190 命懸けの世界渡航
疾の魔力量は、増えた今でもさほど多くはない。魔術師としても真ん中よりやや上程度、魔法士の足元にも及ばない。そして、いうまでもなく異世界転移は膨大な魔力量を担保にする魔術であり、魔法士でも下級では補助具を必要にする程である。
それを父親の教えをもとに研究し、疾単独であれば余程転移しづらい世界でなければ問題なく扱えるようにした。だが、3人同時となれば話は別だ。疾が用いる理論との相性──世界間の情報誤差の修正を魔力ではなく魔術で補う──が悪いことも加わり、必要魔力量は跳ね上がる。
その上、対象の一人は瑠依だ。息をするようにジャミングで魔術の妨害をする馬鹿ごと転移となると、どれほど疾に負荷がかかるか未知数である。魔力欠乏を補う魔石はまだ残りがあるが、世界の不具合を相手にしてなんとかなるだろうなど楽観はしていない。
いまだに疾の頭の中では二人を置き去りにする選択肢が強く主張している。ここに着いた経緯も経緯なので捨てていくのはかなり魅力なのだが、下手に騒がれると「疾の協力者」として瑠依が認識されそうでとても嫌だ。同じ鬼狩りという同類項で括られてしまう時点で屈辱だというのに、協会にまでそういう認識にされるのはものすごく嫌だ。
というわけで、証人もいない今のうちに影も形もなかったことにして、今回の件は有耶無耶になるよう情報操作をする必要がある。
何より──不可能を可能にする挑戦に、心躍ってしまったのだから仕方がない。
展開した魔力で魔力文字を綴って操る。複雑な軌跡を描かせながら、3人を囲むように立体魔法陣を作り上げた。出し惜しみはせず、残りの手持ち魔石を全て注ぎ込んで魔術を編んでいく。
「何これ!?」
「何って、複数人の異世界転移だぞ。これくらいの魔法陣は必須だボケ」
「は!?」
驚愕の眼差しに、やっぱり気づいていなかったらしいと疾はうんざりする。鬼狩りの神力は確かに応用性に欠けるが、そこは呪術師として場の魔力の違いくらい感じ取っておけと言いたい。言うだけ無駄だが。
「……ここは異世界だ。言葉も文化もまるで異なる、次元の違う地。置いて行かれたくなきゃ動くなよ、俺にとっちゃ割と賭けに近いんだからな」
「え?」
竜胆が戸惑い声を上げる。その反応は疾を過大評価しているのか、それとも魔術の知識が不足しているのか、どっちだ。疾は軽く肩をすくめた。
「世界の壁を越える作業は繊細なんだよ、黙って見てろ。てめえらにゃ一生かけても出来ねえ芸当だ」
なんにせよ、瑠依が余計なことをしでかす前にさっさと魔術を完成させなければ。これにジャミングを絡ませられたら流石に笑えない。
疾は軽く目を細め、編み上げた魔法陣にさらなる干渉を仕掛ける。大気中の魔力波動差異、時間軸の矛盾、転移元と転移先の座標軸を入力し、修正数値と制約突破のために必要な干渉情報の演算を進めていく。都度魔法陣の中の魔術文字や魔力濃度を変化させ、世界への干渉力を調整する。
(──仕上げだ)
ここまで必要情報の入力演算までは順調。あとは出力──世界間の壁を越えるための空間干渉と座標軸の書き換えだ。
疾は、魔法陣へと魔力を流し込む。
パキッ、と。魔石がひび割れる音がした。
「……っ」
予備に備えていた魔力が尽きようとしている。身のうちの魔力が流し込まれ始めた。
グッと噛み締めた口の中に、鉄の味が広がる。予想通り、ごっそりと魔力が奪われていく。特有の脱力感を耐えながら、疾は魔術が発動したのを確信した。
視界がブレる。
「うわっ」
パキン!
瑠依の悲鳴と同時、魔石が完全に砕ける。
(っ、足りるか──!?)
座標軸が曖昧な今魔力が尽きれば、世界の狭間に落ちる。おまけにどこぞの馬鹿がジャミングを発し始めた。必死で魔法陣を維持しながら、疾は覚悟を決めて残りの魔力を一気に叩き込む。
視界が暗転し、すぐにひらけた。満天の星空が目の前に広がる。
そして、浮遊感と虚脱感が同時に襲いかかってきた。平衡感覚を根こそぎ奪われる感触に、一瞬意識を持っていかれる。
「あほかぁああああ!?」
……大変癪だが、こんな超上空でも元気いっぱいな叫び声にギリギリ我に返った。咄嗟に息を吸い込み、意図して酸素を脳に送り込む。
「疾! どういうこと!?」
「座標ずれ。地中に埋まらなくて良かったな」
「さらっと言うなし!?」
「うっせえ、諸悪の根源」
「俺!?」
おそらく転移酔いでもしたのだろうが、最後の最後でジャミングをダダ漏らしてくれやがった瑠依が心外なという顔をしている。疾に言わせれば、時間と位置座標軸が狂うくらいで済ませたことに拍手喝采をもらいたいくらいだ。足の一本くらい置き去りにしてしまうかと思った。
「んな場合じゃねえだろ瑠依! 疾! どうにかする方法考えるぞ!」
竜胆が叱りつけるように現実を突きつけてくる。その通りなのだが、正直疾は意識を保つので精一杯だ。最後の最後で魔法陣を維持するために注ぎ込んだ魔力量が計算以上に多く、魔力はほぼ枯渇している。一気に魔力を失った影響で、思考は酷く散漫だ。
「あー……浮遊の魔術で間に合うか? これ」
「のんびり言ってる場合か!」
鈍い頭で残り魔力で扱える魔術の効果を計算する疾の呟きに、瑠依が吠える。その元気があるならそっちでどうにかしろ、と思ったところで、大変珍しいことに瑠依が自ら動いた。
「そぉい!」
呪術具を放り投げ、神力が注ぎ込まれる。相変わらず無駄に万能な呪術が展開し、疾を含め3人を包み込むような結界が編み上げられた。叩きつけるようだった風が止む。
「どうか障害物のない柔らかい地面に落ちますように!」
「って結界だけで軟着陸する気かよ!!」
「なんだその力業……」
「やかましい! 俺にこれ以上どうにか出来るか!?」
浮遊か飛行あたりしでかすのかと思えば、まさかの不時着を選んだらしい。確かに結界には衝撃緩衝の効果はあるが、いくらなんでもここまでの高さから落ちるエネルギーを舐めているとしか言いようがない。
「後は運を天に任せるのみ!」
「テメーの場合それは自殺行為だと何故分からねえんだ、ド阿呆」
「いやあ……瑠依って何だかんだ生き延びそう」
「あぁ、危険なのは俺らだけだから平然としてるのか、その馬鹿」
「だから何で!?」
竜胆のぼやきに疾は深く納得した。まあ確かに、これまでの諸々を思えば瑠依はどうせ「なぜか死なない」だろう。多分こいつがギリギリ無事になるくらいの呪術なんだろう、と思ったところで、おおよその計算が済んだ。
「……こりゃ、骨折は免れねえな」
「げぇ、マジか」
「え゛」
全身骨折間違いなし、普通に死ぬ。竜胆はその強靭な肉体でもう少しマシかもしれないが、疾はまず無理だ。もはや治癒魔術を組み込んだ魔道具すらないとなれば、確実に助からない。
(流石にこんな死に方はごめんだが──)
「はっ、もしかして足折ったら学校行かずに済む奴じゃね! 少なくとも体育祭回避出来るじゃん!!」
…………本当に、こんな阿呆なセリフを聞きながら自分だけ死ぬのは心の底からごめんである。脳みそが二次発酵しているとしか考えられない発言をうんざり聞き流し、疾は深々とため息をついた。
(仕方ない……)
「はあ……ホント、馬鹿と関わってから碌な事がねえ……」
本当にしたくはなかったのだが、これしか方法がなさそうだ。
目を閉じて、身の内に意識を集中させる。丁寧に残存魔力を濾し取り、さらにその奥──霊体に干渉して魔力を無理やり汲み上げた。生命力の源とも言えるそれに手出しする技術は、かつて漁った禁書からの応用だが──当然、負荷は生半なものではない。
「っ……」
込み上げる吐き気を堪え、疾は浮遊魔術を編み上げた。各個人に施すには足りない、相性は悪いが瑠依の結界に付与するような形で発動する。緩やかにスピードが落ち始めた。
「今呪術切ったらてめえだけ地面に墜落させるぞ」
「はいっ!」
念のため釘を刺しておくと、案の定引き攣った返答が返ってくる。ここで人任せにするような神経が本当に信じがたいが、そういう奴なのはとっくに知っている。
栓の抜けた水槽のように全身から力がこぼれ落ちていく不快感を懸命に耐えて落下速度を操作していた疾は、急に竜胆から声をかけられた。
「疾、動くなよー」
「あ?」
目を開けると、結界を軽く蹴った竜胆が、瑠依を小脇に抱えたまま疾へと迫ってきていた。
「……っておま」
咄嗟に声を上げたが、ギリギリで耐えている疾になす術はなく、竜胆の肩に無抵抗で担ぎ上げられた。そのまま、竜胆が衝突しそうだったビルの壁を無造作に蹴る。
ボールが跳ねるような跳躍を繰り返しながら、竜胆が順調に降りていく。ここまで来れば、この半妖にとってはどうにかなる範囲らしい。瑠依の結界で跳ねる感触が面白いのか、なんだか楽しげな声を上げているので疾はさっさと魔術を打ち切った。
「おい、人担いで遊ぶな」
「これこのまま移動すんの楽しそうだな」
「移動!? 俺にこのまま呪術使ってろって!? ヤダもう帰りたい!」
「ちえっ」
不満げな声を上げながらも、竜胆はそのまま高度を下げていった。結界の効果もあり、ほぼ衝撃なく着地する。
「瑠依? もう結界いらねえぞ?」
「へ? あ、はい」
「つうか、さっさと下ろせ」
「へいへい」
他人に身体の自由を奪われている不愉快さに下すよう訴えると、竜胆はあっさりと疾を解放した。その場に倒れ込みたい衝動を、沸々と湧き上がる感情を糧に堪える。
そして、同じく竜胆がおろした瑠依の鳩尾を、渾身の力を込めた拳で抉った。
「げふうっ……なんで……」
「ここまでの厄介事を持ち込んでおいて、何故と言えるたあイイ度胸だなあ? トラップに巻き込んだ張本人?」
「…………すみませんでした」
殺気をこめて疾が見下ろすと、さすがの瑠依もまずいと思ったのか、へたり込んだまま青ざめて謝った。




