186 トロイの木馬
疾達の誘拐は、狙い通りトロイの木馬となりつつある。
瑠依によって。
確かに、どうせ死なないならトラップの肉壁にしてやろうとは思った。が、自ら危険度の高いトラップを一つ残さず拾い上げていくなどと誰が予想するだろうか。毎回律儀に竜胆が助けているが、正直いらないと思う。
疾がいくつか小細工をするだけで、研究施設は自分たちが設置したセキュリティによって順調に破壊されていった。
「瑠依……お前なあ……」
「つくづくその悪運には感心する。いっそ地雷の撤去作業とか天職なんじゃねえの?」
「やだよ死んじゃう!? というかもうホント何なのこの建物!!」
竜胆は呆れ切って、疾は若干の感心を持って向けた言葉に、当の本人はギャースカ喚くだけである。が、喚けば喚くだけジャミングが発生し辺りの防護魔術が無効化されていくのだから、ある意味では疾よりよほどテロリストに向いている。
(使いようによってはこの上なく有用だが……この上なく使いたくねえな)
そもそものスタート地点が最悪だし、今もジャミングのせいで疾の魔力が落ち着く気配も見せないとなれば、総合的にはただただ迷惑だ。むしろこいつのせいでダメージを受ければ万々歳、くらいの人材に押し付けられない限りは動員する価値は一ミリもない。今も竜胆がいるからかろうじて窓から捨てずにいるだけである。
気を取り直して天井を見上げる。ジャミングで露呈した魔術の一つが、いわゆる迷路化──目的地へ向かうと永久に迷い込むよう導く代物だ。弱ったところで捕らえたいのだろうが、こっちも魔力をほぼ消費しないままに時間稼ぎと破壊活動が順調なので、両者痛み分けといったところだ。あちらがどう思っているかは知らないが。
とはいえそろそろ消耗戦に入り始めているし、次に進みたい。迷路化の魔術を解除すべく、疾は全くもって反省せず帰りたいと喚く瑠依を使うことにした。
「おい馬鹿、ちょっと呪術でこの辺の天井崩せ」
「はい!?」
「良いから、とっととやれ」
ニコリと笑ってみせると、瑠依は珍しくものも言わずにその辺に落ちたものを利用して呪術を構築していく。……この事前準備不要で無駄に威力の高い呪術を見ると、少しばかりイラッとしてしまうのは疾の魔術師としてのプライドだろうか。
無警戒に呪術をぶち当てた瑠依は、目をまんまるくしたまま次の瞬間、竜胆に回収された。飛び降りてきた魔獣の類は異能の銃弾で始末して、疾は天井向こうを慎重に観察する。
(……なるほど、ここか)
内心の動揺を努めて押し隠し、疾は身体強化魔術を足にかけた。地面を蹴って、腕の力も使って上階へと上がる。
ゆっくりと息を吸い、吐き出す。記憶に薄く残る据えた臭いをなるべく意識から外し、檻の一つへ歩み寄った。
「なあ……疾。……ここ、なんだ……?」
その時、竜胆の声が背後からかかった。振り返ると血の気のない顔をした竜胆が、目の前の光景を呆然と眺めている。
「なんだ、ってもな」
思わず失笑してしまう。あまりに普通で真っ当なその反応に、笑わずにはいられない。
(強化体、か)
冥府とて碌でもない所だというのに、その生き証人たる竜胆自身に自覚がないのか。あるいは、「実験対象」として観察され続けたからこそ、起こり得た事態に恐怖しているのか。
竜胆の反応を見た瑠依が、竜胆に担がれたまま戸惑ったように視線を滑らせ、そのまま固まった。理解できないものを見た時、人は表情を失う。まさにその顔だ。
あまりに真っ当な反応を示す彼らと、ここが原点である己を比べ嗤いながら、疾は言ってやった。
「最初に言ったろ? ここの連中がやってるのは——人体実験だって、な」
人の尊厳を全て踏み躙るためだけの場。そこにいる生物は全てが観察対象で、蒐集対象で、あらゆる魔術を試すためだけに存在する。進歩の為の尊い犠牲などと吐いた愚か者は、どこの施設にいたのだったか。
私欲を正当化するためだけの醜い行いの結晶に、悪意の存在すら知らなかっただろう瑠依が崩れ落ちた。
「瑠依! 大丈夫か?」
えずく瑠依の背をさする竜胆が、疾を睨みつけてくる。どうやらこのお人好しは、瑠依に暗部は見せないままでいたかったらしい。無理な相談を一蹴し、疾はさっさと資料に手を伸ばした。
(本当に、くだらねえ)
見れば、人体を使う意味が全く見出せない研究記録ばかりが記されていた。こんなもの、いくつかの魔道具があれば事足りる。費用を惜しんだか、それとも拷問じみた行為にのめり込んでいただけか。救いようがない。
「……馬鹿じゃねえのか、ここの連中──出来もしないのに、欲望任せに手を出しやがって」
疾は、身の内から込み上げる苛立ちの憂さ晴らしがてら、全ての資料を破り捨てた。作業を終えた疾に、瑠依から言葉が投げかけられる。
「なあ……それしか、感想はねえの?」
振り返る。青ざめた顔で、どこか非難の色を浮かべているのを他人事のように眺めながら、疾は簡潔に返してやる。
「能なし連中への感想に無駄な時間を割く気はねえよ」
「そうじゃなくて!」
「……あぁ、こいつらか」
視線を一度、実験体とされた彼らへと向けた。人としての形すら保てていないものばかりだ。治療にも限界があるだろう。何より、疾たちを認識しているかすら怪しい空洞の瞳は、身体以上に精神が損耗している証。
父が疾を助け出した際に見ただろうその色から視線を引き剥がし、疾は瑠依に向き直る。
「この後の処理については考えてるが?」
「……は」
信じられないとばかりに目を見開いた瑠依は、わかっていない。
「このまま現実に帰れるように見えるなら、お前はつくづくおめでたいな」
医者に見せて身体の傷を癒した程度で、現実に戻って来れるような状態ではない。疾にも、誰にも、彼らは救えない。這い上がったところで、元には戻れないのだから。
そう吐き捨てて笑ってやれば瑠依が震え出す。それでも食いしばった歯の間から言葉を押し出せたのは、少しだけ意外だった。
「……何、する、気だよ」
(何をする、ね)
行動に出ることを前提としたその問いかけが無自覚な傲慢であることを、この馬鹿が気づく日は来るのだろうか。そう思いながら、疾は素早く手持ちを確認した。
(……あまり、余裕はないな)
トラップをうまく利用したとはいえ、それなりの数いた魔術師と魔法士をほぼ魔道具だけでのしている。元々目減りしていたのもあり、この後の一戦を考慮するとやや心許なさすら感じる。第三者を助けられる余裕はない。
ない、のだが。
「こうする」
何もせず見捨てられるほどには、疾もまだ、割り切れていない。
銃弾で全ての檻と拘束具を破壊し、言霊で強制的に言葉を受け取らせる。ほんのわずかでも現実を認識した連中に、選択肢を突きつけた。
逃げるか、ここで果てるか。
「……後は好きに選べ。俺への対価は——てめえらが逃げるために暴れるありったけの時間だ」
そう彼らに告げて、疾は小さく笑った。
(本当に、自己満足だけどな)
これだけの損耗を抱えて逃げ切れなどといったところで、たとえばあの時の疾ならそもそも逃げようとすら出来なかったかもしれない。魔術師に再度捕まる可能性だって十分ある。逃げ切ったところで、彼らを待つのは残酷な現実だけ。
それでも、這い上がる切掛けすら与えずに見捨てることは出来ない疾の、これは自己満足だ。
自身の弱さに自嘲しながら、魔道具を一つ残し、疾は天井を破壊して上層階へと向かった。何やら喚く瑠依は無視して周辺の調査をしようとして──
「うわっ、ぎゃぁああああ!?」
呪術具を携え一直線にトラップに突っ込んで暴発させた瑠依から素早く距離を取り、疾は一周回って感心の言葉を呟いた。
「……真っ直ぐトラップに突っ込んだな。頭に血が上っても馬鹿は馬鹿か……」
「なんかもう……本当に、俺の主ってしまんねえなぁ……」
「何その感想!? ひっで!!」
竜胆の言う通り、こいつがいるだけで、ありとあらゆる感情が「なんかもうどうでもいい」という方向へと強制的に冷めさせられるのは、本当にどうかと思う疾であった。




