194 人対四神
疾の体調はまだ回復しきっていない。医師から与えられた制限は妥当なものだし、ついでのように指摘された問題点も尤もである。そうは言っても相手と状況が悪いとは思うものの、疾とてそのままをよしとする気はない。
そもそも四神相手に真っ向から魔術で勝負をするなど自滅行為だ。上級魔術でもなければ通用しないが、魔力消費が馬鹿げている。異能と魔道具を併用しての戦闘こそが疾の要、魔術はある意味目眩しでしかないのだ。その条件下で四神を相手にするとなれば、取る手は一つ。
目の前に火力があるのだから、そっくりそのまま利用してしまえばいい。
弾丸のように飛んでくる火弾を縫うように地面を蹴って避ける。足元はすでに泥でぬかるんでいるが、靴裏に張り付けた障壁を多重展開して足場を確保する。
蔦がうねるようにして疾へ迫る。体を捩り、飛来した火弾を着弾させた。そのまま高々と飛ぶと、背後から迫っていた風刃が焦げた蔦を切り裂き、火弾と衝突して相殺された。
(四神と名が付くならって思ったが、いっそ間抜けじゃねえの?)
内心で嘲笑いつつ、疾は水流を避けた。五行のうち四要素が同時に襲いかかってくるなど、よほどうまく連携しなければ互いが互いの足を引っ張るばかりである。そして、連携を崩すことなら疾の独壇場だ。これまで最大3桁の魔法士魔術師を相手に連携を崩して自壊させてきた疾にとって、たった四体、人間と同程度の知力を騙すことなどお手のものだった。
異能の銃弾を避けた朱雀の死角を縫って宙を跳ぶ。身体強化の限界値を知らない朱雀が反応するより先、玄武へ向けて蹴り落とした。火と水、相性の悪い同士で地に沈む。
『よくも!』
二体を見て猛り立つ青龍が突っ込んでくる勢いを活かして回転し、青龍の頭上へと着地する。手早く二つの魔法陣を構築し、展開する。
バチバチと青龍の目の前に火花を散らす。
『無駄だ──』
「俺如きの魔術は通用しない、か? 知ってるさ、火力不足くらい。けどな?」
威力は通常の妖には充分、だが神獣には無意味なレベルだ。当然相手はこちらの火力不足を侮り防御も怠る。その隙をついて、もう一つの魔法陣を手のひらに握りしめ、疾は青龍の牙へと手を伸ばした。
鈍い衝撃と共に牙が折れる。疾は勢いのまま、首の鱗の薄い部分目がけ、深々と牙を突き刺した。同時に魔道具で重力を局所的に跳ね上げて地面へ墜とす。
「──隙を作るのには十二分に作用する。そして隙があれば、仕留められんだよ」
そう嘲笑いながら、青龍を地面に縫いつけたままに玄武へと駆け寄る。朱雀と青龍の回復を開始していた玄武は、動けない。足場はぬかるんでいるが、この程度では疾の障害たり得ない……とはいまだ判断されていなかったらしい。甘いと、疾は笑う。
「知恵の獣が泣かせるな?」
攻撃を避ける勢いものせて甲羅を打ち抜きひっくり返す。神獣といえど亀の構造だ、四肢がばたつき視界が狭くなった玄武に、雷の属性を乗せた魔力弾を打ち込む。圧縮した魔力弾は腹部の甲羅を貫き、属性相性も上乗せして麻痺効果を生む。
『玄武!?』
「痺れちゃ回復の力も使えねーよな」
悲鳴の様な声が背後から。
疾は振り向きざまにまっすぐ突っ込んできていた白虎の四肢を撃ち抜き、地に沈ませる。そのまま玄武の力で少しは回復していたらしい青龍と朱雀へと身を翻し、準備していた魔術で動きを防御を妨げながら、急所を的確に撃ち抜いてダメージを蓄積させていく。
やがて、攻撃を防ぎきれずに傷だらけになった朱雀と青龍が地面に沈み、四神全てが動けなくなった。
「チェックメイト」
連携の要になっていた朱雀の眉間に、疾は異能を込めた銃口を突きつけた。
「見たトコ、てめーがリーダーだろ。仲間ごと道連れにくたばるか、大人しく引き下がってせせこましくこれまで通り四方を守るか。選べ」
ここで四方の守護を司る神獣が無駄に命を散らせる判断をするはずがない。何に今更危機感を感じたのかは知らないが、敵対者は叩き潰すが無闇に殺す気もない、という意思表示だけで十分のはずだ。
「俺としてはどっちでも良いが、流石に守護神殺しは色々目を付けられそうだしな。何も無かった事にして失せるってなら、大人しく見送るぜ? なかなか楽しめたしな」
四神の抵抗を丁寧に削り弱らせていった疾だが、自らの動き一つ間違えれば命にすら関わる大怪我を負う戦いだった。医者からすれば、少し前に危うく死にかけた身で行う戦闘じゃないと言うだろうし、言われるのが分かってるので伝える気はない。
(楽しかった)
何せ、こんなにも胸踊る戦いを禁じられてしまっては困る。これほど楽しめたのは、ノワールとの戦闘以来だ。
そんな気持ちがつい笑みとして滲みかけたのに気づき、疾は気を取り直して相手の出方を伺う。
「で、どーすんだ」
黙って引き下がれば御の字、抵抗を見せるようなら……と疾が油断なく観察の眼差しを向ける先、朱雀がゆっくりと顔を上げた。
『……やはり』
「あ?」
『やはり、貴方こそが我々の主に、相応しい御方です』
「はぁあ?」
なんだ、それは。
(頭おかしいんじゃないのか……?)
直前まで危険人物扱いで殺気を向けてきた相手に向かって何をほざいているのか。どうまともに判断しても寝首を掻く作戦だが、それすら露骨すぎて騙される馬鹿がそうそういるとは思いたくない。というよりも、そんな馬鹿だと思われているのなら大変心外であり、その一点だけでもぶちのめしたいくらい腹立たしい。
さらに、あらゆる意味でこの申し出は、疾にとってあり得ない選択肢である。
目を眇めて朱雀を見下ろした疾は、思わず声を上げてしまった間に巡った思考と込み上げた感情そのままに、吐き捨てた。
「阿呆か、おとといきやがれ」
『ええ!?』
……ここで衝撃を受けたような反応が返ってくることの方がよほど意味不明なのだが、とりあえず疾はそもそもの問題点のうち一つ目を指摘する。
「てめえらは四方の守護獣……どーせ十中八九、あの「四家」どもの守護神扱いなんだろ。部外者相手に何ほざいてる。あの無駄にプライドが高い連中が聞いたら泣いて喜ぶぜ。主だかなんだか知らんが、とっととあいつ等のとこ行ってこい」
この街に存在する四方の守護を司る神獣、四方を守るように位置し街の守護を司る家。両者無関係なわけがなく、順当に考えて家の守護神としての側面を持つはずだ。完全な部外者である疾が契約相手として選択肢に出てくるのがおかしい。
そう思ったのだが、疾の予想を裏切り、朱雀はどこか癇に障ったように叫んだ。
『それは我々が選ぶものです!』
「あ?」
『代々四家の当主を主と定め、契約するか否かは、我々がそれぞれの目で見極めております』
割って入ってきたのは誰だと疾が視線を滑らせると、青龍が朱雀の横に並ぶ。
『その為、全員が契約している代もあれば、誰かは契約していても誰かは契約していないという代もあります』
疾は思わず口元が歪んだ。その説明が示す意味は、実にシンプルである。
「……で、今代は誰も契約してねえ……誰も契約に値しないと見極めた、ってか?」
『その通りで御座います』
(なるほど?)
「はははっ!」
疾は耐えきれずに吹き出した。
「ははっ、ははははっ! そーかよ、くくく……っ。こいつは傑作だ」
しばらく笑いの波が引かなかったが、無理やりおさめて結論を口にする。
「選ばれた血筋でございってお高くとまった面構えしておいて、てめえらは肝心要の守護獣から見捨てられたって訳か。ははっ、滑稽な話じゃねえか、なぁ?」
守護のためにと一時は疾を不審者扱いし、必要があれば無関係なものだろうと記憶を消してかまわないなどと、なんら疑問も挟まずに傲慢な振る舞いをしていた連中は、その実その価値を認められていなかったというわけである。こんな皮肉な話もそうあるまい。
『……見捨ててはおりませぬ。あくまで我々が守護するは各々の家と土地。ただ、契約という形で我々が自ら力を貸す相手は、我々の意志で決める。これは、古来より定められた我々の役割に御座います』
「同じだろ。それも、よりにもよって余所者に力を貸そうって訳だからな」
疾は口元を吊り上げる。部外者である疾を選んだと言うことは、この街の術者たちだけでは街の守護を成し得ないと見做されたという無言の意思表示だ。それがどれだけ、守護を命題として掲げる連中にとっての屈辱なのか、四神も理解していないわけではあるまい。それでも必要だと判断したという事。
『……契約を、結んでいただけませんか? 少なからずお役に立てるかと』
だからこその力試し、だからこそこの低姿勢に示される懇願だ。
だが。
「要らん。何度も言わせるな」
疾にとって、神獣との契約など、ありとあらゆる意味で不要なものである。
『そんなっ!』
悲痛な声を上げて、朱雀が疾へと縋らんばかりに声を上げた。
『我々をお一人で下すお力はもとより、この街の特異性を理解なさっている貴方様は、誰よりも我々の主に相応しいのに……!』
(相応しい、ね)
良くもまあ、そんなことを抜かせるものだ。疾はそこで、少しだけ意識を切り替えた。
「──そもそも、だ」
びくりと朱雀の体が震える。やましさを抱える反応に、疾は冷たく笑う。
「何故、俺と契約を結びたがる? その特異性を理解している人間を、何の為に「守護獣との契約」という形で縛り、利用しようとしている」
『利用などと!』
「契約を結ばない代もあって、それでもこの街は存続してきた。にも関わらず、何故今、この代では、部外者に頭を下げてまでてめえらが契約したがる。それも、俺が来て直ぐではなく、1年以上経った今、俺に接触したのはどういう意図だ」
『……』
「契約がてめえらの役割だってなら、街を守護するという役割に沿って、俺に何らかの利用価値があるって事だろうが」
人外との契約は、あくまで上下関係を持つものだ。あるじと朱雀も言ったが、そこにあるのは力を元にした絶対の主従関係。
人が上で、人外が下。
それが理として正しいのかどうかはともかく。その関係性を利用して、街の術者たちだけでは対応しきれないなんらかの問題に疾を巻き込もうというその姿勢が気に食わない。助けてくれと懇願するのではなく、どうか利用されてくれと言われて、はいわかりましたと応じると思っているのならば驕るにも程がある。
神様だから人を見下していても仕方がない──そんな真っ当な感性は、堕ち神と相対させられた時に捨て去った。
何も言わない四神達を鼻で笑い、疾は踵を返す。
「この街に愛着も執着もねえ俺が、こんな見え見えの罠に引っかかるかよ。てめえら従えて街の守護でございなんて物好きも、探せば1人や2人見つかるだろうよ。他当たれ他、俺は興味ねえ」
はっきりと断りの言葉を、異能すら滲ませて口にした。ひとまずこれで対応としては十分、あとは今後も付き纏われないよう各方面に釘を刺しておくべきか。内心で今後の段取りを組み上げつつ、疾は結界を張って縮こまっていたらしい瑠依達に声をかけた。
「行くぞ。さっさと情報集めしないと夜が明ける」
大変楽しかったのは確かだが、そもそもの目的にはあまり役に立たない戦いだ。しかもつまらない申し出でせっかくの楽しさも半減したというものである。もう後はさっさと魔女を脅して聞き出して報告丸投げで帰ってしまえという気分の疾に、瑠依と竜胆はなんとも言えない顔を返してきた。
「誰のせいだったんですかねぇ……」
「……まぁ、無難に纏まって良かったな」
瑠依が恨めしげに呟き、竜胆が苦笑気味に労ってきた。前者がこの流れを全く理解できていないのは想定内だ。竜胆も呆れた顔で「あとでな」と呟いただけである。竜胆が理解できているならどうにでもするだろう、と疾も深くは気にしない。
『お待ちください!』
『どうかお話しを……』
歩き出した疾の背中に制止の声がかかったが、相手にする理由もない。とはいえ拒絶する為だけに神獣を殺すのは流石に道理に合わないので、無視してこの場を去るのが最適解だろう。
その判断が、過ちだったとは後の疾でさえ思わないし、他に選択肢があったわけでもない。
──だから、この後起きたことは、おそらく避けようがなかった。




