199 四家
翌日。
案の定魔女から連絡が来た。
内容は書かれていないが、聞くまでもないし言うまでもない。少し意外だったのは、瑠依と竜胆まで呼び出しの対象になっていたことか。
(めんどくさ……)
二重の意味で、疾はうんざりと溜息をついた。文面は最大限の配慮が透けて見える上に迎えまでよこしてくるらしいが、事実上の召集状である。予想通りといえば予想通りだが、面倒臭いことには変わりがない。
とはいえ疾の方針はもう決まっている。さっさと話を済ませてしまえと、連絡を入れて呼び出された場所へ出ていく。案の定竜胆に引きずられて現れた瑠依は、心底嫌そうな顔をしていた。こればかりは同意見だが、それはそれでなんとなく腹立たしい。
「で、今度は何事なの?」
「そりゃまあ、これだけ大事やらかせば当然かかるだろう呼び出し、ってやつだな」
そう言って薄く笑う疾に、瑠依が顔を引き攣らせる。失礼な奴だ。
「血筋と伝統だけに胡座をかき、本来自分達が成すべき仕事を放置し続けたツケをよーやく払ったってだけなんだがなぁ。てめえらの怠惰を棚上げにする為に丁度良い部外者が現れたってトコか」
「……口の悪い子どもだね」
還暦を過ぎたあたりの老女が疾達の元へと歩み寄ってきた。しかめ面で疾を見ているが、敵意はない。
「事実を言う事を口が悪いというなら幾らでも言えばいいんじゃねえの。目を逸らしていたいなら好きにしろ」
「……成る程ね。悪いのは口じゃなくて性格かい」
一度ため息をついてから、その老女は姿勢を正した。
「鬼狩りの方達だね。私は玖上栞、『嘉上』の分家当主だよ」
「分家が使いに出る程度の下っ端扱いってか?」
「まあ、身分上は妥当……と上々は思ってるみたいだけどね。私を指名した本人は、「とにかくどんなに煽られても冷静に案内出来る人が良いから」って私に懇願してきたよ。お前さん、どれだけ術者相手に喧嘩を売りまくってきたんだい」
魔女直々のご指名らしい。集合場所で揉めて呼び出しを放棄されては敵わないと言ったところだろうか。鼻で笑って返す。
「喧嘩を売ってきたのはあっちだぜ? 手を出した方が悪い」
「手を出させるまで挑発したのはお前さんだろうに……まったく……こんな年増にこんな若造の相手をさせるなんてね」
ぼやきながらも、玖上と名乗ったその老女は踵を返して背を見せた。
「とりあえず、本家のお歴々がお待ちだよ。……出来れば戦わずに決着を付けてあげてくれ。年寄り連中に挟まれたあの子が気の毒だ」
「中途半端に流されてる奴に遠慮が要るか?」
「……あの子も、複雑な心境を割り切れずにいるんだよ。お前さんが知らないだけで、この紅晴市の闇は深いんだ」
(闇、ね)
その闇が、四神すらも語らなかった裏事情というわけだ。結局は人間同士の諍いかと、疾は白けた気分で後を追った。
***
「……で、これどこ行くの?」
馬鹿が安定の鈍さを発揮して竜胆に頭を抱えさせる。玖上が笑うでもなく答えた。
「そこの坊やが昨夜しでかしたことは、既にこの街中の術者が知っているんだよ」
「……げ」
「当然、本家の方々からすれば、聞きたいことは山とあるわけだ。直ぐにでも引っ立てて尋問しろ、と猛り狂う年寄り衆を何とか宥め、場を整え、こうして招待という形にまで持ち込んだのは、あの子の手腕だね。……お前さん、あの『魔女』に一体何をそこまでしたんだい?」
何をというが、魔術師としてごく当然の交渉決裂に至った程度だ。鼻で笑って一蹴する。
「えーと、玖上、さんでしたっけ」
「そうだよ」
「その、『魔女』ってのは何ですか? 確か日本の術者は、魔術や魔女術を毛嫌いしていたっつう話を聞いてたんですけど」
「……そんな事を言っていられないくらいには、『吉祥寺』も追い詰められてしまったんだろうね。皮肉な話だし、同情の余地もあまりないけどね」
「はあ……?」
竜胆の問いかけにもきちんと答えるあたり、玖上は比較的理性的な方だろう。主家は嘉上とはいえ、今紅晴の総元締め役を果たしているであろう吉祥寺に対して随分と遠慮のない発言だ。つい笑って、一言添える。
「現実が見えてるのが1人でも犠牲者になってくれて幸いだな」
事実上、この街は魔女が一人で支えてるようなものだろう。疾だったらとっくに見捨てているが、魔女にしてはお優しい彼女にはできなかったと言ったところか。そう含ませて言った言葉を、果たして玖上は否定しなかった。
「いやな言い方をするねえ。まったく、よりにもよって守護獣の皆様も、せめてもう少し美しい心持ちの人間を選んでくれれば。見た目なんかよりよっぽどありがたいんだがね……さて、着いたよ」
そう言って振り返った玖上の背後にあるのは、年季を感じさせる構えの木製の大きな門。やたらと広く敷地を取られているが、様式としては比較的ありふれた寺院のそれ。
「北の地を守る四家が一、『吉祥寺』の総本山さ。一応、四家の中でも発言権が最も強いこの家の御当主様が、お前さん達の招待者だよ」
途端に踵を返そうとした瑠依の首根っこを、竜胆が引っ掴んだ。
***
術者が勢揃いする畳の広間に案内された疾は、薄く笑いを浮かべたまま、あえてゆっくりと視線を広間全体に渡らせた。
(やれやれ)
遠慮なく向けられている視線を受け止める。視線ににじむほとんどは敵意だが、一部は戸惑いや警戒も混ざっているか。それでも、鈍い。
(ここで俺が魔道具一つ放り込んだら、8割は全滅だな)
まあ魔法士の連中でも、視線がよそを向いていれば8割は軽いが。これだけ注目しておいて身構えていないのは、呑気ですらある。いや、むしろ竜胆に視線が向いているあたり、妖への警戒が優っているのか。
「よく参ったな」
わざわざ一段高く作られた上座から声がかかる。視線を向けると、声の主はまっすぐに俺を睨みつけていた。一段下で控えている魔女は頭痛を堪えるような顔をしているが、何も言わない。
(くっだんねえ)
疾は鼻で笑い、言霊まで込めての威嚇を無視して踏み出した。用意されていた座布団に腰を下ろす。胡座をかき、少し顎を持ち上げて上座の人々を見返した。
挑発じみたその行動に、部屋の気配が一層剣呑なものになる。心地よさすら感じるそれを全身に浴びつつ笑顔で返してやっている間に、竜胆が瑠依を引きずって入ってきた。瑠依を放り投げてから、こちらは律儀にも正座している。それでも敵意は竜胆の方により濃く向けられているのだから笑えてくる。尚、契約者である瑠依は、竜胆へ向けられたそれに一切気づいていない様子で、モタモタと正座をしていた。
「…………礼儀も知らぬ若造共が」
どこぞの老人が寝言を抜かすのを聞いて、疾は予定通りに口を開く。
「で? わざわざこんな場に呼びだしておいて礼の一つもねえ無礼者共が、一体俺らに何の用だ? 依頼か?」
隠しようもなくこちらへと圧をかけていた連中は、仕返しされるとは夢にも思っていなかったらしい。一瞬絶句したように場が沈黙したが、すぐに沸き立つ。
「この……っ」
声を上げかける者がちらほらと出る。上座の連中も殆どが苛立ちを浮かべているのを見て、疾はゆっくりと笑みを深める。
「呼びつけたのはそっちだろうが。鬼狩りを指名の仕事か? よもやと思うが──」
そこで言葉を切って、疾はこの場に来て初めて、敵意を向け返した。
「──四家の当主も適わなかった、守護獣を従える人間に対して、『呼びつけて足を運ばせる』事が当然だとでも思っているんじゃなかろうな」
場が、凍る。
(ど阿呆どもが)
本当に、思い上がっているにも程がある。仮契約だと知らない彼らにとって、疾は四神の主だ。四家の当主ですら得られないその加護を与えられた人間を、外部の魔術師だというだけで下に見ているのだから救いようがない。
そもそも──彼我の実力差すら見分けがつかないような未熟者どもが、疾を見下ろしてくるなど片腹痛い。
気当てだけで怖気つく術者達を見かねたのか、ようやく上座から声が出る。
「……よくぞお越しくださいました、と。挨拶の一つも欠かしてしまい、申し訳ありません。何分我等も、此度のことでは少なからず混乱しております故」
そう言って丁寧に頭を下げるのは、今日は和服をまとう魔女だ。上座から一段下がっているのは、次期当主だからか。
「似合わない殊勝さじゃねえか、魔女。立場を弁えてるというわけでもないんだろう?」
「……君のように、いつでもどこでも場を読まない慮外者じゃないだけだよ。本当に、とんでもない事件を起こしてくれたものだ」
八つ当たりのように詰りを口にしてから、魔女は一度竜胆と瑠依へ向き直った。
「突然このような場に招いて申し訳ない。私は『吉祥寺』次期当主、眞琴という者。彼とは少し縁があるけれど……正直、君達には同情するよ」
挨拶をされると思っていなかったのか──招かれたのだから当然なのだが──竜胆と瑠依が顔を見合わせ、竜胆が口を開く。
「鬼狩りの竜胆です。こっちは俺の契約者の瑠依。……今回は、彼の契約についてが議題でしょうが、俺達まで呼ばれた理由とは何でしょう?」
竜胆の丁寧な口調に魔女が表情を少し緩める。が、疾はその上座の男が顔を顰めるのを見た。
「……意見は分かれましたが、契約の場に居合わせたという点、鬼狩り側としての立ち位置を確認する点、我々の話し合いを見届けていただきたいという点から、申し訳ないけれど呼ばせてもらったよ」
「眞琴、半妖如きにそんな気遣いはいらん」
案の定、その男が割って入ってきた。先ほどの玖上と同じかそれ以上の年恰好の男は、侮蔑の色を隠しもせずに竜胆を睨みつける。
「我等とて、ヒトならざるものをこの場に招くのは本意ではない。とっととすませて退散願おう……契約さえなければ、滅したものを」
「そりゃ災難でしたね」
竜胆が口調を乱す。元々気位の高く気性の荒い種族だとは聞いていたが、自身が認めない相手には案外露骨に態度を変えるらしい。冷ややかな気配が隣から流れてくる。
このまま暴れても面白そうだな、と疾が思ったのを察したのかは分からないが、魔女が咳払いをした。
「……本題に入ろう。昨夜、守護獣が全て、君と契約を交わした。これは事実なんだね?」
「まあ、そうだな」
「守護獣は本来、四家の現当主とそれぞれ契約を交わす。そしてこの地の護りに手を貸してくれる。それを知っていてのことかな」
「言葉は正確に使えよ、魔女。契約を交わすに値すると判断した四神だけが、その力を貸すんだろ?」
「……。知っていて交わした、と」
「そういうことになるな」
魔女が唇を引き結んだ。四神の意図は明白だし、疾がそれを知った上で便乗したとでも思ったのだろう。瑠依がもの言いたげな顔をしているが、気づく余裕すらも無いらしい。
(馬鹿なやつ)
見捨てられないのに覚悟はない。それでも、選ばれなかったことに思うところはあるらしい。
「……何故? 君は、この土地には大した関心も縁もないんだろ? わざわざ現当主を差し置いてまで、土地の守護に乗り出そうなんて心境になるわけがない」
だからこそ食い下がったのだろうその言葉に、上座にいる男の一人が口を挟んだ。
「待て、吉祥寺。それは、吉祥寺としてこの者に街の護りを任せるつもりがある、という意味かね?」
場がこれまでで一番ざわついた。驚愕、反感、戸惑いの気配が波打つように広がっていく。
(…………おい)
もしかしたらとは想定していたが、その中でも一番馬鹿馬鹿しいものが当たってしまった。げんなりした気分で、疾は吐き捨てる。
「あほくさ」
ざわつきが、水を打ったように静まり返る。意識という意識が疾に集まるのを感じながら、疾は隠さず嘲笑した。
「てめえらの意見も統一せずにこの俺を呼びやがったのか、暇人が。客を招く最小限の礼儀を勉強し直してから出直してこい、老害の役立たず共」
人を呼び出すなら最低限方針くらい固めるのが常識だろう。ゆうに半日以上が経過してから呼び出しておいて目の前で話し合いを始めようとは、時間の概念が疾と根本的に違うお歴々のようだ。付き合わされる方はたまったもんじゃない。
「貴様!」
「何だ事実だろ? てめえらが守護獣に認められなかったのも、唯一認められたのが四家に連なる一族ではない、部外者の人間だったのも。その人間をどう扱うか一つ意見を統一出来ない指導力のなさも、今更じゃねえかよ」
「このっ」
「事実を言われて粋がることしか出来ねえとは、チンピラ並みだな。てめえら全員、そのご立派な座布団を捨てて路地の喧嘩から始めたらどうだ? 精々ヤクザに目を付けられる程度にはなれるだろうよ」
「言わせておけば……!」
易々と挑発に乗ってくる馬鹿どもを煽りに煽って遊んでいたが、流石にこのまま交渉決裂にさせるほど上層部は馬鹿じゃなかったらしい。
『──鎮まれ』
言霊一つで場を沈めたのは、魔女の隣に座る少年だった。中学生くらいの姿格好だが、魔力量とその練度は術者達の中でも頭一つ抜けている。
「……契約者殿。我等の体たらくにも問題がありますが、余り挑発なさりますな。我等もまた、この街の守りに誇りがあります」
そう言って少し目をすがめた少年の瞳に、青い光が過ぎる。ほんの少し力をこぼしただけで目の色が変わるほどの異能持ち──今代よりも次代の方が、マシな人材が揃っているらしい。
その少年が場をとりなすように選んだ言葉を、疾は口の中で繰り返した。
「誇り、ねえ……」
なるほど、それは疾に根本的に欠けるものである。生き延びるために、魔法士協会総帥を潰すために不要と判断したそれを、目の前の少年が大事にしているという。
(結構なことだ)
本当に、四神は彼らの何が不満なのか。少し危機感を煽れば、いくらでも操れそうなものを。何故よりによって、他人のことなどどうでも良い疾を巻き込もうとしたのだろうか。
疾は立ち上がった。
「契約者殿?」
「なら問題ないな。てめえらはこれまで通り街の守護を、俺達は鬼狩りを。これまで通り無関係の住み分けを徹底すりゃいいってわけだ、簡単だな」
さっさと話をまとめて帰ろうとした疾に、ついに怒声が浴びせられた。
「ふざけるな!」
「四神様を従えておいて、守護が関係ないと抜かすか!」
「無責任な!」
「……うわ、めんどくせ」
「竜胆……まさかおかんに先超されるとは……」
竜胆がゲンナリと呟き、瑠依までうんざりした声を隠さずに漏らした。竜胆はともかく瑠依に言われるとは、本当に終わった連中である。
(やれやれ)
こんなののお守りなど、こちらから願い下げだ。
「──部外者に護りは任せられないと言ったその口で、守護獣を従えるなら守れと。その矛盾の根本にあるのが誇りだというなら、そんなものは火にでもくべてしまえ」
場の空気が固まった。ほんの少しだけ意識を切り替えて語る疾に、誰もが息を潜めて耳を澄ませている。
「四家に求められているのは、なにがなんでもこの街を守る、それだけだろうが。たったそれだけがこれほど難しくなっている理由の一つに、そのくだらない誇りとやらがあるというのを、いい加減に自覚しろ。俺のような部外者に無闇に絡んでいる暇があれば、今後この街を襲う危機に備えれば良いだけだろう?」
座布団を蹴り上げ、無造作に引きちぎる。綿の溢れたそれを投げ捨て、今度こそ疾は畳を踏みしめて歩き出した。
「地べた這いずり回ってでも守り抜けよ、それがここにいる人間共の役目だろう。目的のために手段を選んでいるようじゃ、何一つ手に入らず失うだけだ」
少しだけ感情が滲んでしまったあたり、己もまだ未熟か。そう思いながら動けぬ術者達の間を通り抜けて歩き去る疾を、やかましい声が追いかけてきた。
「待てい! このまま1人で帰るとかさせるか! このまま置いてって後の話し合いをおかんと俺に任せようったってそうはいかないんだぞ! 俺も帰るわばか!」
「馬鹿に馬鹿と言われるとは、世も末だな」
「酷い言われよう!」
「そういや補習の日程出てたな、毎日放課後埋め尽くされてご苦労なこった」
「思い出させるなよぉおおお」
「…………ホント、ある意味とんでもねえ大物だよなあ……」
竜胆の呟きは、あえて聞き流した。




