178 捏造
かなり本気で魔術的に焼き焦がしてくれようかと思ったものの、これまでしでかされたことを考えると、なるほど今更でしかない。身内に手が伸びたのも偶然というか、本人すら意図せぬ不具合でしかないとわかってしまえば、こちらの備えが不足していたという事実の浮き彫りになるわけで。
譲歩と妥協を山と積み上げて、疾は、2ヶ月間この馬鹿の監視業務を停止することを同意させて手打ちとした。稼げた時間で魔法士協会に食い込めば、ここ最近のロスも埋められるだろう。
懇切丁寧に自分が何をしでかしたのかを教えてやったにもかかわらず、いまだに釈然としない表情を滲ませる馬鹿が同じことを繰り返さないために、連絡手段の一つを渡すという屈辱まで妥協したが、必要経費と割り切る。というか、実際に必要経費として後で局に請求する。
それでも消化不良な鬱憤は、訓練で思う存分瑠依を床に這いつくばらせ、ついでに竜胆と手加減なしの身体強化魔術付きでの肉弾戦を存分に行うことで消化した。例によって訓練場は半壊したが、瑠依がノコノコ局長に報告へ行ったので放っておく。
シャワーブースで汗を流した疾は、共有スペースで最新情報を集めている棚に歩み寄った。その中で、最近の鬼、妖の動向と全国の地脈の変動について分析されているものを手に取り、近くのテーブルにつく。
ざっと全体に目を通す。鬼の動向は現状大きな変化はなし。ただし妖は明らかな被害の増加はまだないが、活動が活発になっている地域がいくつかあるため、今後鬼の活動が活発になる可能性あり。
過去に地脈が荒れた際は、妖は極端に血気盛んとなり、それに連動して鬼の発生率も上がった。これはまあ、大きく外れてはいないだろう。
続けて地脈の変動予想に目を通した疾は、予想外の記載が飛び込んできて眉を寄せる。
(……変動の予兆すらなし?)
父親からの分析情報が鬼狩り局と一致しない。分析ミスの可能性は0ではないが、疾自身の見立てでは限りなく0に近い、少なくとも可能性の示唆くらいはされてしかるべき兆候がある。だが、それすらも記載がない。
少し考えて、疾はもう一度棚に歩み寄る。世界間の壁についての分析関係の書を探し──これは鬼狩りの情報と若干ずれているように思えるが、人鬼が時折異界に干渉するという事例があるので、念のため揃えられているのだろう──、席に戻って少しゆっくり目に読み解いていく。
(世界間の壁は、徐々に薄くなっている)
これは推測や分析ではなく、実体験だ。疾はこの1年何度も異世界渡航を行っているが、徐々に転移魔術に必要な魔力量は減少してきている。そして世界の壁が薄らぐ時には、大体が地脈にも影響が出る。だからこそおかしいと判断した疾は、そこにあった記載に鋭く目を細めた。
(──壁の変動は例年通りで、大きな変動、なし)
これは、こちらの記録の方が、間違いなくおかしい。
(無能の見落としか、愚者の隠蔽か、──悪意の操作か)
何れにせよ。
(ここの情報、信頼性低いのかよ……)
冥府まできて偽情報つかまされるとなれば、本当にこき使われているメリットが皆無だ。何故か当然のような顔をして同じテーブルについた瑠依の顔が視界の端に入った疾は、内心でうんざりとため息をついた。
ともあれ、なんらかの事情で地脈や世界間の壁の変動について、把握されたくない何者かが冥府の中にいることは判明した。したが、別に干渉する気は微塵もない。紅晴からの異世界渡航に影響があるなら大問題だが、自己分析ではあるがさほど問題がないと疾は見ている。冬から春頃に反動で壁が厚くなる可能性は高いが、今から対策を用意すればどうにでもなる。となれば、気付かぬふりで放置していた方が賢明だ。
ひとまずの結論が出たので、冥府で済ませたい用事は済んだ。何やら他の鬼狩りに絡まれた瑠依が存外辛辣にあしらい、古巣に顔を出していた竜胆が先頭立って局を去ろうと歩き出した。表情を見るに、なるほど竜胆の方は、己を意思ある人間扱いする存在の価値を理解しているからこそ、こんな大馬鹿野郎の面倒を見る気が出るようだ。以前の契約で神力が不安定になり暴走の危険性がある竜胆から目を離してはならない、という当たり前の事実すら認識していない馬鹿にそんな判断をしているあたり、これまでの扱いが透けて見える。
そんなことを考えつつ、局を出て紅晴に戻った矢先。
「──みぃつけたあ」
調子外れの女の声と共に、火属性魔法が雨のように降り注いだ。
地面を蹴ってその場を離脱した疾は、同じく即座に離脱した竜胆を横目に見て、束の間思考を回した。
(……さて、どうするか)
こういう事態がいつか起こることは分かりきっていた。対応は幾通りか想定済みだが、実際にどれを選択するのかは竜胆の反応次第で選ぶつもりでいた。
その竜胆はといえば、瑠依を抱えたまま警戒に気を立てている。必要とあらば迷わず牙を剥かんばかりに攻撃性が剥き出しだ。逃げようとしないあたり、こういう連中の危険度について、知識はあれど実感はないと言ったところか。
竜胆の反応を見てカモだと思ったか、女はまずそちらへと目を向けた。杖はこちらを向いているが、意識が散漫にも程がある。都合がいいので、疾はお試しも兼ねてと懐のクズ魔石をこっそり地面へとばら撒いていく。
「へえ、キミタチも面白そおだねえ。何か妙な気配も感じるしい、実験しがいがありそお。依頼対象はあっちだけだしい、キミタチは私が貰っちゃおうかなあ?」
「……依頼」
「なんかあ、生きたまま捕らえろってさあ。五体満足じゃなくて良いって言うからあ、楽しめそうだなあってねえ。可愛い子供ってえ、いじめ甲斐があるでしょお?」
その間に、女が竜胆へと懇切丁寧な説明をしていた。疾からの説明が省かれて何よりだ、その分心を込めて応対してやろう。
「い、いじめ反対! 虐待反対!」
「んな事言ってる場合かよ」
「場合だよ!」
不意打ちに近い襲撃に殺気だちながらも、竜胆は存外冷静に相手の出方を測っている。一方でおおよその状況を理解したらしい瑠依は、襲撃者ではなく疾の方をチラチラみながら、顔色を徐々に悪くしていっている。そういえば前に一度巻き込んだ事があったな、と疾は今更に思い出す。瑠依に関してはどれだけ巻き込んでも良心はちらとも痛まない。
「あはっ、可愛いねえ。あとでゆっくり料理させてもらおっとお。やっぱりデザートより先にメインディッシュから楽しまないとねえ」
ゆるりと視線を向ければ、ローブを纏った女が、竜胆と瑠依に向けていた興味津々の視線を、疾へと向け直したところだった。濁った赤茶の瞳が、笑みに歪む。
「っ、逃げろはyむぐっ」
まさか庇う気だったのか、竜胆がこちらに警告を投げようとした。迂闊に名前を呼びかけたので意識落としてくれようかと思ったが、それより先に珍しくも機敏な動きを見せた瑠依が竜胆を引き止めた。何やら切実な表情で説得していたので、名前を口にするなという警告を竜胆にしていなかったのは盾にする程度で水に流してやることにした。
(さてと)
「ふ、ははっ」
こちらも準備が整ったので、相手のご期待に応えてやるとする。
「メインディッシュ、なあ? せいぜい前菜だろ、雑魚が」
丁寧に嘲笑を塗り込めた声で応じ、疾は笑顔を女に向けた。
「生け捕りたあ随分な口を叩いたもんだ。てめえ如きが俺に傷1つ付けられるかよ、自惚れも大概にしろ。ま、せっかくだから遊んでやるさ。わざわざ俺の前に立つ以上は頑張れよ? 1分立ってられたら褒めてやるぜ」
「……随分な口を叩く坊やだねえ? 躾が必要かなあ?」
「躾が必要なのは主の命令も満足にこなせねえてめーだろ、駄犬。遠吠えなんざ聞く価値もねえからとっとと来やがれ、俺の貴重な時間をこれ以上無駄にすんな」
挨拶がわりのトラッシュトーキングだというのに、女はあっさりと挑発に乗り、背の丈ほどの杖を掲げた。そこに流れる魔力も魔力回路も隠しすらしない無能が、安っぽい敵意で牙を剥く。
「災厄とか呼ばれて調子に乗ってんじゃないよお、クソガキがあ!」
「はっ」
何やら愉快な呼び名がついたらしい。相変わらずの厨二趣味を嘲笑い、疾は銃を構えた。
「やっすい挑発に乗って頭に血を上らせるような老害がほざくな。雑魚魔術師が、それこそ調子乗ってんじゃねえよ」
プライドばかりが無駄に高い魔法士は、己を魔術師扱いされることを酷く嫌がる。それを知ってそう言ってやれば、女は盛大に顔を歪めて疾を睨みつけてきた。
化けの皮剥がれ、目尻に醜い皺を寄せた女に、疾は久々に、純粋な己の戦意を敵へと向けた。




