とは思えぬ封印を維持する、そのために。
「この封印の術式を作ったやつは、間違いなく頭がおかしいが──天才だな」
そう言って、疾は心の底から楽しそうに笑った。
(それでこそだ)
こんなものに出逢えるのであれば、全く、人生は退屈しない。
「良いだろう。対価としては十分だ。──要するに、騒乱を騒乱にしたまま、しかしこの街を魔王に滅ぼさせない。その匙加減の調整を俺にさせたいんだろ?」
「……是」
コクが頷いた。なるほど、これは魔女を選ぶまい。彼女は魔女としての理由を持って、この街の守護者の椅子に座っているだけなのだから。純粋に街の為に仕える彼らとは、根本で相容れない。
街の為ではなくとも、この繊細なバランスで辛うじて維持されている封印を気に入った疾の方が、余程の適任者だと言うわけだ。
「乗ってやるよ。今回は、な」
口元を裂くように笑う疾に、四神はほんの一瞬、息を詰めて動きをとめ。
「──御心のままに。我ら四神、主の元に付き従います」
セキの言葉と同時に、首を垂れた。




