181 舞姫
ひとまず互いの求める条件とそれに対するそれぞれのスタンスが明確になったので、今回の交渉はここまでだ。
「そのうちお前に個人的な依頼をするのも面白そうだな」
「今のやりとりの後でその台詞が出てくるお前が、心底理解できない……」
無表情にぼやくノワールはスルーして、疾は立ち上がった。匙加減はおおよそ分かった。あとは実行に移すのみだしさっさと帰るか、と扉へ視線を向けたその時、ノワールが張っていた結界の向こう側に気配が近づいてきた。ノワールに視線を戻すと、ため息をついて結界を解く。
「ノワー! お話終わったー?」
扉が勢いよく吹っ飛んだ。
(おお)
思わず内心で声を上げた疾をよそに、ノワールが半目になって扉破壊の犯人──フージュに近づいていく。
「フウ」
「なあに?」
無防備に近づいていくフージュに、ノワールはゆっくりと手を伸ばし。
「あいたあ!?」
思いっきり拳骨を落としていた。何気に身体強化付きである、あれは痛い。
額を抑えて涙目になったお子様に、ノワールは半眼のまま淡々と告げる。
「いちいち扉を破壊するな。そしてまずノックをしてから開けることをいい加減覚えろ」
「ごめんなさい〜……」
(これが16歳……)
つくづく、世界は神秘に満ちている。疾はしみじみとそう思った。
説教を終えたノワールが、ふと何かを思いついたように疾へと視線を向ける。
「フウ」
「なあに?」
「折角だ。俺の客人と手合わせでもしてみるか。手加減の要らない、良い練習台だ」
(おい)
何故に疾の周囲には、一歩間違えたら簡単に命が吹っ飛びそうな提案を思いつきでしてくる頭のおかしい輩がこうも多いのか。
「いいの!?」
ぱあっと表情を明るくして、フージュが疾に顔を向けた。おもちゃを与えられた幼子のような顔をされても、疾に甘やかしてやる義理も道理も利益もない。
視線をフージュからノワールへと滑らせる。なんとなく腹いせを思いついた、くらいのノリで危険な匂いがぷんぷんする──というか疾の直感が思い切り警鐘を鳴らしている──訓練とやらを提案しやがった男に、にっこりと笑って見せる。
「練習台とやらをしてやる対価は?」
「……最近の研究で作り出した魔道具でどうだ」
無造作に放り投げられた魔道具を受け取る。軽く解析すると、親指の爪ほどしかない魔石とは思えない緻密な回路が刻まれたそれは、幻惑の魔術が込められていた。
「魔法士協会のセキュリティも誤魔化せる。侵入には便利だろう」
「お前本当に魔法士協会幹部か?」
あまりに愉快な対価を得た疾が茶化すも、ノワールは聞こえないふりでフージュと疾を促し、訓練場へと足を踏み出した。
成り行きでフージュの相手をする羽目になってしまったが、一応は疾としてもいい機会だ。この得体の知れない危機感を与えてくる少女の戦闘能力は、ここらで把握しておいて損はない。
「とりあえず、身体強化以外の魔法なしだ」
「はーい」
「同時使用はまだ無理ってか?」
ノワールがフージュに言い聞かせてたので聞いてみると、ノワールはすいと視線を逸らした。
「……絶望的なまでにノーコンで、相手より第三者の身の危険が深刻だ」
「どんだけだ」
黄昏るような眼差しのノワールに、疾は呆れ気味に呟く。発動はともかく着弾先の制御で苦労したことはないので、魔法が使えるのにノーコンというのはちょっとよくわからない。
疾の言葉に疑問を読み取ったノワールが、奥の壁を指してフージュに命じた。
「あの壁目がけて魔法を使え」
「はーい。えいっ!」
気前よく壁に向けて放たれた魔法が、なぜか斜め横に飛んで壁に反射し、疾への直撃コースを辿った。咄嗟に異能で相殺しつつ、ツッコミを入れる。
「このチビガキ、座標認識どーなってやがる」
「知らん」
「あれー?」
本人すら不思議そうに首を傾げているのだから手に負えない。なるほど、これは併用以前の問題である。
当たり前のように真剣をフージュに手渡すのを横目に、疾は軽く体を動かす。ようやく魔道具不足を解消し、研究所襲撃の準備が整いつつある今、本格的に手札を読み取るための戦いをする気はない。消耗少なくさっさと片をつけるべく、体内の魔力を丁寧に練り上げる。ノワールが向けてくる観察の視線を無視して準備を終えた疾は、とりあえず銃は出さずに構えた。
「ルールの確認をする。魔法は身体強化のみ、武器は一種類のみ使用可能とする。基本的には近接戦に絞った訓練だ。体幹が地面につく、意識を喪失した、身動きを封じられた、生命に関わる怪我を負った、を敗北条件とする。戦闘範囲はこの訓練場内だ。異論はないか」
「ないよー!」
「ま、対価分だけやってやる」
さりげなく疾の戦闘スタイルを縛るような条件が山盛りだが、このお子様の相手をする、という条件で判断すれば妥当ではあるので頷いた。が、続いてサラリと付け加えられたやりとりに束の間固まる。
「ねえねえ、治療についてはいつも通り?」
「ああ。怪我をさせた側が治療する。そっちもいいな」
「良いわけあるか」
フージュを真っ直ぐ指差しながら疾が異議を上げると、ノワールは肩をすくめた。
「不思議なことに、治癒魔法ならば正確に発動させる。致命傷は治せないが、その場合は俺が受け持つから問題ない」
「……」
疾が無言で目を細める。それを見たノワールとフージュが不思議そうな顔になった。
「どうしたのー?」
「何か問題でもあるのか」
「……いーや、別に」
なんら疑問をお持ちではないようだが、訓練で致命傷の治療を前提とするのはいかがなものかと思う。上司が頭おかしいのかと思っていたら、こいつらまでそうなのか。
あとノワールは、密約があるとはいえ表向きは敵対関係にある疾の治療を自分達が行うという意味をもう少し考えたほうが良い。協会に知られたらろくな目に合わないのはノワールの方だ。
(バレたら異端審問ものだと思うんだがな……ま、俺は関係ないか)
軽く息を吐き出して、同意の代わりとする。ノワールはしばらく訝しげに疾を睨んでいたが、反応を見せない疾に気を取り直したらしい。疾とフージュの間に立ったまま、軽く片手を掲げた。
「最初だし、一応合図は出すぞ」
そういって、手に持っていたコインを指で弾く。高々と宙を舞うコインを横目に、疾は丁寧に身の内の魔力を手繰り寄せる。フージュが目の前で双刀を構え、深く腰を落とした。
コインが地面につく、音は聞こえなかった。
瞬く暇もなく、赤毛の少女は間合いを消滅させていた。転移でも跳躍でもない、純然たる身体強化により踏み込んだ勢いを余さず両の刀に乗せ、疾目掛けて振り抜く。踏み込みと振り切りがほぼ同時という、理想の初手。
最低でも腕、最悪胴体すら切り落としかねない刀の軌道は、しかし空を切った。
「あれ? ……わっ!?」
消えた疾に驚いたように首を巡らせたフージュだったが、背後から首根っこを掴まれ呆気なく地面に叩きつけられる。太鼓のような音が響いた。
「──そこまで」
ノワールの合図を待って、疾は組み伏せたフージュを解放する。軽く両手を叩きながら、軽く笑ってみせた。
「これはこれは。お手本のような才能任せの荒削りじゃねえか」
「まあ、そうだな。今まで初手でそれに気づいて対処できたやつはいなかったが」
少し呆れたような眼差しを向けられた。素知らぬ体で笑顔を返す。
「これだけ早けりゃ真っ直ぐ飛び込ませるだけで、大抵の奴は細切れだろうがな。来るとわかってりゃ対処は可能だろ」
「その対処とやらを初手で可能にしたやつを俺は初めて見た訳なんだがな……まあ、今後の課題だ。フウ、いい加減起きろ」
疾とノワールが会話をする間もベシャッとうつ伏せのまま動かなかったフージュが、ノワールに声をかけられてパッと体を起こした。
「なんかずるい!」
そして開口一番何か言い出す。言葉選びまで子供じみたそれに、呆れつつも疾は言い返す。
「ずるくはねえぞ、今回魔術も使ってねえし正々堂々やった方だろ」
「これを正々堂々というのは俺は抵抗があるが、確かにお前にとっては正々堂々だろうな……」
つい先日「正々堂々」の真反対な手段で殺されかけたノワールが、やたら実感を込めて独りごちていたが、フージュには聞こえなかったらしい。大きく頬を膨らませた。
「ずるいもん! なんか急に消えたみたいだった!」
「そーか、てめえの目がまだまだ節穴だっつうことだな」
「うー!」
地団駄踏んで悔しがるお子様を鼻で笑いつつ、疾は流石に内心で冷や汗をかいていた。
(……想像以上だな)
視認できない初速を叩き出し、減速せぬまま刀を振り切るその身体能力の高さは尋常じゃない。その上、疾の目が確かなら、刀にかけられていたのは魔力による強化だけでなく、異能による底上げまでされていた。おそらく、結界だろうが鉄だろうがぶった斬る類のものだ。
そのまま、いや、結界だろうが受けていたら胴体真っ二つでもおかしくなかったほどの凶悪な攻撃である。初手で逃げに徹して隙を生み出させなければ、疾も無事でいられたか少々怪しい。今後成長し攻防まで身につけたら、実に厄介な敵になりそうだ。
ぐるりと肩を回した疾に、ノワールの視線が向けられる。そちらには目を向けないままも、疾は今回の攻防で一つ成果を得ていた。
(魔力による気配遮断は、こいつにも効果がある)
今回の疾の手は非常に単純だ。フージュが突っ込んでくる前に魔力を放出し疾の人型として残す。続いて疾自身は魔力操作により極限まで気配を薄くすることで魔力の塊を疾と誤認させ、気配を絶ったまま背後をとっただけだ。
魔力操作の技能というハードルはともかく、さほど手の込んだ技ではない。が、審判であるノワールですら、数瞬間ではあるが、疾ではなく魔力に意識を向けていた。
今回の疾の動きを見て警戒はするだろう。が、その警戒すらも逆手に取れば、勝敗を分ける一瞬を掴み取ることは可能だ。それがわかっただけでも、今回の訓練を受けた甲斐はあった。
いまだにウダウダと駄々をこねているフージュを適当にあしらいながら──昔の妹みたいなゴネ方をするなと思った──、疾はノワールに視線を向け、目だけで笑んで見せた。僅かに細められた黒の目が、油断なく返ってくる。
互いが互いの手札を一枚ずつ晒し、それぞれの成果を得たことを確信する視線の交錯に、フージュはいまだ不満げな顔のまま、不思議そうに首を傾げていた。




