200 魔王襲来
吉祥寺を離れた後、疾は四神がやいのやいのと言ってくるのをきっぱり無視して、本拠地で本格的に休養を入れた。気を付けていたつもりでも、四神との戦いでやはり魔力回路に負荷が掛かったらしく、微熱と気怠さを自覚する。
(マジでどうにかならねえのか、これ……)
医療者の手でも症状の緩和が手一杯となれば、ほとんど体質に近いものなのか、それとも異能のせいなのか。冥官は何か知っているようだが話す気もないとなれば、自力で答えを出せという意味なのだろうが──。
(まず、答えを出す時間をよこせ)
母親は暇だろうと言っていたが、流石に今の疾は暇じゃないと言っていいはずである。いや、言いたいことはわかるのだが、思考と違って身体は一度に一つの行動しか取れないのだ。実証実験を行うよりも体調管理と魔法士協会襲撃と鬼狩りと学生生活のスケジュール管理で手一杯になっているのは、別におかしくないはずだ。多分。
楓あたりが聞いたら「前提がおかしい」と断言する言い訳を内心に並べつつ、疾はゆっくりと目を閉じた。微熱のせいか、思考も微妙に散漫だ。医師から与えられた魔道具を弄る余裕もなく、微睡みに身を任せた。
『──じ。あるじ』
脳裏に声が響く。疾は眉を寄せて、寝返りを打つ。
『主、緊急事態です。返答をお願いします……!』
「…………」
ゆっくりと目を開けた疾は、琥珀の目を剣呑に据わらせていた。
「……なんだ」
低い低い声で独りごちるように返す。セイの声が響いた。
『紅晴に、魔王が襲撃しました』
「…………なるほど」
疾の目が更に据わる。ゆっくりと身を起こして、時計へと視線を投げかける。時刻は深夜を回ったところ、睡眠時間としては4、5時間と言ったところか。
「なあ、セイ」
『はい、ご指示を』
緊迫している声で指示を仰ぐのは結構だが、疾の今の気分はそれじゃない。
「……マジで、この街見捨てたいんだが」
『!?』
冥官に命じられた以上無理は無理なのだが。本気で、紅晴丸ごと見捨てでもしないと、疾の身が持たない。
『ああああ主!? そんな事おっしゃらずに……!?』
「うるせえ」
セキの半泣き声が頭に響く。一言で黙らせて、疾は深々とため息をついた。
「……とりあえず、そっちに合流する。まさかとは思うが、仮拠点から動いてねえよな?」
『はい。まずは指示を仰ぐべきかと』
「最低限の判断が出来るようで安心した。そのまま待機、状況を確認するから情報まとめてろ」
『承知』
返答を聞きながら、疾は手持ちの確認を開始した。
10分後。四神と合流した疾は、ハッキングした街中の画像を無言で見下ろす。
街中の道路を埋め尽くして蠢くのは、小さいものでも中型犬サイズ以上はある白い蟻の群れ。それらは街道のコンクリや塀に喰らいつき、あるいは阻もうとする術者に襲いかかっていた。
「……街を食う白蟻か。蟲の魔王といったところか?」
「白蟻の魔王と名乗っているようです」
セイが淡々と答えた。それを聞いた疾は、軽く肩をすくめた。
「まんまだな。で、この街をピンポイントで狙う理由はなんだ? この規模なら一都市だけ狙う理由ねえだろ」
「不明です」
「ふーん……特殊な地脈狙い、封印狙い……いくらなんでも魔王が狙うほどじゃねえか。存外私怨だったりしてな」
私怨だろうがなんだろうが、目的ついでにこの街は滅ぼされることになるだろう。それが魔王というものだ。
「現状は善戦しているようですが、東方で暴れている幹部には手をこまねいているようです」
「それ以前に、あれだろ」
画面に映る上空の飛行艇を指し示し、疾は肩をすくめた。
「軽い分析乗せただけで、阿呆みたいな数の魔法陣と馬鹿げた魔力反応。制空権握られてからひっくり返せる戦力は街にはねえだろ」
「……」
「ああ……いや、魔法士協会の管理者に縋るっつう手はあるか」
ノワールの顔を思い浮かべつつ疾は小さく笑う。魔王と正面切って戦いかねないあの男、つくづく人間をやめているとしか言いようがない。
「それは、おそらくないかと」
「あ?」
「紅晴が連盟と協会、いずれとも距離を置いているのはご存知ですか?」
「……あー、魔女がそんなこと言ってたな」
連盟については触れていなかったが、協会については明確な線引きをしているようだった。客としては扱っているようだが、こういう事態で頼って、庇護下におかれる気はないということか。
「なら無理じゃねえの。外部の手を借りて一か八かだが、手が来る前に潰される確率の方が高いだろ」
あっさりと言い切った疾の前に、セイが跪いた。
「お力を、お貸しください」
「……」
疾は眉を寄せる。冥官から見捨てることは禁止されているものの、明確な手助けをするかどうかの判断は委ねられている。ここで手を貸さずに傍観していたとしても命令違反にはならない。もし仮に土地が残った場合を想定すると、鬼狩りとしての職務という点ではかなり際どいが、街が消えれば物理的に職務もなくなる。
「……メリットがねえな」
「我らも助力致します」
「いらねえ。機を見て本契約を提案するな、鬱陶しい」
はあ、と溜息をついて、疾は一人がけのソファに深く腰かけ直した。画面を手早く切りかえていくと、曰くの「幹部」が見つかる。
「……脳筋くさいなこいつ」
「はあ……」
セイが返答に困ったような一音を出す。戦い方を見た率直な感想に、そこまで律儀に応じる必要もないのだが。
「じわじわ押されてるし、そろそろ死者出るかもな」
疾がそう言った途端、白蟻が急に巨大化し、本人のふるう武器の威力が跳ね上がるのが映る。あっという間に吹き飛ばされる術者を人ごとのように眺める疾に、ハクが焦れたように口を挟んだ。
「主、助力を──」
「主じゃねえし、しねえよ」
そう言って軽く笑う疾の顔からは、何も表情が読み取れない。もどかしげに顔を歪めるハクを横目に、セイは言葉を重ねた。
「術者たちの命も勿論ですが、この街の封印が破壊されかねない場合は、我々はその前にこの街を滅ぼす義務があります」
「へえ……ま、神らしいといえばらしいな」
軽い相槌に、セイは唇を噛んだ。それを横目に見て、疾は鼻で笑う。
「この街が消えるとなれば俺は動くかも、と? 別にもう必要ねえよ」
「……」
「仕事のせいで離れられないっつうのが一番の理由だしな」
異世界渡航で魔力を増やす作業は、そろそろ頭打ちだ。おそらくこれ以上の増幅は疾のキャパシティを超え、増えた器がそのまま疾の体を傷つけることになるだろう。今でもかなりギリギリだ。今紅晴を離れても、本拠点を移動させる以外の意味はほとんど持たない。
「そこまでして惜しむ土地じゃねえんだよ、俺にとっては。残念だったな」
茶化すようにそういうと、セイが何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「──お」
と、その時幹部に潰されかけていた戦況が変わる。一人の少女が戦場に乱入し、押されていた術者たちが一気に立て直した。
「誰だこれ」
疾がこれまで見たこともなく、また四家の資料にもなかった少女だ。妹とほとんど変わらない年恰好だが、直刀を振るいながら術を単詠唱で放つ姿は、単独での対妖戦には慣れているようだ。
「彼女は……もともと、門崎の出です。諸事情あり、今は門崎の名を名乗ってはいませんが」
「それで資料にないのか……ま、時間稼ぎにはなりそうだが──」
疾の言葉が途切れる。目に映すのは、戦闘が行われていない区域だ。
「──外部の術者が介入しているのか?」
「えっ?」
セキが驚き声を上げている。知らなかったらしい。この拠点が魔術的に空間隔離されているため、疾も外の状況は端末越しでしか把握できない。改めて端末を操作し、情報をかき集めていく。
「街の片隅にいた余所者術者が、道路の整備と街の人間の避難を買って出てるのか。後々大変そうだな、のちがあればの話だが」
ガラの悪そうな顔を見て疾は軽く苦笑を漏らす。いかにもヤクザという風体だが、術者としての腕は悪くない。これは、のちの請求額は愉快なことになりそうである。お気の毒な。
少し興味は湧いたが、それだけだ。紅晴が消えてから調査しても楽しそうなので覚えてはおく。
「……主、」
「主じゃねえよ、しつこい。動かねえぞ俺は」
魔女は何度か疾との接触を試みているようだが、知ったこっちゃない。市街戦かつ掃討戦なんぞ、魔力の少ない疾には鬼門である。特に今は体調も悪く、長期戦をできるコンディションではない。
「せめて、上空だけでも」
「くどい。それは結果として街の守護に大きく貢献するだろうが。その後の面倒を考えたら俺にメリットはかけらも無い」
自分のために他者を切り捨てることを躊躇える程、疾が立つ戦場は生やさしいものではない。四神との仮契約があるからこそ──今回一度限りの気まぐれとして手出しできないからこそ、疾は動かないし、動けない。
(それをわかってんのかね、こいつらは)
内心が伝わらないよう独りごちながら、疾は言葉を結んだ。
「ここで街が潰れるなら、それがこの街の運命だろ。足掻きたきゃ今からでも適任者探して力貸してやれ、俺はここから動かん」




